今日も
“無常観”について
考察します。
キューブラ・ロス
女史の
ベストセラー
「死ぬ瞬間」を
元に
進めていきます。
ロス女史は
余命幾許もない
臨死患者に
立会い寄りそって
来た経験を通して
“死”を
ターゲットにおいて
人間の心が
どのようにして
“死”を受容
していくかという
研究を
された方です。
ロス女史の
「死の受容
プロセス」の5段階
この5段階の
プロセスは、
キューブラ・ロス
モデルとして
“死”に直面
している患者の
精神的ケアとして
参考に
されています。
それでは
参考までに
その5段階モデルを
紹介します。
第一段階は
「否認」です。
末期患者であると
知らされたとき
そのショックを
まともに
受けたくないため
自分が“死ぬ”
ということは
嘘ではないのか
と疑う段階である。
まず、否認が
起こるのだそうです。
第二段階は
「怒り」です。
「怒り」です。
“死”の現実を
いよいよ
認めなければ
ならない
と言うときになると、
なぜ自分だけが
なぜ自分だけが
死ななければ
ならないのか
という怒りや恨み
つらみの心が
湧いてきて、
その心を
周囲の家族や
看護師さんたちに
向けるという
段階である。
第三段階は
第三段階は
「取引」です。
取引と言う概念は
日本人には
馴染みのない
感じがしますが。
何かにすがろう
という
心理状態のことで
あります。
神や仏や霊能者や
特効薬等々
なんとか死なずに
なんとか死なずに
すむように
「全財産と引き換え
でもいいから、
命だけは助けて
ください。」
と取引をしようと
試みる段階
と言うことです。
第4段階は
「抑うつ」です。
第4段階は
「抑うつ」です。
上記三段階の
プロセスを経て
一切がもう無駄で
あることを知る
段階に至り、
ますます衰弱と
無力感に
苛まれていきます。
心は絶望の中で
悲しみに
打ち震えるのだ
そうです。
そして、
そして、
第五段階の
「容認」に至るのです。
最終的に
最終的に
自分が“死ぬ”
ということを
受け入れる
段階であります。
必ずしも
この五段階の
プロセスを辿るとは
言えませんが、
ロス女史は
下記のように
言っています。
著書を抜粋いたします。
『第1段階/否認と孤立 Denial
私たちは
私たちは
死に瀕している
患者200人以上に
インタビューをしたが、
ほとんどの人は
ほとんどの人は
不治の病である
ことを知ったとき、
はじめは
「いや、
私のことじゃない。
そんなことが
あるはずがない」
と思ったという。
誰にでも
誰にでも
最初に訪れるのが
この否認である。
患者は
患者は
診断を知らされると
不安になって
それを否認する。
否認がとくに
否認がとくに
顕著にみられるのは、
その患者のことを
その患者のことを
あまり
よく知らない人や、
受入れの準備が
受入れの準備が
患者にできているのか
どうか考えもせず
早く
早く
「片付けよう」と
思っている人から、
告げられるべき
告げられるべき
時が来ていないのに
突然知らされた
患者の場合である。
少なくとも
少なくとも
部分的な否認は
ほとんど全ての
患者に見られ、
病気の初期や
病気の初期や
告知の後だけでなく
その後も
時おり見られる。
「われわれは、
「われわれは、
太陽をずっと
見続けていることが
できないのと
同じように、
ずっと
ずっと
死を直視している
ことはできない」
そういったのは
そういったのは
誰だったろうか。
患者はしばらくは
患者はしばらくは
自分自身の
死の可能性に
ついて考え込むが、
その後は生き続けて
その後は生き続けて
いくために、
そういった考えを
捨て去る。
病院の
病院の
スタッフの中にも、
自分たち自身の
自分たち自身の
理由から
患者の状態を否認
している人がいる。
そういう
そういう
スタッフに対しては、
患者の側も否認で
応ずることが多い。
そういう患者は、
そういう患者は、
家族や
スタッフの中から
適切な人を選んで、
自分の病気や
自分の病気や
迫りくる死について
話し合おう
とする一方で、
患者が
患者が
死んでしまうという
事実を
受け入れられない人
がいるときは、
元気になった
元気になった
ふりをする。
これが、
これが、
不治の病を
患者に告知すべきか
どうかをめぐって
意見が分かれる
理由の一つである。』
『第二段階/怒り Anger
絶望的な知らせを
絶望的な知らせを
聞かされたときの
私たちの
最初の反応は
「いや
「いや
私のことではない、
そんなことは
ありえない」
というものだ。
この反応は、
この反応は、
私たちがやがて
理解し始めたとき、
「ああそうだ。私だ。
「ああそうだ。私だ。
間違いなんかじゃない」
という新しい反応に
という新しい反応に
取って代わられる。
幸か不幸か、
幸か不幸か、
自分は健康で元気だ
という偽りの世界を
死ぬまで
死ぬまで
持ち続けられる
患者はほとんどいない。
第一段階の否認を
第一段階の否認を
維持することが
できなくなると、
怒り・激情・妬み・
怒り・激情・妬み・
憤慨が
それに取って代わる。
そして必然的に
そして必然的に
「どうして私なのか」
という疑問が
頭をもたげる。
"Why me? It's not fair!"
"How can this
"Why me? It's not fair!"
"How can this
happen to me?"
"Who is to blame?"
(中略)
問題は、自分を
"Who is to blame?"
(中略)
問題は、自分を
患者の立場に置いて、
この怒りが
この怒りが
どこから来るのか
考えられる人が
ほとんどいない
ということだ。
おそらく
おそらく
私たちだって、
こんなにも早く
こんなにも早く
自分の人生が
中断されてしまう
としたら、
きっと怒るだろう。
一生懸命
一生懸命
貯めたお金で、
2、3年休みをとって
いざ旅行や
趣味などを
楽しもうという時、
「私にはできないのだ」
「私にはできないのだ」
という事実だけが
立ちはだかったら
怒るだろう。
そういうことを
そういうことを
楽しんで
いそうな人に対して
怒りをぶつける以外、
私たちはどうしたら
私たちはどうしたら
いいというのか。
(中略)
怒りを
(中略)
怒りを
抱えている患者は、
どこを見ても
不満を感じる。
テレビをつければ、
テレビをつければ、
楽しそうな
若者達のグループが
モダンダンスか
何かを踊っている。
そんな光景は、
そんな光景は、
動くと痛かったり、
なかなか
動けない患者を
苛立たせる。
西部劇を見れば、
西部劇を見れば、
人々が冷酷にも
撃ち殺された
というのに、
そのそばには
そのそばには
ビールを飲みながら
見物している
人々がいる。
患者の目には、
患者の目には、
その見物人と、
自分の家族や
世話をしてくれる
スタッフが
同じように
同じように
思えてくる。
破壊、戦争、家事、
破壊、戦争、家事、
その他悲しい
出来事ばかりの
ニュースを聞いても、
それは
それは
自分から遠く離れた
ところで起こった
ことだから、
一人ひとりの戦いや
一人ひとりの戦いや
窮状などには
興味も持てず、
すぐに忘れてしまう。
だからこそ患者は
だからこそ患者は
自分が
忘れられていないこと
を確かめようとする。
声をあげて叫ぶ。
声をあげて叫ぶ。
要求する。
不平を言い、
不平を言い、
注目を引こうとする。
おそらく
おそらく
究極の叫びはこうだ。
「私は生きている、
「私は生きている、
そのことを
忘れないでくれ。
私の声が
私の声が
聞こえるはずだ。
まだ
まだ
死んでいないのだ。」
(中略)
悲劇は、
(中略)
悲劇は、
私たちには
患者の怒る理由が
思い当たらず、
本来、
本来、
患者の怒りと
その対象となる人
とはまったく、
もしくはほとんど
もしくはほとんど
関係ないのに、
それを自分個人に
それを自分個人に
向けられたものとして
私たちが捉えてしまう
ことである。
スタッフや家族が、
スタッフや家族が、
患者の怒りが
自分に向けられたか
のように反応すると、
患者の側もますます
患者の側もますます
怒りを持って応酬し、
患者の敵対行動は
ますます激しくなる。
家族やスタッフは
家族やスタッフは
患者を避けるために
面会や見周りの時間
を短くしたり、
論点が
論点が
まるで見当違いで
あることに気づかず、
自分の立場を
自分の立場を
守ろうとして
不毛な議論をする
羽目になる。』
明日に続きます。
生かしていただいて
有難うございます。*****************************************************
角田 政治
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Blog:「もう一つの今」http://sinrikenkyu.blogspot.jp/
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