2014年9月22日月曜日

“無常観”とは12

“無常観”
について
お話を
進めています。
既に、
シリーズも
12回目ですね。
 
同じことを
繰り返し
繰り返し
述べているに
過ぎませんが
 
絶対に
欠かすことが
できない
自分の存在
そのものの
問題です。
 
続けて
話させて
頂きたいと
思っています。
 
その
“無常”の
最終形が
“死”であります。
 
昨日は
その
“死”に際して
 
戦国武将たちの
辞世の句を
紹介しながら
 
“無常観”に
ついて
考察をして
まいりました。
 
そして、
お釈迦さまの
大無量寿経の
有名なお言葉
 
「大命将に
終わらんとして
悔懼交至る。」
を紹介しました。
 
それでは
改めて
“死”という
大問題について
考えて
いきましょう。
 
“死”とは
どんなものでしょう?
 
“死”とは
一切のものを
捨てて
いかなければ
ならないと
言うことです。
 
誰も、
言葉としては
わかるでしょう。
 
しかし、
私たちは
眼・耳・鼻・
舌・身・意で
感じる
快いものと
別れるのは
大変辛いことです。
 
これを
愛別離苦と
言います。
 
愛する者
愛する人たちと
別れなければ
なりません。
とても苦しいです。
 
自分が
大切にしている、
愛しているすべて、
 
家族
財産
ペット
地位
名声等々
数え上げたら
キリが
ないくらい
 
今までも
多くのものを
失ってきました。
 
財産ひとつ
とっても
それが
「私」という
存在の一部で
あるからです。
 
それらの
「私」の一部を
失っただけでも
大変な苦しみを、
味わうのですから
 
況や、
死ぬときには
その
「私」と認定
していた
肉体存在
そのものが
無くなるわけ
ですから、
 
こんな恐ろしい
ことは他に無い
のであります。
 
恐ろしいから
考えたくない
という気持ちは
分からないでは
ありませんが、
 
100%
確実に来る
未来ですので、
全ての人間の
終着点である
“死”について
考えずに
すむ問題では
ないのです。
 
その“死”を
怖れてなのか
 
それとも
一時的健忘症
になりたくて、
 
毎日を
精一杯、
忙殺していれば、
要らぬ考えが
浮かぶ
ことがないと
人生を
誤魔化して
生きているか?
 
どちらにしても
同じことです。
 
“死”という
こんな一大事が
あるのに関わらず、
何の準備も
していなかった。
 
後悔と怖れが
代わる代わるに
襲ってくると
教えていただいて
いるのが、
 
前述の
大無量寿経の
お言葉なのです。
 
それを
「後生の一大事」
「生死の一大事」と
仏教は
問いています。
 
この
「後生の一大事」を
解決せずに、
暗い心のままで
いることを、
「無明の闇」と
言います。
 
「無明」は
文字通り
明りが
無いのですから
「暗い」
ということです。
 
また、
「闇」は暗いです。
暗いが重なって
いますので
真っ暗という
ことです。
 
臨終のときに
必ず、
現われてくる
真っ暗な心の
ことです。
 
その
「後生の一大事」を
解決して
暗い心を
明るく晴れ渡す
ことが
仏教の目的であり、
 
私たちが
この世に
生を受けた
最大の
目的なのです。
 
これを
「無明の闇」を破る
ということで、
「破闇満願」とも
言います。
「はあんまんがん」と
読みます。
 
「無明の闇」が
破れると、
心は明るく
晴れ渡り
大安心
大満足の身になる
ことができる。
 
人間に
生まれてきて
良かった。
生きてきて
良かった。という
生命の歓喜が
湧き起こって
くるのであります。
 
その身になるまで
“死”の問題から
逃避せずに
自らの内を
みつめていく
ことこそ
忘れてはならない
ことでは
ないでしょうか?
 
生かしていただいて
有難うございます。
 
 
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角田 政治
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