昨日は
“自由”について
お話をしました。
“自由”とは
自らを
由り所とすること
自灯明であると
言いました。
“自由”を
得るためには
“不自由”を
自覚しなければ
なりません。
その
“不自由”
の元凶が
欲の心なのです。
欲に曇った
自我によって
囚われています。
その苦悩の中で
人は法(真理)に
出会うのです。
そしてお釈迦さまが
灯した明かりと
(法灯明)と
自灯明が溶け合う
のです。
自我の昇華とも
言うべき瞬間を
迎えるのです。
これが、
真の“自由”を
得るということで
あります。
その真の“自由”を
得たときの形容を
こう伝えています。
「諸仏、各々
自由にして端正殊妙」
と何事にも囚われない
様子を現わしています。
真なる“自由”を
得たものは
その形容どおりの
すがたである
“自在”を得るのです。
これが
“自由自在”で
あります。
本日は
この“自由”を得る
関連として
この“自在”という
言葉から
始めながら
真理を
見つめていきたいと
思います。
この“自在”も
仏教用語であります。
皆さまは
般若心経という
お経は
有名ですので
一度は
目を通したことが
あるのでは
ないでしょうか・
その般若心経は
“観自在菩薩”と
唱えるところから
始まります。
“観自在”とは
文字通り
“自在”に観る
ことができる
という意味です。
観音さまのことを
称して
“観自在菩薩”と
言っています。
観音さまは
万象万物を
“自在”に
観ることができるので
“観自在菩薩”と
呼ばれているのです。
それでは
“自在”という
意味はと言いますと、
これも文字通り
在るがままの
自分のことです。
その在るがままの
自分こそ
真なる自分です。
真我のことです。
仏性とも言います。
在るかままの
自分の本源を
内在されている
観音さまにとっては、
万象万物をも
観とおすことは
いとたやすい
ことであります。
もう一つ
“融通無碍”
(ゆうづうむげ)
という言葉が
あります。
この言葉も
仏教用語です。
“融通無碍”の意味は
“融”は溶け合う
“通”は通る・通じ合う
“無碍”の“碍”は
碍り(さわり)・障害
妨げるですので、
“無碍”は
妨げるものが無い
ということです。
宇宙の万物は
それぞれが
孤立している
存在ではありません。
互いに
関係を保ちつつ、
よく調和して
いるのです。
別々のものが
溶(融)け合い、
通じ合い、
両方が相俟って
完全(無碍)なものと
なることを言います。
他を生かし
自らも生かす関係
まさしく
Win-winの関係で
あります。
無碍ですから
妨げるものがない
わけですから
“自由自在”で
あるわけです。
“融通無碍”と
“自由自在”は
同義語ということ
になるのです。
一切の
執らわれや
こだわりから、
自由になっている
境地とは
“解脱”した人の
境地です。
覚った人です。
人間の真の目的は
すべてこの一点に
集約されてきます。
ということは
覚るということは
“自由自在”
“融通無碍”
になることを
もって
果たしていくので
あります。
つい最近
ディズニーの
「アナと雪の女王」
(Let it Go)
という映画が
大ヒットして
いました。
私は、まだ
観てはいませんが
あの主題歌である
「ありのままで~」
は大好きです。
その歌詞には
「ありのままの
姿見せるのよ。
ありのままの
自分になるの。」
と歌っていますが、
作詞者の真意は
兎も角として
私たちの
在りのままの姿とは
無限なる
永遠なる
愛であり
生命であり
喜びであり
智慧であり
力であり
供給であり
調和であります。
在りのままの
自分になることが
唯一
私たちにとって
向かうべき道であり、
生きる意味でも
あるのです。
生かしていただいて
有難うございます。
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角田 政治
携帯番号:080-3085-4801
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