2014年9月19日金曜日

“無常観”とは9

昨日は
沈中記の故事
邯鄲の枕を
紹介しつつ
“無常観”を
観じて
いただきました。
 
邯鄲の枕は
盧生の夢
一炊の夢
とも称されますが
 
“無常”を
表現するのに
よく夢を引用する
ことが多いです。
 
人生とは
夢のような
ものだと言う
ことなのでしょう。
 
その
夢の中にあって
競い合い
戦い合って
 
そして
必ず喪うものを
求めて
貪り
妬み
嫉み
怒り
恨んで
そして
必ず死んで
逝くのが
私たち人間の
一生です。
 
人に夢とかいて
儚いと書くが
如きであります。
 
室町時代
京都嵯峨に
天竜寺を開山した
夢想国師と言う方が
おられました。
 
その夢想国師の
エピソードを
お話しながら
今日も
“無常観”について
考えていきます。
 
夢想国師が
お弟子さんを連れて
乗合船に乗って
天竜川を渡って
いる時のことです。
 
その乗合船の中で
酔った浪人士が、
皆で気勢を上げ、
大きな声で大騒ぎを
しています。
 
その乗合船に
乗っている
多くの乗客は
言うに言われず、
ただただ、
恐怖でおろおろ
するばかり。
 
そこで
夢想国師は
「お侍さん、
もう少し、
お静かになさって
ください」と
優しく声を
かけたのです。
 
すると、
いきなり
一人の浪人士が
 
「何をこの坊主、
わしに説教する
つもりか!」
 
と持っている
鉄扇を思い切り
夢想国師の
眉間めがけて
打ち下ろしました。
 
師の眉間から
鮮血が
飛び散るのを見た
弟子達は、
今は出家して
僧侶の
姿をしていても、
昔は
「北面の武士」
といわれる、
名だたる武士たち
でありました。
 
「おのれ、
お師匠様に何事か!
成敗する。」
と息巻きました。
 
国師夢想は
その
弟子達を制して
 
「お前達は、
忍辱の修行を
何と
心得ているか!
 
口先ばかりの
忍耐であっては
ならぬ!
 
これくらいの
ことで、
忍耐が
切れるならば、
仏道修行は
とてもつとまる
ものではない!」
 
と戒めたのです。
 
その時に詠ったのが
この歌であります。
 
「打つ人も
打たるる人も
もろともに
ただひとときの
夢のたわむれ」
 
「相手を責めて
傷つける人も
 
責められて
傷つけられる人も
 
ともに
夢の中の戯れに
過ぎないのだ。
 
勝った負けた
誉められた
謗られたと
 
繰り返しながら
ともに
短く儚い
人生は
終わって
しまうのだ。
 
そういう
儚い一生を
怒りにまかせて
終わって
しまっては
何のための人生
であるのか!と
 
戒められた歌なのです。
 
この歌を聞いた
国師夢想の
お弟子たちも
狼藉を働いた
浪人士たちも
その場で
懺悔の涙を
流したと
言います。
 
そして、
その浪人士たちは
請うて
国師夢想の弟子と
なったと
言われています。
 
お釈迦さまも
こう言われて
おります。
 
「勝つものは
怨みを受け、
敗れるものは、
悔しさに
夜も眠れぬ。
勝敗を離れた
ものこそ
心安けれ!」
 
このように
自らを
振り返り見ても
 
勝っても
負けても
損ばかりで
千に一つの得も
なかったと
感じ入ります。
 
勝っては
自惚れを生み
自壊の因(タネ)を
つくります、
 
負けては
瞋恚を生み
破壊の因(タネ)を
生みます。
 
誰かが言いました。
振り上げた拳は
地獄(不幸せ)の
姿!
 
それが合掌になれば
極楽(幸せ)の
姿!
 
私たちは
“無常”を
感じる心こそ
もっと
養わなければ
ならないのでは
ないでしょうか。
 
生かしていただいて
有難うございます。
 
 
*****************************************************
角田 政治
携帯番号:080-3085-4801

真理研究会:http://sinrikenkyu.jimdo.com/ 
Blog:「もう一つの今」http://sinrikenkyu.blogspot.jp/
*****************************************************

0 件のコメント:

コメントを投稿