2014年9月26日金曜日

“無常観”とは15

昨日は、
岸本英夫さんの
「死を見つめる心」
(がんとたたかった
十年間)
という本を題材に
“無常観”を
観じて
いただきました。
 
今日は
「大無量寿経」に
書かれている
下記の言葉から
始めたいと
思います。
お付き合いください。
 
「富有なれども
慳惜
(けんじゃく)し、
(あ)えて
施与せず。
 
宝を愛して
貪ること重く 
心労し身苦しむ。

是の如くして
(おわ)りに
至れば 
恃怙 (じこ) 
する所無く、

独り来たり
独り去りて 
一つも随う者無し。」
 
お寺の門のところに
良く書かれて
います。
 
「独来 独去
無一隋者」と
書いてあります。
 
眼にしたことが
ある方も多いと
思います。
 
「慳惜とは
もの惜しみする心。
吝嗇(りんしょく)
も同じ意味です。
 
恃怙とは頼むこと、
頼りとすること。
富裕家でありながら、
もの惜しみする
心があって、

他の人には
施しひとつも
することもなく、
財宝を愛し
財への執着が強い、
そうすると
自身の心労が
重なるものである。
 
そうして
人は一生を
終わっていく
いかなる財宝も
死んで
あの世へまで
持ってはいけない。
頼みにしても
頼りには
ならないのだ。
 
結局は
(この世は)
独りで来て
独りで去って
いかなければ
ならないのだ。
(身体も財産も
家族でさえも)
一つも
随うことは無いのだ。
(人が死んで
あの世へ
持っていけるのは、
心だけなのだ。)」
という意味で
あります。
 
「雑阿含経」の中に
“四人の妻”を持つ
大富豪の話が
あります。
上記と共通した
お話ですので、
シェアしてください。
 
「大富豪には
四人の妻が
ありました。
 
第一の妻は
片時も離れず
寵愛し、
何をするにも一緒、
寝食をも、ともに
していました。
 
第二の妻は
第一夫人ほどでは
ありませんが、
人と競い、
争ってまで
獲得した妻で
あるので、
可愛がっていました。
 
第三の妻とは
頻繁に会う
ことはなかったが、
時々会っては、
共に、
喜びや悲しみを
分かち合って
いました。
 
第四の妻は
常に夫を支え、
献身的に尽くして
いました。
まるで奴隷の如く、
夫のために
働きすくめでした。
 
しかし、
大富豪の夫は
第四夫人を
一切
かえりみようと
しなかったのです。
 
あるとき
この大富豪に
不知の病が
襲ってきました。
 
いよいよ病に伏し、
刻々と迫りくる
死の恐怖に
毎日が
恐ろしくて
恐ろしくて、
いてもたっても
いられなく
なりました。

そこで、
第一の妻を呼び、
 
「自分の死出の
旅立ちに一緒に
きてくれないか」と
頼んだのです。
ところが、
あっさりと
断られて
しまいました。
 
次に、
同じように、
第二の妻にも
頼んでみたのですが、

「第一夫人が
断っているのに
どうして
私が行けましょうか。」
とまた
断られて
しまいました。
 
その次の第三の妻
に頼んだら、
 
「私は大変お世話に
なりましたから、
ご恩は、決して
忘れることは
ありません。
 
村はずれの
火葬の場までは
同道させて
いただきますが、
それ以上は
ご勘弁願います。」
と結局、断られて
しまいました。
 
最後は仕方なく
第四の妻に
頼んでみたところ、
 
「私はあなたに
いつも虐げられ、
大切に扱っては
いただけません
でしたけれども、
 
私とあなたは、
切ることの
できない関係です。
何処までも
御同道いたします。」
 
と言って
くれたのです。
 
男は今まで
一番大切に
してこなかった、
第四夫人を
伴って、
後生へ旅立って
いったのでした。』
 
こもお話は
何を例えている
のかと言いますと、
 
この大富豪は
私たちのことです。
“死”は100&
そこまで
やってきている
未来であります。
 
そして、
第一の妻とは
自分の肉体のことを
言っています。
 
肉体は、死んだら
焼き場に持って
行って
焼かなければ
なりません。
持って行くことは
できません。
 
そして、
第二の妻とは
金銀財宝のことです。
地位や名誉なども
入ります。
 
人と競い争ってまで、
手に入れたもの
ではありますが、
持っていくことは
できません。
 
第三の妻とは
家族のことです。
夫や妻、両親、
子供達また友人も
入ります。
 
どんなにお世話に
なったと言っても
誰一人ついてくる
ものはありません。
 
それでは、
第四の妻とは
何でありましょう。
 
私たちは
健康であった日々、
一切
かえりみようと
しなかった。
大切に扱わなかった
ものとは、
 
それは
心であります。
自分の魂のことで
あります。
 
心だけは、
私たちに
常に寄りそうて、
共に在ってくれる
のです。
 
本当に何を大事に
しなければ
ならないのか、
考えねばならない
ことであります。
 
曹洞宗の開祖である
道元禅師の
「正法眼蔵」を
抜粋して
全5章31節に
まとめた
修証義の中に
 
「己れに
随い行くは
只是れ
善悪業等のみなり」
とあります。
 
結局は
因果の道理に則って
自らの
念じた念い
出した言葉
為した行為が
善悪の業力となって、
永遠の生命の中で
自らのタネと
なっていくのです。

たとえ多くの
金銀財宝持った
ところで、
 
冥土へは
携えていく事は
出来はしません。
 
人は人それぞれに
別人格があり、
それぞれの
人生があるのです。

私たち、
それぞれが
独り生まれ来たり、
そして独り死に往く
存在なのです。
 
生きているうちに、
自らを見つめ
“死”に臨むものは
よく生を
見つめるものです。
 
心しておきたい
ことであります。
 
生かしていただいて
有難うございます。
 
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角田 政治
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