2014年9月25日木曜日

“無常観”とは14

本日は
岸本英夫さんの
「死を見つめる心」
(ガンとたたかった
十年間)
講談社文庫
を共有してください。
 
岸本英夫さんは
1903-1964
元東京大学教授で
宗教学者を
していた方です。
 
岸本教授が
ガンの宣告を
受けたのは
1954
スタンフォード大学
客員教授として
アメリカに滞在中に
あごの下にできた
しこりを
摘出したあと、
病院を訪れた時、
増殖性の腫瘍と
診断され
余命半年を
告げられたのです。
 
以後、10年間に
及ぶ闘病生活を
送りながら
1960年には
東大附属図書館長に
就任し、
精力的に仕事を
続けられました。
その間の
“死”に直面した
自己の内面を
冷静に捉え
描写してくれて
いる本です。
 
抜粋させて
いただきます。
シェアしてください。
 
死は、
突然にやってくる。
思いがけない時に
やってくる。
いや、むしろ、
死は、突然にしか
やって来ない
といってもよい。
 
いつ来ても、
その当事者は、
突然に来たとしか
感じないのである。
生きることに安心
しきっている心には、
死に対する用意が、
何もできていない
からである。
 
(中略)
 
死に直面すると、
あわてふためいて
なすところを知らない。
死は、
来るべからず時でも、
やってくる。
来るべからず場所にも、
平気でやってくる。
 
ちょうどきれいに
掃除をした座敷に、
土足のままで、
ズカズカと
乗り込んでくる
無法者のような
ものである。
それではあまり
ムチャである。
しばらく
待てといっても、
決して待とうとしない。
人間の力では、
どう止めることも、
動かすこともできない
怪物である。
 
(中略)
 
癌の宣言は、
私にとって、
全く思いがけない
ことであった。
寝耳に水であった。
その場では、私は、
自分にとって
非常に重大なことを
知らされていることは
わかりながら、
その事柄が、
あまりに重大なので、
そのほんとうの意味が
良く理解できない
というような、
戸惑った
気持ちであった。
病院からの
帰りの自転車の中で、
ふと気がついて見ると、
自分の心はすでに、
異様に緊張して
いるのを知った。
ほんの一時間ほど前、
病院に向かう時には、
冗談でもいえそうな
ゆったりした気持ち
であった。
同じ自転車に
乗っていながら、
今は、全く、
別人のような気持ちに
なっている自分を
見出した。
・・・
ソファーに
腰を下ろしてみたが、
心を、
下の方から押し上げて
くるものがある。
よほど、気持ちを
しっかり
押さえつけていないと、
ジッとして
いられないような
緊迫感であった。
われしらず、
叫び声でもあげて
しまいそうな
気持ちである。
いつもと変わらない
窓の外の暗闇が、
今夜は、
えたいのしれない
かたまりになって、
私の上に襲
いかかって来そうな
気がした。
 
(中略)
 
死の苦しみについて、
人々が、
まず思うのは、
死にいたるまでの
肉体的な苦しみである。
高い熱が
いつまでも続く。
胸が、しめつけられる
ように苦しい。
呼吸が困難になる。
そして、ついに、
断末魔の苦しみが来る。
口からはあわを吹き、
大小便を垂れ流して、
あえぎながら、
最後の息を引きとる。
思っても、
ぞっとすることである。

そこで、
死にいたるまでの
病の苦しみさえ
なければと、
人々は考える。
しかし、問題は、
それほど単純ではない。
死の苦しみの中には、
もっともっと、
深刻なワナが
かくされている。
肉体的な
病気の苦しみは、
かりにそれが
苦しくても、
それは、死にいたる
までのことである。
死そのもののもたらす
精神的な苦しみは、
別のものである。
死の苦しみは、
いわば二重の構造を
持っている。
途中の苦しみとは別に、
その奥に、もっと、
直接な、死自体の
苦しみが潜んでいる。
この2つは
混同されては
ならないのである。
死自体を
実感することの
もたらす
精神的な苦しみが、
いかに
強烈なものであるか、
これは、
知らない人が多い。
いな、むしろ、平生は、
それを知らないで
いられるからこそ、
人間は幸福に生きて
いられるのである。
しかし、
死に直面したときには、
そうはいかない。
 
(中略)
 
人間が、
日常の社会生活で、
社会的にも、
医学的にも、
生命の安全を
保証されて
生きている時は、
生命の餓えはない。
生命を満喫している
からである。
したがって、
生への執着は、
表面に出てこない。
人間は、
自分の命への執着が、
それほど
強烈なものである
ということすら、
意識せずにいる。
ちょうど、
食物をいっぱい食べて、
おなかがいっぱいだと
考えている時には、
食欲を全く感じない、
それと同じことである。
 
(中略)

健康な人間は、死が、
いつ来るかわからない
ということを忘れて、
その日その日を
暮している。
やがて死すべきものが、
いつまでも
死なないような気持で、
生きているのである。

その点では、
厳密にいえば、
人間の日常生活は、
一つのごまかしの上に
営まれている。
 
(中略)
 
人間が、
ふつうに幸福と
考えているものは、
傷つきやすい、
みかけの幸福である
場合が
多いようであります。
それが、
本当に力強い幸福で
あるかどうかは、
それ死を直面した
場合に立たせてみると、
はっきりいたします。

(中略)

今まで、輝かしく
みえたものが、
急に光を失って、
色あせたものに
なってしまいます。
お金では、
命は、買えない。
社会的地位は、
死後の問題に、
答えては
くれないのです。
 
(中略)
 
死の問題は、
どうしても解かねば
ならない問題として、
人間の
ひとりひとりに対して、
くりかえしくりかえし
提起される。
どうしても
解かなければ
ならないけれども、
どうしても
解くことができない。
これは、
永遠のなぞとして、
永久に、
人間の上に
残るであろう。
 
いかがでした
でしょうか?
 
“死”を間近にした
人間の心境を
実感されたのでは
ないでしょうか?
 
生かしていただいて
有難うございます。
 
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角田 政治
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