本日も
“無常観”という
テーマで
進めて
まいります
一昨日の
内容は
この“無常”の
最終形である
“死”に臨んで
後生真っ暗な
“無明の闇”
のまま
自らの心に
去来するものは
お釈迦さまが
仰られた
言葉として
大無量寿経に
書かれて
いるところの
後悔と怖れが
代わる代わるに
私たちを
占有するのです。
因果の道理に
則って
人生を見つめて、
今という
この時に
“死”を良く
見つめて
“無明の闇”を
破すること
“破闇満願”に
至ることをもって
心は明るく
晴れ渡り
大安心
大満足の身に
なれるので
あります。
そして、
人間に
生まれてきて
良かった。
生きてきて
良かった。
という
絶対の幸福である
生命の歓喜に
到るのであります
。
そこに至るには
自らを知るという
作業は
欠かせないのです。
“汝自身を知る”
ことを持って
初めて
自己の喜びの
源泉に触れる
ことが
できるのです。
そこまで
共に
生きる意味
について
考えていきたい
と思います。
“無常観”とは11
では
豊臣秀吉さん
をはじめ
戦国武将の
辞世の句を
紹介しましたが
あの短い
字句の中に
人生の一生の
縮図を
感じます。
どんなに、
この世で
最高と言われる
権力を持って
栄耀栄華を
独り占めをした
人生を送ったと
いっても
その人生の
最期は
「すべてが
夢まぼろし
であった。
何もかもが
儚く消え去る
ものであった。」
と一様に
語っているのです。
どんな人生を
送ったとしても
最期は
自分の生きた
足跡を
辿らなければ
ならない時が
来るのです。
天下人
豊臣秀吉と
謂えども
臨終にあたって
知らされたのは
ただただ、
後生暗き人生と
言わざるを
得ません。
そこには
人生の平安も
喜びも
微塵もないので
あります。
それとは
対照的に
人生“無常”を
若くして観じ
“死”の問題を
仏道に
その解決を
求めた
人たちの
“死”に臨んでの
覚悟は見事で
あります。
後生が明るいから
さっぱり
しています。
執らわれの心が
ありません。
死に臨んで
余裕があります。
残されたものに
慈しみをもって
接しています。
鎌倉時代中期の
僧侶で
時宗の開祖である
一遍上人の
51歳
辞世の
句であります。
「わが亡骸は
野に捨て、
獣に施すべし。」
簡潔です。
何の執着も
ありません。
親鸞聖人は
京都で
90年の生涯を
閉じられました。
そのご臨終には
末娘の覚信尼や
わずかな弟子が
立ち会いました。
親鸞聖人の
ご遺言は
『ご臨末の御書』
にこう
書かれています。
「我が歳
きわまりて
安養浄土に
帰還すというとも、
和歌の浦曲の、
片男波の
寄せかけ寄せかけ
帰らんに同じ。
一人居て喜ばは
二人と思うべし、
二人居て喜ばは
三人と思うべし、
その一人は
親鸞なり。
我なくも
法は尽きまじ
和歌の浦
あおくさ人の
あらんかぎりは」
その意味は
「和歌山の
片男波の海岸に、
波が
寄せては返し、
寄せては
返すように、
親鸞も一度は
浄土に往生するが、
すぐこの
娑婆世界に
帰ってきて、
苦しむ人々に
阿弥陀仏の
“すべてを
救い摂りたい“
という本願を
お伝えするぞ。
だから一人で
仏法を喜んで
いる人は、
二人だと
思いなさい。
二人で喜んで
いるのならば
三人だと
思いなさい。
そのもう一人は
親鸞のことだよ。
(いつも
共にあるよ!)
私が死んでも
仏法は永遠に
尽きることはない
苦しみ・悩む
衆生がいる限り、
永久に続くのだよ
(だから
安心しなさい)」
死して尚
救世の情
止みがたく
力強い言葉と
大慈悲心を
残して
いられるのです。
また、
親鸞聖人は
常に
「私が死んだら、
加茂川へ捨てて
魚に食べさせよ。」
と仰って
いたことが
覚如上人の
「改邪鈔」
(かいじゃしょう)
に記されています。
一遍上人と
相通ずるものが
あります。
空海さん
(弘法大師)
はというと
これは
辞世の句
というより
死の予言とも
言うべき
お言葉を
残されております。
「吾れ入滅せむと
指定するは
今年
寅の刻なり、
もろもろの
弟子達
悲泣すること
なかれ。」
そして
予告どおりの
時刻に没した。
と語られています。
承和二年(835年)
空海さんは
和歌山の
高野山にて
お亡くなりに
なりました。
このように
ご自身の
“死”の予言まで
されて。
「今から
言っておく
その日に死ぬの
だから
お前たち
悲しむのでは
ないそよ。」
とお弟子さんたちに
仰るのですから
余裕綽々ぶりを
感じます。
“死”に際して
そうありたいと
思うひとりで
あります。
皆さんは
いかがでしょうか?
見事としか
いいようが
ありません。
「後悔を
先にたたせて
歩いてみれば
杖を突いたり
転んだり!」
誰が言ったか
わかりませんが
古今亭志ん生が
よく落語の中で
言っていました。
言い換えて
「“死”を先に
たたせて
眺めてみれば、
ほんに“死”は
すぐ
そこじゃった!」
冗談ではなく
これが真実では
ないでしょうか!
今日死ぬとして、
後悔がないように
するためには
今日、どう
生きましょうか?
生かしていただいて
有難うございます。
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角田 政治
携帯番号:080-3085-4801
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