今日は、
仏教の“無常観”
について
親鸞聖人の
幼いときの
あるエピソードを
紹介しながら
共有して
いただきたいと
思っています。
親鸞聖人は
800年程前の
鎌倉時代の方で
あります。
貴族の出自で
ありましたが、
4歳のときに
お父さまの死に
会われ
8歳のときには
お母さまも
死んでしまいます。
父母の死を
目の当たりにして
幼い親鸞聖人に
強烈な“死”への
恐怖や不安が
もたげて
きました。
「今度は
私が死ぬのでは
ないか!」
それからの
幼い親鸞聖人は
「死んだら、
どうなるのか?」
[死ぬと
言うことは
どんなことだろうか?」
「死ぬこととは
・・・・?」
“死”
ということが
寝ても覚めても
頭から離れる
ことがありません。
幼い親鸞聖人は
“死”を解決する
ためには
仏門に入って
学ぶしかないとの
思いに至り、
親鸞聖人
9歳のときに
仏門に帰依します。
その時の
エピソードが
さすが、
親鸞聖人が
親鸞聖人たる所以
であります。
人間としての
感受性が
優れていると
言わざるを
得ません。
親鸞聖人は、
慈鎮(じちん)和尚
の比叡山で
仏門に入る
最初の儀式である
「得度」の式を
あげて
もらったのですが、
慈鎮和尚から
「得度」の
許しをえて、
慈鎮和尚が
「それでは明日、
得度の式を
あげるとしよう!」
と言われたとき
幼い親鸞聖人は
その場に立ち
歌を詠まれました。
『明日ありと
思う心の仇桜
夜半(よわ)に嵐の
吹かぬものかわ』
という有名な歌です。
「明日あり」とは、
明日がある、
明日も
生きていられる
と言うことです。
「そう思う心は
本当なのですか?」
「本当に明日は
来るのですか?」
と問いかいけて
おられるのです。
9歳にして
もののあわれ
人生が無常であり、
明日と言う
言葉自体が
実体のない
ものである
ということを
見抜いていたのです。
早くして
両親を亡くされた
ことが
強烈に幼い
親鸞聖人の
小さな心に
どうしても
受け止めなければ
ならない事実として
覆い被さって
来られたのだと
思います。
「明日あり」と
思っていますが、
それは本当ですか?
その
「明日ある」と
思う心が仇と
なるのでは
ないでしょうか?
それを
無常なる代名詞
“桜”の花を
添えて“仇桜”と
歌っておられます。
今を盛りと咲く
この美しい
桜の花も、
「夜半(よわ)に
嵐の吹くものかわ」
夜半には、
一陣の嵐が吹いて
散ってしまいます。
自分の命と、
桜の花を重ねて、
人生の
儚さを、
歌にして伝えました。
そして、
「どうか明日と言わず、
今、得度の式を
あげていただけない
でしょうか」
と、慈鎮和尚に
お願いされたのです。
慈鎮和尚は
幼き身にして
これ程までに
無常を感じ入る
感性に驚かれ、
すぐ得度の式を
あげられたと
いわれます。
私たちは
人間は必ず死ぬ
ということは
理解していたと
しても、
しかしながら、
他ならぬ
この自分が死ぬ
ということを
理解していない人が
大半では
ないでしょうか?
もし、そのことを
理解している
少数の人であっても、
“死”に際して
何も備えていない
のでは
ないでしょうか?
“死”に備えるとは
お墓やお葬式の
準備のことを
言っているのでは
ありません。
ほとんどの人が
「“死”に
備えていますか?」
と、問いますと
「私は、大丈夫です!
お墓もありますし、
保険にもばっちり
入っているから!」
と言います。
それは
仕方ないことかも
知れません。
「“死”に
備えていますか?」
との質問が
それ以外の答を
求めているとは
露とも考えて
いないのです。
それでは
「明日は
生きていると
思いますか?」
と、質問すると
多くは
「わからないけれど、
多分、
明日は生きている
と思うよ!」
と答える人が
大半です。
そして、
それに付け加えて
60代の人に聞くと
「そんなに
長生きは
望んでいる訳では
ないけれど、
74,5歳まで
生きれればいいかな!」
70代の人に聞くと
同じように
「80ちょいまで
生きれば
上等じゃない!」
それでは
20代、30代の人に
聞きますと
「50歳以上は
生きたくないな!」
それぞれが
それぞれの
年代なりの
自分の生きる期間
というものを
言っていますが、
幼い親鸞聖人が
仰られたように
どの年代の方にも
「明日」は
保証されては
いないのです。
皆さまも
いろいろな
経験があるのでは
ないでしょうか?
もう20年以上も
昔の話ですが
私の初孫は
1歳に満たない
数ヶ月で
突然死で
この世を去りました。
このブログでも
書きましたが
女房には弟さんが
二人いましたが
一人は
3年9ヶ月前に
一人は
今年の6月に
共に50台で
癌で
亡くなられました。
87歳の母親を
残して。
“死”は順番には
やって
来ないのです。
そして
明日はないのです。
ニュースで
他人の“死”は
毎日見ています。
その人たちも皆、
死ぬまで
同じニュースを
見ていた人たちで
あります。
明日がないなんて
思ったことも
無かったと
思います。
そうして、
私たちは
“死”に備える
間もなく
死んでいくのです。
“死”に備えるとは
“死”に際して
後悔や
怖れがないように
備えよ!
と言うことです。
あなたは
今、突然“死”を
迎えたとしたら
どうでしょうか?
平安な心で
いられます
でしょうか?
それを常に
問いなさいと
いうことを
言っているのです。
そのことを
是非、考えて
欲しいのです。
本日は長く
なりましたので
この続きは
明日、再度
続けさせて
いただきたいと
思います。
生かしていただいて
有難うございます。
(つづく)*****************************************************
角田 政治
携帯番号:080-3085-4801
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Blog:「もう一つの今」http://sinrikenkyu.blogspot.jp/
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