2014年6月9日月曜日

「リーダーとしての資質とは!」

今、世界は
米・露・中の大国同士の
リーダー争いが過熱しており
その中で私たちが住む日本は
又、EUは又、その他の
アジアの国々やアフリカや中東の
国々の思惑が絡みあっているように
見えています。

それぞれの国のリーダーは
私たちをどこに連れて行こうと
しているのでしょう?

今こそ、リーダーの
資質の重要性が
問われるときもないのでは
ないでしょうか?

そこで、私の以前のブログにも
書かせていただきましたが
中国明代の著名な思想家である
呂新吾(りょしんご)さんに
再登場願ってリーダー論を
考えてみたいと思います。

呂新吾さんは
『呻吟語』(しんぎんご)という
有名なご著書を現わしています。

その中から
リーダーの資質としての
重要な性格として
以下のように述べられていますので
もう一度、振り返ってみたいと
思います。

現在の皆さまにも
大変役に立つ観点ですので
是非、共有していただきたく思います。。

深沈厚重是第一等資質

磊落豪雄是第二等資質

聡明才弁是第三等資質

深沈厚重
(しんちんこうじゅう)なるは、
是れ第一等の資質なり。

磊落豪雄
(らいらくごうゆう)なるは、
是れ第二等の資質なり。

聡明才弁
(そうめいさいべん)なるは、
是れ第三等の資質なり。

深沈厚重が、
リーダーとして一番重要な資質とは、
沈思黙考
いわゆる、深く静かに物事を考え、
重厚な性格を持っていることであり、
私利私欲を抑えた公平無私な
「人格者」でなければならない。

磊落豪雄が、
リーダーとして二番目に重要な資質とは
細かいことに拘らず、物事にもこだわらず、
つまり型にはまらない。度量が大きい性格を
もっている人物である。

聡明才弁が、
三番目の資質
いわゆる、リーダーとしての資質としては
一番優先順位が低いとしている。
頭がきれて、才能が有り、弁舌巧みな人物である。
と呂新吾さんは仰っています。

論語の中の泰伯第八の205にも
以下のように述べられています。

子曰、巍巍乎。
舜禹之有天下也。
而不與焉

子日(のたま)わく、
巍巍乎(ぎぎこ)たり。
舜(しゅん)・禹(う)の
天下を有(たも)てるや。
而(しこう)して
与(あずか)らず。

「孔子さまが仰るには、
何と(徳の高く尊い)立派なことであるか!
舜と禹が、天下を治めた方法は、
自らが、直接的に政治に関与せず、
有能な部下を信頼して任せきった所にある」
とあります。

古代中国では
理想的な君主として
尭(ぎょう)を含め舜(しゅん)禹(う)を
3人組と称します。

尭から舜へ、また舜から禹へ、
有徳の人へ帝王から禅譲で政権が
譲渡されたことから

孔子さまは
上記のことを述べられたのだと
思います。

その中の
舜と禹の聖王が天下を統治されたことは
「巍巍乎たり、
而して与らず」
と述べられているのです。

「巍巍乎たり」が
山の高さの偉大さのことで、
徳の高く尊いという意味で、
堂々として立派なものだと
仰っています。

そして
「而して与らず」
舜と禹は政治を独占しなかった。
磊落豪雄の臣下や
聡明才弁の臣下に
権限を預ける器量があった。
いわゆる、深沈厚重たる
第一等の人物であったのです。

特にこの論語の泰伯編は
泰伯(大伯)という
大変、徳の高い人物の名前を冠した編です。

有徳のリーダーとはどういうものかを
孔子さまが語っておられる編で
ありまして大変ためになります。

この泰伯さん自身も
下記のように語られています。
紹介します。

「泰伯は
それ至徳(しとく)と謂(い)うべきのみ。
三たび天下を以て譲る。民得て称するなし。」
とあります。

意味としては、
泰伯は徳の極致というべき存在である。
己の天下を譲って、絶対に
自分が取ろうとはしなかった。
泰伯の譲り方が
譲ったとわからないようなものだったので、
民衆も称することができなかった。

泰伯さんは
自我をコントロールすることができる
自分の中にある良心を開眼した方だと
思います。

泰伯さんのように
特に国を治めるリーダーとしての
立場を持ちながら
自分の美徳をひけらかすこともなく
民衆が気がつかぬまま
禅譲する見事な振る舞い。
まさに、深沈厚重たる
第一等の資質を持った人物です。

真に徳の高い人は、
自分のなす善なる行為を
喧伝する必要を感じない人物ですので、
慈善家として有名な人の中には
いないのかもしれませんね。

こういった
舜や禹、泰伯さんのような
深く静かに物事を考え、
重厚な性格を持っていながら、
私利私欲を抑えた公平無私な
「人格者」のリーダーの出現が
地球規模で待ち望まれているの
ではないでしょうか。

ただ、聡明才弁である
いわゆる、頭が切れて、
弁が立つ人物が第一等として
リーダーに据えているという
勘違いをしているが故に

今、世界が混沌としているのは
起こるべくして起こっている
出来事なのではないでしょうか?

聡明才弁は
官僚や各部署のリーダとしては
有能な資質かも知れませんが、

孔子さまは
論語の季氏第十六でこう仰っています。
「陪臣(ばいしん)
国命を執(と)れば、
三世(さんせい)にして
失わざること希なり。」

陪臣とは、官僚のことを指します。
官僚が国の政治を
取り仕切るようになると、
三代続くことは希である。
と述べております。

いわゆる
聡明才弁の資質の
限界を語ったものと思われます。

そして、
権力を失い
そこで磊落豪雄が割拠して
国の混乱が生じて
最後には
深沈厚重たる徳の高い人物が
国を治め、
聡明才弁の人物や
磊落豪雄の人物を
適材適所に配置し
権限を委譲して任せていくスタイルこそ
理想的ではないでしょうか?

今日は
呂新吾さんの
『呻吟語』のリーダーとしての資質を
論語の中の孔子さまの語られた
お言葉を交えて
みなさんに
共有していただきました。

生かしていただいて
ありがとうございます。