2014年6月16日月曜日

“子どもたちが教えてくれたこと”

昨日は知的障害のある方たちを

会社に積極的に受け入れ

生産性を高めている

森安英憲さんとの

メールを紹介しながら

お話を進めていきました。



今日からは、森安さんを

知るきっかけになった

山元加津子さん(通称かっこちゃん)

のブログに掲載された

森安さんの講演の内容を

紹介させていただきます。

この講演は3年前のものです。

(長いので数回にわたります)



この山元さんのことも

とても素晴らしい方なので

必ず紹介したいと思っています。



それでは心を込めて

お読みください。





“子どもたちが教えてくれたこと”

『私たちの会社は

平城宮跡朱雀門の隣にあります。

会社ができて36年になります。

社員は85名で、

障害のある社員が14名、

難病の社員が1名います。

私たちの会社は

ユニットバスを作っています。

工場で部品を作って、

建築現場で組み立てて作る

お風呂のことです。



人はみんな、

持って生まれた能力があります。

100点の人もいれば、

50点の人や30点の人もいます。

いろんな人がいるのがこの社会です。



私たちの会社には、

知的障害のある社員がいます。

彼らの能力は確かに低いかも知れません。

でも、私たちの会社は、

彼らが働くようになって、

50点や30点の人がいても、

今までと同じ、それどころか、

今まで以上の結果が出せるんだ

ということがわかってきました。



私が社員を採用するときの基準は、

「仕事にふさわしい人を採用する」

というものです。



普通の会社は、応募者を比較して、

優秀な者から順に採用します。

AさんとBさんが応募して、

AさんとBさんを比較します。

Aさんは優秀、Bさんは能力が低い。

満場一致でAさんを採用するのです。



でも私は、仕事とAさん。

仕事とBさんを比較します。

確かにAさんは優秀。

でもこの仕事では

Aさんは能力を遊ばせてしまう。

Bさんは能力が劣る。

でもこの仕事のレベルにふさわしい。

だからBさんを採用しようと。



その考えは今、

さらに進んでいます。

仕事を誰でもやりやすく

易しく変えていけば、

能力の低い人にも

働いてもらえる会社になるのだと。

逆に、能力の高い者しか

受け入れられない会社は、

働きにくい会社なのだと。



そして私たちは、

この会社に

知的障害のある社員を迎え入れてから、

それまで目の前にあったのに、

誰も気づかなかったことを、

たくさん教えられるようになりました。



今日はそんな彼らが教えてくれたことを

お話していきます。

この写真は私たちの会社の

知的障害のある仲間たちです。

また、毎年、

養護学校の知的障害のある子どもたちが、

職場実習に来てくれます。

障害あるみんなは、いつもいつも、

いろんなことを私たちに教えてくれます。

私は、この障害あるみんなのことを

たくさんの人に知ってもらいたくて、

こうやってお話させてもらっています。



私はある出会いから、

養護学校の知的障害のある

子どもたちと知り合いました。



障害のために、就職も難しく、

幸せとはほど遠い一生を送る子も

多いことを知りました。

私はその場で、

この子どもたちのために

仕事をしようと思いました。

会社で職場実習の提案をしましたが、

「知的障害者は何をするかわからん」

「うちの会社に知的障害者が働ける

職場などない」と言われました。



そんな中で初めての実習は行われました。

実習に来たのは

高校2年生の男女3人です。

そして、私の思いどおり、

この3人の子どもたちの活躍は、

社員たちの目を大きく変えてくれました。

今の私があるのは、

この子どもたちのおかげです。



ところで私は、こんな夢を持っています。

私たちの会社には、

知的障害がある仲間がいます。

この会社で、彼らが幸せに働いてほしい。

彼らが幸せに働ける会社は、

みんなが幸せに働ける会社です。



そして、この社会もそうです。

障害ある人たちが幸せに暮らせる社会は、

みんなが幸せに暮らせる社会です。

だから、誰もが当たり前に働ける会社に。

誰もが当たり前に暮らせる社会に。

それが私の夢です。



「障害者ってどんな人?」

障害者と聞くと、どんな障害か、

程度は、どんな行動をするのか。

そんなことを人は気にするものです。

その人のことを知るのに、

障害の種類とか、重さとか、行動特性とかが

真っ先に重要なことなのでしょうか?



私は未だにうちの社員たちの何が

障害なのかは知りませんが、

彼はこんなことが好き、

彼女はこんなすてきなところがある、

みんなこんなに一生懸命生きている。

そんなことを私は知っています。



この会社の社員で

知的障害のある留美さんです。

勤めて3年になります。

前に勤めていた会社では

「あんたら障害者なんて雇わんでもええねんで」

と言われていたそうです。

彼女が初めて会社に来たときのことは覚えています。

受付から電話がかかってきました。



「森安さん。用件が自分でわからない

という人が来てますけど」

留美さんが来たんだなと思って、

私は受付まで迎えに行きました。

留美さんは困ったように

受付簿の前に立っていました。



「留美さん、どうしたの?」

「・・・ようけんって・・・なんですか・・・」

「留美さん、用件というのは、

今日この会社に何をしにきたかということだよ」



「めんせつです」

「用件のところには、面接って書いてね」

「・・・めんせつ・・・かけません・・・」

「留美さん、ひらがなは書ける?」

「かけます」

「ひらがなで書こう」

留美さんは、ひらがなで「めんせつ」と書いて、

ようやく受付を通りました。



そして面接をしたのだけど、

私はこの仕事を始めたことを後悔しました。

なぜといって、

留美さんはとっても小さくて、

とってもみすぼらしかったからです。

こんな人がうちの会社で働けるわけがない。

そう思いました。



でもとにかく、

実習をして決めようということで、

4日間の実習をしました。

仕事の覚えはとても遅かったのだけど、

2日目ぐらいには、

私は彼女を採用しようと決めていました。

それは、彼女は何をやっても絶対に、

あきらめるということをしなかったからです。



夕方に、

「留美さん、ご苦労さん。

また明日がんばろう」、

そう言うと、

彼女は材料を家に持ち帰って

家でも練習しました。



ご家族が見るに見かねて

「今日はもうそのくらいにしといたら」と言っても、

彼女はやり続けたといいます。

その気持ちがあれば、何でもできるのだと、

私は思いました。



こんなこともありました。

50枚ロットで仕上げていく製品です。

やっと50枚できたので、

「留美さん、ひと山できたよ。数かぞえてみて」、

そう言うと、留美さんは、

「・・・10、11、12、13・・・・・・

わかりません・・・」



「え?もう一度かぞえてみて」

やっぱり留美さんは、

「・・・12、13・・・・・わかりません・・・」



「じゃあね、留美さん。

10まで数えたら、また1から数えよう」

そうやって、10ずつ、5回数えて、

留美さんは50がわかりました。



入社してからも引き続いて、

留美さんと私は朝から夕方まで、

作業の習得をしていました。

研修期間が終わっても、

彼女が達成できた作業スピードは

たったの30%でした。



それでも私は手を放して、

彼女を製造現場に入れました。

1か月がたち、3か月がたち、

少しずつだけど確かに彼女は成長していました。

そして6か月がたったとき、

彼女は一人前の作業者になっていました。



それだけではありません。

彼女は見違えるように、明るくきれいになりました。

初めて会ったときのことを思って、

人はこんなに変わるんだと、私は思いました。

・・・・・

続く