2014年6月7日土曜日

“死”の持つ意味について5

昨日は、
仏教の“八識”について
“死”の持つ意味並びに
永遠の生命である
阿頼耶識を中心に学びました。

私たちの実相は
永遠の生命であります。

永遠や無限の存在とは
一つ前の前生とか
その前の前々生とかではなく
何十億年前なのか
何兆億年前か解りませんが
永遠なのです。

すべての過去世の中での
自らのすべての行為が
私たちの消えることのない
不滅の阿頼耶識に、
不滅の業力がおさまっていて
「業種子」として残存しているし、
今日からの為した行為も
この阿頼耶識におさまって
いくのです。

これは真剣に考えれば
考えるほど又、
この事実を知っているのと
知らないのとでは
さらに、
これを信じるのか、
信じないのかは

これからの
私たちの人生にとって、
何よりも重要でありましょう。

こんな重要なことを
2千年以上も前に説いている
仏教に縁を持てたことは
大変な喜びであり
稀有なことだと思います。

もし、私たちの人生が
この世限りであるとするならば

「どうせ死んでいくのだから
自分の好きなことだけを
やりたいことだけをやり
この世を楽しめばいいのだ!」

「悪いことをやったて
ばれなければ、いいじゃないか!」

「努力しても無駄さ!
疲れるだけだよ!
苦しければ、死んだ方がマシだ!」

というような
享楽的・厭世的・
自己中心的な
我利我利亡者の考えを
助長していくことにも
繋がっていきます。

若い頃は私もそうでした。
しかし、悪いことをしたら
心の奥底から、何とも
言えないいやな気持ちが
湧いてきたでしょう!
人を殴って傷つけて
楽しい気持ちがありましたか?
決まって、後味の悪い
心持ちが現れてくるのです。
それは、誰にでも起こるのです。

そのサーモ・スタッタを
働かせているのが
内在する正しいモノサシなのです。
そのモノサシに素直に従うのです。
ただ、突っ張って無視して
その時の粋がりにしか
過ぎないのです、

真実は自分の内に
永遠の智慧・無限の叡智が
眠っているわけですから
ただ、目覚めればいいのです。
目覚めるためには
神仏の性格無比なモノサシに
照準を合わせることです、

私たちが肉体を持っている間
煩悩は無くなることは
ありません。
その中で最も毒になるのは
心の三毒といって
貪る心・怒りの心・愚かな妬みや
嫉みや、恨みの心です。

もし、その心が起こってきたら
一拍おくのです。
その心は自我が
引き起こしています。
一拍おくことによって
呼吸が変わります。
内在するもう一つの
真我なる自分に登場願うのです。
「ウェイクアップ!」と
意識を向けるのです。
意識の方向を転回するのです。
これは効果がすぐ現れます。

今日から実行してみてください。

それでは“死”について
“八識”を通して
私たちが必ず迎えなければ
ならない臨終のすがたを
三段階に分けて詳しく教えていますので
それを紹介します。

三位の臨終の教えです。
三位とは三段階のという意味です。

一つ目は
「心明了位」
(しんみょうりょうい)の
臨終です。
この段階の臨終は
前五職の臨終のことです。
前五職は
眼・耳・鼻・舌・身の
五感の心のことであって
前五職が臨終を迎えても
まだ、意識が明らかで
わかる段階なので
心明了位といわれます。

意識は明らかでも、
前五識が
臨終を迎えていますので、
つねっても痛くないし、
もう名前を呼んでも
聞こえない状態です。

次は「身体愛法位」
(しんたいあいほうい)の臨終です。
この段階が意識の臨終です。
意識が臨終を迎えて、
この世と別れて
行かねばならないということです。

この心明了位と身体愛法位に
向かう間は
人によって時間の感覚が
違ってくるといわれています。

この世的な捉われが多い方と
執着の少ない方とは
大分違うといわれています。

その時の心の様子を
お釈迦さまが
お説きくださったのが
何回か紹介しました
下記の一行です。

大命将(だいみょうまさ)に
終らんとして
悔懼(けく)
交(こもごも)至る。
(大無量寿経)

今まで自覚なくやってきた
恐ろしい罪悪
一体自分は今まで
何をやってきたのだろう。
お金や財産を
手に入れるために
一体どんな罪悪を
つくってきたのか
一体自分はこれから
どこへ行くのだろう?
後悔と怖れがかわるがわる
現れてくるといわれています。

また、蓮如上人は臨終の際の
心のすがたを

まことに死せんときは
予てたのみおきつる妻子も財宝も
わが身には一つも
相添うことあるべからず。
されば死出の山路のすえ
・三塗の大河をば、
唯一人こそ行きなんずれ。        
(御文章)。

とこのように仰っています。

いよいよ自分が
死んで行かねばならない
瞬間に思うことは
今まで信じてきた妻や子
今まで築き上げてきた
財産や地位や名誉を
一切を投げ捨てて
死んで行かねばなりません。
「自分の人生は
一体何だったんだろう。」

たった一人で、
真っ暗な後生へと入って
行かねばならないのだと
教えられています。
生木を引き裂かれるような
激しい苦しみが起きるのだと
教えられています。

そして最後は
「心不明了位」
(しんふみょうりょうい)の臨終です。
この臨終こそ
阿頼耶識が転生する
ということです。

以上三段階の臨終を
ご紹介しましたが
この教えを唯、読み
流すのではなく
自らの心に強く
問うべきであります。

そして、なるべく
悔いの無い人生
怖れることのない人生を
意識していこうでは
ありませんか>

今、この瞬間
今日という日をさかいに
自覚することです。

あなたの“死”はいつ
訪れかわからないのです。

今日があなたの最期の日かも
知れないのです。

生かしていただいて有難うございます。

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角田 政治
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