2014年9月29日月曜日

“無常観”とは18

今日も
“無常観”について
考察します。
 
キューブラ・ロス
女史の
ベストセラー
「死ぬ瞬間」を
元に
進めていきます。
 
ロス女史は
余命幾許もない
臨死患者に
立会い寄りそって
来た経験を通して
“死”を
ターゲットにおいて
人間の心が
どのようにして
“死”を受容
していくかという
研究を
された方です。
 
ロス女史の
「死の受容
プロセス」の5段階
があります。

1.否認と孤立  
2.怒り  
3.取引  
4.抑うつ 
5.受容  
 
この5段階の
プロセスは、
キューブラ・ロス
モデルとして
“死”に直面
している患者の
精神的ケアとして
参考に
されています。

それでは
参考までに
その5段階モデルを
紹介します。
 
第一段階は
「否認」です。

末期患者であると
知らされたとき
そのショックを
まともに
受けたくないため
自分が“死ぬ”
ということは
嘘ではないのか
と疑う段階である。
まず、否認が
起こるのだそうです。
 
第二段階は
「怒り」です。
 
“死”の現実を
いよいよ
認めなければ
ならない
と言うときになると、
なぜ自分だけが
死ななければ
ならないのか
 
という怒りや恨み
つらみの心が
湧いてきて、
 
その心を
周囲の家族や
看護師さんたちに
向けるという
段階である。

第三段階は
「取引」です。
 
取引と言う概念は
日本人には
馴染みのない
感じがしますが。
 
何かにすがろう
という
心理状態のことで
あります。
神や仏や霊能者や
特効薬等々
なんとか死なずに
すむように
「全財産と引き換え
でもいいから、
命だけは助けて
ください。」
と取引をしようと
試みる段階
と言うことです。

第4段階は
「抑うつ」です。
 
上記三段階の
プロセスを経て
一切がもう無駄で
あることを知る
段階に至り、
ますます衰弱と
無力感に
苛まれていきます。
心は絶望の中で
悲しみに
打ち震えるのだ
そうです。

そして、
第五段階の
「容認」に至るのです。
最終的に
自分が“死ぬ”
ということを
受け入れる
段階であります。
 
必ずしも
この五段階の
プロセスを辿るとは
言えませんが、
ロス女史は
下記のように
言っています。
著書を抜粋いたします。
 
『第1段階/否認と孤立 Denial

私たちは
死に瀕している
患者200人以上に
インタビューをしたが、
ほとんどの人は
不治の病である
ことを知ったとき、

はじめは
「いや、
私のことじゃない。
そんなことが
あるはずがない」
と思ったという。

誰にでも
最初に訪れるのが
この否認である。
患者は
診断を知らされると
不安になって
それを否認する
否認がとくに
顕著にみられるのは、
その患者のことを
あまり
よく知らない人や、
受入れの準備が
患者にできているのか
どうか考えもせず
早く
「片付けよう」と
思っている人から、
告げられるべき
時が来ていないのに
突然知らされた
患者の場合である。

少なくとも
部分的な否認は
ほとんど全ての
患者に見られ、
病気の初期や
告知の後だけでなく
その後も
時おり見られる。

「われわれは、
太陽をずっと
見続けていることが
できないのと
同じように、
ずっと
死を直視している
ことはできない」

そういったのは
誰だったろうか。

患者はしばらくは
自分自身の
死の可能性に
ついて考え込むが、
その後は生き続けて
いくために、
そういった考えを
捨て去る。

病院の
スタッフの中にも、
自分たち自身の
理由から
患者の状態を否認
している人がいる。
そういう
スタッフに対しては、
患者の側も否認で
応ずることが多い。

そういう患者は、
家族や
スタッフの中から
適切な人を選んで、
自分の病気や
迫りくる死について
話し合おう
とする一方で、
患者が
死んでしまうという
事実を
受け入れられない人
がいるときは、
元気になった
ふりをする
これが、
不治の病を
患者に告知すべきか
どうかをめぐって
意見が分かれる
理由の一つである。』
 
第二段階/怒り Anger

絶望的な知らせを
聞かされたときの
私たちの
最初の反応は
「いや
私のことではない、
そんなことは
ありえない」
というものだ。

この反応は、
私たちがやがて
理解し始めたとき、
「ああそうだ。私だ。
間違いなんかじゃない」
という新しい反応に
取って代わられる。

幸か不幸か、
自分は健康で元気だ
という偽りの世界
死ぬまで
持ち続けられる
患者はほとんどいない。

第一段階の否認を
維持することが
できなくなると、
怒り・激情・妬み・
憤慨が
それに取って代わる。
そして必然的に
「どうして私なのか」
という疑問が
頭をもたげる。
 "Why me? It's not fair!"
 "How can this 
happen to me?"
 "Who is to blame?"

(中略)

問題は、自分を
患者の立場に置いて、
この怒りが
どこから来るのか
考えられる人が
ほとんどいない
ということだ。

おそらく
私たちだって、
こんなにも早く
自分の人生が
中断されてしまう
としたら、
きっと怒るだろう。

一生懸命
貯めたお金で、
2、3年休みをとって
いざ旅行や
趣味などを
楽しもうという時、
「私にはできないのだ」
という事実だけが
立ちはだかったら
怒るだろう。

そういうことを
楽しんで
いそうな人に対して
怒りをぶつける以外、
私たちはどうしたら
いいというのか。

(中略)

怒りを
抱えている患者は、
どこを見ても
不満を感じる。
テレビをつければ、
楽しそうな
若者達のグループが
モダンダンスか
何かを踊っている。
そんな光景は、
動くと痛かったり、
なかなか
動けない患者を
苛立たせる。
西部劇を見れば、
人々が冷酷にも
撃ち殺された
というのに、
そのそばには
ビールを飲みながら
見物している
人々がいる。

患者の目には、
その見物人と、
自分の家族や
世話をしてくれる
スタッフが
同じように
思えてくる。

破壊、戦争、家事、
その他悲しい
出来事ばかりの
ニュースを聞いても、
それは
自分から遠く離れた
ところで起こった
ことだから、
一人ひとりの戦いや
窮状などには
興味も持てず、
すぐに忘れてしまう。

だからこそ患者は
自分が
忘れられていないこと
を確かめようとする
声をあげて叫ぶ。
要求する。
不平を言い、
注目を引こうとする。
おそらく
究極の叫びはこうだ。
「私は生きている、
そのことを
忘れないでくれ。
私の声が
聞こえるはずだ。
まだ
死んでいないのだ。」

(中略)

悲劇は、
私たちには
患者の怒る理由が
思い当たらず、
本来、
患者の怒りと
その対象となる人
とはまったく、
もしくはほとんど
関係ないのに
それを自分個人に
向けられたものとして
私たちが捉えてしまう
ことである。

スタッフや家族が、
患者の怒りが
自分に向けられたか
のように反応すると、
患者の側もますます
怒りを持って応酬し、
患者の敵対行動は
ますます激しくなる。

家族やスタッフは
患者を避けるために
面会や見周りの時間
を短くしたり、
論点が
まるで見当違いで
あることに気づかず、
自分の立場を
守ろうとして
不毛な議論をする
羽目になる。』
 
明日に続きます。
 
生かしていただいて
有難うございます。


 
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角田 政治
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2014年9月28日日曜日

“無常観”とは17

本日も
“無常観”とは
と言うことで
進めていきます。
 
“死”に臨むとき
人はどういう
心の状態に
なるのか?
人それぞれでは
あると思います。
 
伝えられている
有名な方の
“死”に際しての
実際の発言や
その時の様子を
何名か
紹介しつつ
今日も
“無常”
についての
考察をして
いきたいと
思います。
シェアしてください。
 
カール・マルクスさん
と言えば
彼の革命思想は
マルクス主義と
冠され、
彼の書いた
「資本論」は
マルクス経済学
とも呼ばれました。
 
共産主義の若者を
中心とした
バイブルとも
言うべき本です。
 
当然
唯物史観に
基いており
彼は
死後の存在などは
否定していました。
 
その
マルクスさんも
晩年は病気がちで
61歳を過ぎた頃
奥さんに先立たれ
又、その2年後には
長女も病死で
亡くなりました。
 
その長女の
後を追うように
2ヵ月後に
椅子に座って
死んでいるのが
発見されたのです。
 
その数日前に
弱っている
マルクスさんに
対して
家政婦さんが
 
「何か、臨終の
お言葉があれば
仰ってください。」
と頼んだのです。
その時の
彼がどうだったか
と言うことが
伝えられています。
 
マルクスさんは
家政婦さんに
向かって
 
「うるさい!
あっちに行け!
ここから
出て行け!
 
臨終の言葉だと!
そんな言葉
なんてものは、
充分に
言い足りなかった
馬鹿者どもの
ためにあるんだ!
出て行け!」
 
と結局
感情のまま
語ったこの言葉が
マルクスさん
64歳の
最期の言葉と
なったのです。
 
シャーロット・
ブロンテさんと
言えば、
あの何回も
映画化された
「ジェーン・エア」
の作者です。
 
フロンテさんは
38歳の若さで
妊娠中毒症にかかり、
突然亡くなった
そうですが、
 
死ぬ間際に
夫に向かって
こう語ったと
伝えられています。
 
「ねえ!わたしは、
死なないわよね!
 
私たちは
絶対に
離されやしない。
 
だって、
あんなに幸せ
だったんですもの!」
 
“死”を目前にして
この言葉も
“無常”に
響くだけです。
 
国木田独歩さん
と言えば
「牛肉と馬鈴薯」や
「武蔵野」といった
作品を
世に出した
小説家ですが、
 
彼の作家生活は
順風満帆に進んで
いました。
自からの名前を
冠した
独歩社という
出版社も作り
すべては
明るい未来に
覆われる筈でした。
 
しかし、
その独歩社は
破産の憂き目に
遭ったのです。
 
その後自身も
肺結核を患い
翌年36歳の
若さで
この世を去りました。
 
その二日前
独歩さんは
奥さんを目の前
にして
泣きながら一言
こう伝えたと
言います。
 
「急に、何だか
泣きたくなって
きたんだ!」と
弱弱しい声で
語ったのだそうです。
 
そして
いよいよ死ぬ
直前に
「アイスクリームを
食べたい!」
と言って
死んでいったと
いいます。
 
死に際しての
姿であります。
 
最後に
紹介するのは
有島武郎さんです。
 
有島さんは
志賀直哉さんや
武者小路実篤さん
たちと
同人「白樺」に
参加します。
 
彼らの作品は
白樺派と称され
一世を風靡します。
「カインの末裔」や
「或る女」が
代表作です。
 
彼は私生活では
38歳の時
妻と父を失い
作家活動を
精力的にこなし、
その6年くらい
に書かれた小説が
彼の主要な
作品と
なっています。
 
当時、
「婦人公論」の
記者であった
波多野秋子さんと
知り合い、
 
秋子さんが
ご主人がいる
身ながら
二人はただならぬ
関係になって
いくのです。
 
そして
その関係は
夫に
知られることに
なり、
 
二人はその時点で
既に離れ難い
身に
なっていました。
 
やむなく、
二人は
愛の逃避行を
しながら、
挙句の果てには
軽井沢の浄月荘
(有島さんの別荘)
で心中を
企てたのでした。
 
その時の
有島武郎さんの
遺書の一部です。
 
「愛の前に、
死が、かくまで
無力なものとは、
この瞬間まで
思わなかった。
 
恐らく
私たちの死骸は
腐乱して
発見されるだろう。」
 
と書かれていました。
 
丁度、6月の初めの
6月9日)の
出来事で、
発見されたのは
1ヶ月後(7月7日)
だったため、
二人の遺体は
相当腐乱が進み
遺書で本人と
確認されたと
言われています。
 
本人が言った
通りになりました。
 
この下りは
映画「華の乱」に
詳しく描かれて
いました。
 
このように
各人各様の
“死”の姿で
あります。
 
それぞれに
どう感じられた
でしょうか?
 
生かしていただいて
有難うございます。
 
 
 
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