2014年7月9日水曜日

みんな一つのいのちを生きている(2)


それでは早速
ゆうこちゃんのお話です。
共有してください。
「応援しています」という
タイトルです。


“応援しています。”
『特別支援学校の卒業生の
ゆうこちゃんから
泣きながら
電話がかかってきました。

「どうしたの? 何があったの?」
泣きじゃくる声から
ただ事でないと思って尋ねると

「かっこちゃん、
地震のテレビの女の子、
お母さんって呼んでたよ、
ひとりぼっちになったって
言ってたよ。
寒くて
お腹が空いたって泣いてたよ」
と言いました。

「ゆうこのご飯をあげたい。
ゆうこは食べなくてもいいから、
かっこちゃん、
持って行ってあげて。
かっこちゃんならできるでしょう?
お願いだからそうして、
あの女の子に
ゆうこのご飯をあげて、
ごはん食べてほしい」

ゆうこちゃんは
テレビに映っている映像を観て
泣いていたのです。

私はゆうこちゃんを
ぎゅっと抱きしめたかったです。

「ゆうこちゃん、私も昨日の夜、
スーパーで
食べ物を買って段ボールに詰めて、
東北のお友達に送ろうとしたけれど、
郵便局もコンビニも、
今は東北に送れないっていう
お話だったの。
でもね、他に方法を探しているよ。
ゆうこちゃんには、
ちゃんとご飯を食べてほしいの」

でも、ゆうこちゃんは
「みんなが食べていないのに、
ゆうこだけご飯食べられないよ」
と言いました。そして
「日本はどうなるの? 
日本はだめになっちゃうの?
ゆうこには何ができるの?
かっこちゃん教えて」
と言いました。

「日本はだめにならないよ。
ゆうこちゃんのように
みんながとても優しいから。
そして強いから、
日本はだめにはならないよ」

知らず知らずのあいだに、
私も泣いていました。

ゆうこちゃんに話しながら、
きっと私は
自分に言い聞かせていたのです。

「日本は優しい、
日本は強い、
だからだいじょうぶ。
日本はだめにはならない。
きっともっともっと
素晴らしい国となって立ち上がるよ。

今、つらく悲しい中におられる方、
すべての方がまた、
にっこり笑えるようになるよ」
と私はまた、
電話を切ったあとつぶやいています。

このごろは、眠っているのか
起きているのかよくわからない
ような中にいます。

きっとみなさんも
そうだと思うのですが、
被災されたみなさんのことが
頭から離れないのです。

どうして、つらい方を見たら
つらい気持ちになるのでしょうか? 
きっと私たちはみんな、
生まれる前から、
愛でいっぱいにできているのかな
と思うのです。

「あなたが悲しいと私も悲しい 
あなたが嬉しいと私も嬉しい」
そんなふうに
できているのかなと思うのです。

だって、みんなで
ひとつの命を生きているから・・・。
きっとそうだと思います。
日本中の人が、世界中の人が、
みんな思いをひとつにして、
被災された方のことを
思っていると思います。

脳幹出血で倒れた
親友の宮ぷーのところに、
毎日通っています。

宮ぷーもまた地震のことを
とても心配をしていました。

病院へ行くと、
私はその前の日に
愛知に行っていたので、
全然大丈夫なのに、泣き顔をして
「おかえり、ぶじに 
かえってこれてよかった。
とうほくのじしん ひがいすごいね」
と意思伝達装置
レッツ・チャットを使って言いました。

宮ぷーは脳幹出血で
口が麻痺をしていることや、
気管切開をしているために、
お話がまだできないので、
意思伝達装置でお話をしています。

宮ぷーはそして、
「つらいこと、
かなしいことがあっても、
いきていたらきっといつか
いいことがあるってぼくはおもう」
と言いました。
そして「いきていこうね」と言いました。

「生きていこうねって、
宮ぷーは誰に言ったの?」と言ったら、

「つらくて 
いきていることがなんて 
たいへんなんだろうと
おもっているひとに」と言いました。

宮ぷーが、今までも
本当に大変な中を生きてきて、
そして、今もやっぱり大変なことが
いっぱいあると思うけれど、
でも、きっといつかいいことがある
って宮ぷーが思っていて、だから、
「いきていこう」と思ってほしい
と思ったのだと思います。

脳幹出血は94パーセントの方が
48時間以内に亡くなってしまう
という病気だそうです。
宮ぷーも、
当初は3時間の命と言われました。

一生植物状態で四肢麻痺、
万に一つも意識が戻ることは
ないでしょうと言われました。
先生がそうおっしゃるのも
無理がないほどの大きな出血
だったのです。

内臓のどこも動いていなくて、
吐血や下血がありました。
汗もかけず熱は40度とずっと高く、
唾液はむせることなく肺へ流れこみ、
肺炎をおこしていました。

でも、多くの方が
宮ぷーを助けてくださいました。
毎日のように祈り続け、
多くの方が応援のメールを
送ってくださいました。

私もなぜか「だいじょうぶ」
と言う気がしてならず、
必ず宮ぷーは意識を取り戻すのだから、
そのときに、
意識が無い間のことを知りたいに
違いないからと、
毎日日記を書き続けていました。

8日目に宮ぷーの目が開いて、
うれしくてすぐに先生にお話したところ、
先生はすごく優しい先生でしたので、
私のことをとても気遣いながら

「残念ながらなぜか、
植物状態の人は昼間目を開けていて、
夜は目を閉じているんだよ」
と言われました。

でも、学校の子どもたちが
教えてくれたことは、
どんなに重い障害がある人も
必ず思いを持っていて、
あきらめなければ必ず
伝える方法はみつかるんだ
ということでした。

開いた目に自分の顔を写し込んで、
私は毎日、書いた日記を
読み続けていました。
そのとき、
気のせいだったかもしれないけれど、
私が話しかけると
宮ぷーの目の光が違うと思いました。

宮ぷーは全部わかってる。
けれど、脳幹の出血のために、
宮ぷーは手も足も指も、
目の玉さえ動かすことができず、
思いを伝える方法がないだけ
なのだと思いました。

やがて話しかけると、
宮ぷーの目の光が違っている
という思いは確信にかわりました。
宮ぷーも、なんとかして、なんとかして、
思いを伝えたいと思ったと思います。

一緒に思いを伝える方法を
さがしているうちに、
首が動き出し、手が動き出し、
そこでスイッチを押して、
レッツ・チャットという
意思伝達装置が使えるようになりました。

二年経った今、宮ぷーは、
口から食べる練習も始めています。
車いすにも乗り、こぐ練習を始めています。

宮ぷーが回復することは難しいと
言われていたころから、
宮ぷーの回復を信じて
映画を撮り続けてくださっている方がいます。
岩崎靖子監督です。

岩崎さんは、
宮ぷーの症状が重ければ重いほど、
回復は必ず
多くの方の勇気と元気につながるからと、
映画を撮ろうと
決意してくださったそうです。

その岩崎監督が、宮ぷーに
「いま、みなさんに伝えたいことは何?」と
インタビューで聞いてくださいました。

宮ぷーは「あきらめないで」と言いました。
宮ぷーは、回復を信じて前へ進めば
多くの方の愛の中で、必ずうれしい日が
訪れると教えてくれていると思います。

どんなことも
いつかのいい日のためにあるから大丈夫
と教えてくれていると思います。
最初は宮ぷーに
聞いてもらいたくて始めた日記は、
今はメルマガ
「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」
としてメルマガで発行させてもらっています。

読んでくださっている方は
4500人に増えました。
(2014年07月08日現在 参加者人数6540人)
そのみなさんもまた、
日本中、世界中がそうであるように、
心をひとつにして、
今は地震に遭われたみなさんのことを
応援しておられます。

ゆうこちゃんにお話したように
私もお伝えしたいです。

「日本は優しい、
日本は強い、
だからみなさん、だいじょうぶ。
けっしてひとりじゃないから、
いつも応援しているから」

今、つらく悲しい中におられる方、
すべての方がまた、
にっこり笑えるようになるように、
私たちみんなで
ずっと応援をしています。』
続く


いかがでしょうか?

かっこちゃんの
「日本は優しい、
日本は強い、
だからみなさん、だいじょうぶ。
けっしてひとりじゃないから、
いつも応援しているから」
が心に響きます。

「みんな一つのいのちを生きている」

かっこちゃんのメッセージです。

生かしていただいて有難うございます。

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