2014年7月13日日曜日

一つのいのちを生きている(6)

本日も山元加津子さんの
お話を連載します。
シェアしてください。
 
 
みかちゃんと宮ぷーの「はぁい」
5月の緑の美しさに
はっとします。
私の大好きな方に
室生犀星さんがいます。

「五月 
悲しめるもののために
みどりかがやく 
くるしみ生きむとするもののために  
ああ みどりは輝く」

犀星さんの詩に、
今、悲しくおつらい方が、
緑で元気を少しでも
もらわれたらなあと願うのです。

緑の季節になるといつも
思い出すことがあります。
もう何年も前の
5月の初めのことです。 

ある日突然、
みかちゃんが亡くなりました。

亡くなったその日も、
みかちゃんは変わらず
登校していたので、
知らせを受けても、
すぐには、
亡くなったという事実を
うけとめることが
できませんでした。

思えば、愛をいつも
いっぱいいっぱい
感じていたいという
思いであふれていて、
それから心の中が、
何かの原因で、
(もしかしたら、
原因さえもみかちゃん
自身はっきりしないの
かもしれませんが・・)
不安になり、
自分の頬を何度も繰り返し
強く殴ったり、
大きな机を
ひっくりかえしたり、
時にはそばにいる人の髪を
引っ張ってしまってでも、
どうにかして
その不安から抜け出ようと、
いつも戦っていた
みかちゃんでした。

みかちゃんのその行動は、
自分の不安を
打ち消すための
みかちゃんの持つ
大きな力であると共に
不安との戦いだった
と思います。
 
そして又、それは、
私達まわりにいるものに
対しての
「助けて」という叫び
だったようにも
私は思えるのです。

みかちゃんの行動は
どうしても、誤解を
生みやすかったと思います。

「もっともっと愛して、
私を不安から救い出して。」

という気持ちから
起こる行動なのに、
私達は、すぐに

《どうしたら、
みかちゃんの不安を
打ち消すことができるか。》

ということを考えずに、

《どうしたら、
みかちゃんは髪を
引っ張らなくなるだろう。
机をひっくりかえさなく
なるだろう。》

と考えてしまうのです。

それで、
「みかちゃん、だめでしょ。」
ときつく言ったり、
時には、髪を
引っ張られないようにと、
みかちゃんから逃げて
しまったりということに
なってしまったのでは
ないかと思います。

いつも愛を
いっぱい感じていたい、
みかちゃんにとって、
それはどんなにつらい
ことだったでしょうか。

かえって不安を大きくして
いたに違いありません。
みかちゃんが、
あんなに一生懸命生きて、
戦って、助けを求めていたのに・・

みかちゃんは昨年の冬、
体調が長い間
すぐれませんでした。
高い熱が続き、
みかちゃんの心の不安が
とても大きくなっていました。

みかちゃんは不安を
なんとかしたくて、
顔をたたくので、
顔が紫色に腫れ、
皮膚がやぶれて、
大きな血の固まりで
顔半分がおおわれました。

目もふさがりそうに
腫れていました。
このままでは
失明してしまうのでは
ないかと思ったくらいでした。

直接みかちゃんを
担当していなかった私は、
みかちゃんが
大好きだったから
なおさらみかちゃんの
つらそうな様子に出会うと
涙が出てしまって、
同僚から、

「そんなに泣いてしまうのなら、
そばに行かないほうがいいよ。」

と言われてしまうほどでした。

高い熱があまり続いたので、
みかちゃんは
お母さんの付き添いで
病院に入院しました。

みかちゃんの不安との戦いが
あまりに大きかったので、
入院した部屋は、
外から鍵がかけられ、
窓もとても小さい部屋でした。
トイレも中にあって、
一日中その部屋から
出ることができない状態でした。

入院と聞いて
お見舞いに出かけ、
職員の方に
鍵を開けていただいて、
中に入ると、又すぐに
外から鍵がかけられました。

テレビも何もないその中で、
お母さんは、髪をタオルで
しっかりとおおい、
みかちゃんをおふとんの中で
しっかりと抱き締めて
おいでだったのです。
 
お母さんは

「こんな姿でごめんなさい。
みかが髪をひっぱりたがるので・・」

とおっしゃいました。

私は、みかちゃんが
私たちに求めていたのは
こういうことだったのだ
と思いました。

みかちゃんを
叱るのではなく、
みかちゃんから
逃げるのでもなく、
みかちゃんと
しっかり向き合い、
髪にタオルをまいて、
みかちゃんを
しっかりと抱き締めて

「大丈夫だから、
お母さんがそばにいるからね。」

ときっとお母さんは
言い続けておいでだったのだ
と思います。

私はお母さんが
なさっていることに
感動しました。

そして(私にお母さんのような
ことができるだろうか。)
と考えていました。

閉じられた中で
テレビもない空間で、
時間がこんなにも
ゆっくりすぎる空間で、
朝を迎え、
夜を迎え、
また朝を迎え・・
お母さんはもう十日も
こうしておいでだったのです。

でもお母さんは
おっしゃいました。

「いつも淋しい
思いをさせているけれど、
病院に入っている間は、
みかのことだけを考えて、
相手ができるし、
こんなにたくさん
抱き締めてもやれるから、
何も大変なことはないですよ。
これは神様が
私に与えて下さった
時間だと思います。」

そして、お母さんは
みかちゃんのつらい思いを
考えては涙されておいでました。

私は
みかちゃんのお母さんは、
みかちゃんの体を
抱き締めながら、
本当はみかちゃんの心を
しっかりと抱き締めて
おいでだったのだと思いました。

お通夜の席で、

「いつもいつも
心にかけて下さって、
みかを可愛がってくださって
ありがとうございました。」

とみかちゃんのお母さんは
おっしゃいました。

私は、悔やまれて
悔やまれてなりません。
みかちゃんは、
あんなに手をのばして、
私を呼んでくれたのに、
私はみかちゃんの
苦しみを知りながら、
何も、何もできませんでした。

みかちゃんは
高校二年生で亡くなるという
あまりに短い一生だったけれど、
みかちゃんの
教えてくれたことは
何て大きかったのだろう
と思います。
人間のもつ力はなんと
素晴らしいのでしょう。

自分の心の不安を
なんとか自分でたてなおそう
とするのです。

そして、
それをまわりにいる人たちが
理解してさえいれば、
きっといつか
その不安に打ち勝って
たちあがることが
できるのです。

みかちゃんは、そんな時、
天使を思わせるような
可愛い優しい顔で、
にっこり笑ってくれました。

人間と人間は、
お母さんがなさったように、
きちんと向き合って、
そして、
お互いを大事に思いながら、
誠実な気持ちでお互いが
いるべきなのです。

なんだか
変なことを言うようですが、
もし、もし、
受け持ちの子供が明日、
亡くなってしまうことが
あっても、
自分はいつもできるかぎり
その子供と誠実に
向き合っていたと
思えるようにしたいと
強く思いました。

みかちゃんのお父さん、
お母さんは、
みかちゃんの手足が
だんだん紫色になって、
お医者さまがもう
心臓マッサージをしても
無駄だからとおっしゃっても、
「生きて、生きて」と
マッサージを
続けられたそうです。

どんなにみかちゃんを
可愛く大事に思って
おいでだったかということを、
いまさらながらに感じました。

緑のきれいな、
みかちゃんの
亡くなった五月を、
これからむかえる度に、
私はかならず
みかちゃんのことを
思うに違いないと思います。

「スキスキして・・」
「大事、大事して・・・」
というみかちゃんの言葉の
大切さを忘れないと思います。

みかちゃんは
亡くなったけれど、
今も私の心に、
そして多くの方の心に
みかちゃんは
いつもいるなあと思います。

5
月の
ゴールデンウィーのときに、
宮ぷーと、いっぱいリハビリ
することができました。

そしてうれしいことも
いっぱいありました。
今までなかなか
右の唇があがらず、
右側の歯も力をいれて
かむことが難しかったのに、
左と同じように
口角を上げて笑うことが
できるようになりました。

それから、気切の穴
(のどに穴が
開いているのです)を
スピーチカニューレで
閉じたときに、
「宮ぷー」と呼んだら、
ああうれしい、
うれしいことに、
宮ぷーは、
口をあけて声を出そうとして、
しばらくして、
はっきりと
「はあい」と声で
返事をしました。

こんなにはっきりと、
宮ぷーの言葉が
意味をなして伝わったのは
初めてです。

動画をとったので、

に載せました。
よかったら見てください。
何度動画を見ても涙が出ます。

いつか、
レッツチャットを
使わなくても、
自分で言いたいことが
言える日が、
きっと来ますね。
そんなことも思える
うれしいことでした。』
 
 
いかがでしたか?
 
こころに染みわたったのでは
ないでしょうか?
 
生かしていただいて有難うございます
 
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角田 政治
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