2014年7月21日月曜日

“こころ”その未知なるもの

昨日まで怒りについて
話を進めてまいりました。
さらに考察を深めて
知っているようで知らない
心という観点から
さらに深めていきたいと思います
 
お釈迦さまは
大無量寿経の中でこう仰っています。
 
心常念悪                    
口常言悪                     
身常行悪                    
曽無一善   
 
心常に悪を念じ
口常に悪を言い
身常に悪を行じ
曽(かつ)て一善無し
 
この意味は
読んで字の如しです。
心も口も身(体)も
すべて悪ばかり、
未だかつてまことの善は
一つもないということです。
「常に」ですから、
一切の途切れもなく、ということです。
 
この部分が
仏教を勉強して
つまづくところでもあります。
 
「仏教は総じて
人間を悪く言い過ぎる
人間、悪を思うことは
否定しないけれども
善だって思っている。
 
たまたま悪を念じというなら
納得できるんだけど
一切の途切れもなくは
受け入れられないよ!
 
かつて一善も無しなんて
冗談じゃあない!
わたしは
こんな善いことを
してきている。」
と自分の善いと思っている
行いを並び立てるのでは
ないでしょうか?
 
「これもやった!あれもやった!」
と思うのではないでしょうか?
 
実はわたしもその一人でした。
かつて仏教を熱心に
勉強をしたことがあります。
 
しかしこの
大無量寿経のお釈迦さまの
この文章は
とても受け入れることは
できませんでした。
 
でも世界の三大聖人のひとり
と称されている
お釈迦さまです。
何か深い意味がある
そう思って勉強を
し続けてきました。
やはりお釈迦さまの
仰られる通りでありました。
 
これから
そのことを説明して
いきたいと思います。
 
仏教は別名「自覚経」とも
言われます。
仏教という法鏡に映して
その鏡に映った自らの
本性を知り
「そうだったのか!」
と自覚を促しています。
 
私たちは
自分のことを一番
知っているようで
実は知らないのです。
 
自分を自分が直接見ることが
できないように
自分の事が分かっていません。
だから、上記のところで
つまづいてしまうのです。
 
仏教では、
私たちの行いを、三業といって
心と口と身(体)の
三方面から見られています。
 
その中で、
一番、重く見られるのは心です。
口は、心が命じたことを
言っているのです。
ですから、口が悪いことを
言ったとすれば、
その責任は、
言わせた心にあるのです。
 
また、体も同じです。
体が何かすることは、
心がさせているのです。
もし体が悪いことしたならば、
心が命じてさせているのですから、
心に責任があります。
 
ですから仏教では
口で人の悪口を言い体で悪を
やっている人に対して
 
それを命じている
元になる心を変えない限り
悪をさらに
加速していきますので
心を重点に捉えていきます。
 
法律では
相手を殺してやりたい!
と思っても
口で殺してやる!と
ののしっても
実際に殺さない限り
犯罪ではありませんので
犯罪とされず
つかまることはありませんが
 
仏教は口・体に実際に
命令している心を重く
見ています。
心を正さない限り
悪の連鎖は留まらないことに
なります。
 
これが仏教と法律や
倫理道徳との大きな違いです。
倫理道徳では
「人の悪口は言っては
いけませんよ」とか、
「挨拶をしっかりしましょう」
と法律では
問題にしていない口も
かなり言われてはいます。
 
しかし仏教は
口や体の行いより、
心の方がはるかに重い
と問題にされるのです。
 
まずここを押えておかないと
仏教につまづいてしまいます。
 
それではそのこころは
どんなことを
思っているのでしょうか?
 
それが昨日お話した煩悩です。
人間は煩悩の塊である
それを称してお釈迦さまは
煩悩具足と言っています。
 
人間には百八つの煩悩が
あると言われています。
それで大晦日になると
お寺では百八つの鐘を鳴らし
すべての煩悩を滅尽して
新年を心清らかに迎えると
いうわけです。
 
その煩悩の中で三毒の煩悩と
言われているのが
何回も取り上げましたが
貪欲・瞋恚・愚痴の心です。
 
昨日まで、
この瞋恚(しんに)の心、
怒りについて
論を進めてきましたが
そのためには
貪欲(とんよく)を
押えなければなりません。
 
怒りは
欲の心が妨げられることに
よって起こるといいました、
 
基本的にこの欲の心は
人間、肉体を持っている以上
無くては生きていくことは
できません。
 
食欲にしても
財欲にしても
色欲にしても
名誉欲にしても
睡眠欲にしても無ければ
生存そのものが脅かされてきます。
 
しかしながら貪欲とは
なければないで欲しい、
あればあったでまだ欲しいと、
際限なく欲しがる欲の心の
ことを言っています。
 
その欲の本性は
「我利我利亡者」と言われます。
「本性」とは
本当の性質ということです。
普段は隠れていますが、
特に、余裕がなくなった時に
あらわれてくるのです。
 
例えば食欲なら、
この日本では
食欲が満たせない人は
ほとんどいませんが、
世界にはまだまだ
たくさんの人たちが
食事をすらことが出来ずに
飢えと苦しみと病に
あえいでおられます。
 
日本でも昔はそうでした。
東北地方に「こけし」という
民芸品がありますが、
 
その謂れは
昔、東北で飢饉が起きた時、
まず家族の中で一番働ける
一家の主がまず食事をとって、
残ったものを
他の人で分けたと言われます。
 
さらにひどくなると
“口減らし”といって
子供たちが犠牲になりました。
 
貧しさは きはまりつひに 年ごろの
娘ことごとく 売られし村あり
結城哀草果
 
と昭和初期の頃の東北の大飢饉の時の
様子を詠んでいる詩もありmした。。
 
このときは
女の子は昔あった置屋
(料飲店で男の相手をする仕事)
や映画「野麦峠」などで
描かれた世界
紡績工場へ長時間低賃金労働で
女工として働かせられました、
 
男の子は
炭鉱などに売られていきました。
半ば監禁同様、タコ部屋に
入れられて長時間の重い
肉体労働をさせられていたのです。。
 
また、上記のように
働ける年齢になっている子は
大変な苦労を強いられましたけれど
生きていくことはできます。
 
何か病気や障害で
働くことの出来ない子供たちや
幼い子供たちは
川や海に流されたり
山に捨てられて死ななければ
ならなっかたと言います。
中には親が直接首を絞めて
殺めたという悲劇も
あったそうです。
 
腹を痛めて生んで育てた
お母さんとしてはその身代わりに、
子供の形をかたどった
人形をつくって
それを肌身離さず
持っていたと言われます。
 
だから、こけしというのは、
全部子供の顔が描かれています。
 
そして、漢字で書くと、
「子消し」と書くそうです。
悲しいいわれのある民芸品です。
 
自分が食欲を満たせなければ、
最後は子供を殺してでも、
自分が食べるという
食欲のしわざです。
 
その逆が、
故今村昌平監督が描いた世界
「楢山節考」のテーマ
姥捨て山です。
自分の食欲が、
本当にギリギリになったならば、
大恩ある親さえも、
捨ててしまうのです。
 
人間、切羽詰ったら
何をやるかわからないのです。
しかしこれは
どうしても悪とは認めたくないのです。
しかし、善ではありえない。
そこで、必要悪という言葉を
生み出します。
 
仏教は心を重く受け止めています。
したがって
必要悪であったとしても
悪は悪なのです。悪の念いなのです。
少なくとも我と同じようには
考えていない念いから発した行為です。
自利利他ではない
我利我利であるのです。
我の利益優先の心であるのです。
 
そう見てくると
最初のお釈迦さまの
大無量寿経のお言葉である
心常念悪                     
口常言悪                     
身常行悪                     
曽無一善                     
はその通りと思えます。
 
私たちは
永遠の生命を生きています。
仏教でもその領域のことを
阿頼耶識と言っています。
その阿頼耶識には
私たちの為した行為が
消えることなく収まっています。
 
悪なる行為は
不滅の悪業力として
善なる行為は
不滅の善業力として
行為の種が収まっています。
これを業種子(ごうしゅうじ)
と言います。
 
この種は後生(肉体無き後)へと
繋がって蒔かれていくのです。
あの世と呼ばれえいる次元でも
また、次の輪廻の中での
生(肉体)を持った時にも
寸分の狂いも無く
蒔かれた種は発芽して
姿を現わしてくるのです。
これが因果の道理の
真なる姿です。
 
私たちは
この肉体を維持するために
肉体を大切に扱っていきます。
勿論、それは必要なことです。
 
しかし、この肉体の保有時間は
たかが50年か100年です。
今、このブログを見ている方は
30歳以上の人が多いので
生きても最大であと50年未満
という人が多いのでは
ないでしょうか。
 
生命は生まれもしないし
死にもしない
永遠に無限に続くものです。
肉体はこの生命を
より進化させるために
時間限定で与えられているものです。
 
私たちは
生きているのではなくて
生かされているのです。
 
その朽ちることのない心をより大切に
扱わなければならないのです。
 
その私たちの心こそ
一生のテーマとして
考えなければなりません。
 
このブログが
そのお手伝いができるの
でしたら何よりも本望である
と思います。
 
生かしていただいて
有難うございます。
 
 
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角田 政治
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