2014年7月19日土曜日

怒りを静める方法2

今日も怒りについての
考察を深めてみたいと
思います。
 
怒りの問題は
大変重要な一生のテーマです。
 
人間はこの物質界に
いる以上この怒りの心が
湧いてきます。
 
湧いてきたものを
どのように方向転換をして
どのように静めていくのか
また、怒りの質を高めて
いったらいいのか
 
この辺は
考える余地があるし
何か方法に
辿りつけるかも知れません。
 
この物質界は現象界とも
言われますし
お釈迦さまは
この世界を欲界或いは
迷妄の世界とも
仰られているが如く
この欲が妨げられた時に
怒りとなって
現われてきます。
 
本来の私たちは
本質的には精神界或いは
霊界に住まいするもので
その世界の本源なるものは
怒りや妬みや嫉みや
愚かさなどといったものとは
無縁であり、
迷妄は無いのであります。
 
もちろん老いたり
病を持ったり
死さえも無い世界
無限なる永遠の生命をもつ
存在であります。
 
その完全なる存在である
私たちが
何ゆえにこの重い波動の
肉体を持って
必ず朽ちていく不完全の
世界へ来て、老・病・死を
体験するのだろうか?
 
このブログは
そのなぜ?
 
人間に生まれた意味や
人間に生まれた目的・
使命とは?
というものを
真剣に考えてみることを
テーマに
「もう一つの今」として
書いています。
 
「もう一つの今」の
一つはこの現象界です。
そしてもう一つは
実相界であります。
 
それは
私たち一人ひとりに
完璧に備わっている
内在する真我に到達する
道であり(実相)
 
また、肉体のみを重視する
自我という
偽者の我の正体を
知ることでもあります。
(現象)
 
そして、そのキーワードが
私が掲げる永遠のテーマ
「今」という括りです。
 
私たちに
与えられた時としての
「今」
実は、私たちには「今」しか
ないのです。
 
私たちは
「今」を生きています。
 
今日は
残りの人生の最初の日
でもあるし、
今日は
残りの人生の最後の日
とも言えるのです。
 
もう既に
過去(昨日)は
飛び去った鳥の如く
どこにもありません。
未来(明日)は
あるかどうかさえ
わからないのです。
 
この「今」という瞬間にしか
確かなものはないのです。
 
怒りを考えるにあたって
まず、この観点を捉えて
おいて頂きたいと思います。
 
そう捉えた時
「今」過去から継続している
怒りの感情を持っていて
「明日」に持ち越すことの
愚を感じられるのでは
ないでしょうか?
 
前置きが大分長く
なりましたが、
昨日のブログで
予告しました通り
今日は怒りについて
お釈迦さまが教えられている
或る、エピソードを
紹介したいと思います。
 
お釈迦さまの時代の
2600年前のインドには、
肉体を極限までいじめる
修行者のグループや
我こそは救世主だ!
我につくものは救われる!
といったグループや
マジックもどきの
物質を出したり消したりする
グループ
以前のオーム真理教みたいに
身体を浮かせて見たりとか
たくさんの迷妄のグループ
があったそうです。
それらのグループが
誰が数えたかわかりませんが
95種類あったと
言われています。
 
今でも邪教のことを
「九十五種」といいますが、、
ここから来ている言葉です。
 
そういう邪教が、
人びとを惑わしていることに
対して
 
お釈迦さまは、
どんな結果にも
必ず原因がある
原因なしにおきる結果は
万に一つ億に一つ絶対にない
 
まかぬタネははえませんが
まいたタネは必ず生える
これが「因果の道理」ですが、
 
その因果の道理にしたがって、
はびこっている邪教を正して
行かれました。
 
そんなわけですから
お釈迦さまは
邪教の者からは
大変恨みを
かっておられたようです。
 
そんなシチュエーションでの
教訓です。
シェアしてください。
 
 
『あるとき、
邪教徒の若者が、
お釈迦さまの前に
やってきました。
そして、お釈迦さまめがけて
さんざん悪口を言いました。
 
ところがお釈迦さまは、
黙って聞いておられて、
その邪教徒の若者が
悪口を言い過ぎて疲れると、
その若者に
静かに尋ねられました。
 
「あなたは、
何かの祝いの時に
親類や友人を招いて、
宴を催すことはあるか?」
 
「そりゃあるさ!」
 
「それでは、
その招いた人たちが
あなたの出した食べ物を
食べなかったらどうなるか?」
 
「それは
食べなかったんだから
残るだけだろう!」
 
「私の前で、
悪口雑言で
ののしったところで、
私がそれを受け取らなければ、
その罵詈雑言は、
誰のものになるか?」
 
「いくら受け取らなくても、
与えたものは与えたのだ!」
 
「そういうものは、
与えたとは言えない。」
 
「それなら、
どういうのを
受け取ったといって、
どういうのが、
受け取らないというのだ!」
と、若者が聞くのを待って
 
お釈迦さまは、
 
「ののしられたとき、
ののしり返し、
 
怒りには怒りで報い、
打てば打ち返す。
 
闘いを挑めば闘い返す。
 
それらは
与えたものを受けとった
というのだ。
 
しかし、その反対に、
なんとも思わないものは、
与えたといっても
受けとったのではないのだ」
 
と言われています。
 
「それじゃああなたは、
いくら悪口言われても、
腹は立たないのか」
と言うと、お釈迦さまは
 
「智恵ある者に怒りなし。
よし吹く風荒くとも、
心の中に波たたず。
怒りに怒りをもって報いるは、
げに愚かもののしわざなり」
 
と厳かに言われたと言われます。
 
これを聞いた邪教の若者は、
 
「私が馬鹿者でありました
どうぞお許し下さい」
 
涙を流して、
お釈迦さまに
したがったと言われます。
 
このように、
何か悪口を言われたり、
意地悪をされたという時に、
やり返しては
いけないということです。
 
まさしく
因果の道理から考えれば、
何か苦しい結果が
起きたということは、
自分に原因があるのだから、
自分の行いをこそ反省しなさい
と教えられています。
 
意地悪されたときに
報復をするというのは、
因果の道理にも
反しているのです。
 
いかがでしょうか?
 
ですから、
人から意地悪や悪口を
言われた時でも、
やり返さないようにしましょう。
(これは自らに言っています)
 
生かしていただいて
有難うございます。
 
 
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角田 政治
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