しばらく怒りについて
触れましたが、
参考になりましたでしょうか?
昨日は
煩悩即菩提という
お釈迦さまの教えを
お話しました。
煩悩の方向性を
変質することによって
喜びに転ずることが
煩悩即菩提であると
言いました。
そうすると
相手の言動や
あらゆる出来事を
きっかけとして生じる
怒りの心というものは
自己をみつめる上で
重要なテーマであると
言うこともいえます。
怒りというものは
主観的なものだとも
言いました。
となるとその怒りに
含まれる意味は
自分の傾向性を知る上で
大変重要なのです。
自分の傾向性を
知るということは
自分の怒りのポイントを
知らされてきますので
私はいつもどんな時に
怒りが湧いているのか?
私はいつも人の言動の
どんな所に反応して
怒りが湧いてくるのか?
自分から出た怒りが
点検項目になってきます。
それがあなたの人生の
一つの大きな
テーマであるのです。
自分とは一体何であろうか?
この問いは
洋の東西に関わらず
永遠のテーマであります。
ギリシャでも
二千年以上前から、
「汝自身を知れ」
と、デルフォイの神殿に
記されています。
自分自身を知らなければ
この期間限定のこの世界で
暴風・荒波の中、
翻弄される人生を
送らなければなりません。
「汝自身を知れ」が
何故?不朽の言葉として
今日まで
伝えられているのでしょう?
それは、大半の人が
自分自身を
知っているようで
知らないからなのです。
ドイツの哲学者
キルケゴールさんは
その書
「死に至る病」の中で、
「自分自身を忘れるという、
もっとも危険なことが
世間では、いとも簡単に
なされている」
と警告しています。
自分自身を知らない
ここに全人類の
悲劇の元があるのです。
そういう意味でも
自らの怒りの点検を
することは
汝自身を知ることに
繋がっていきます。
怒りだけでなく
貪欲(とんよく)
愚痴や他の煩悩の
発生原因を
深く知ることは
自己を支配するものに
繋がっていきます。
通らなければならない
煩悩即菩提への
ステップです。
自己を
みつめることの
重要性を説いていますが
しかし、
テーマがないまま
ただ静かに時間を
過ごすだけでは
意味が無いのですが
習慣づけるという点では
その時間をとって
いただきたいのです。
本当は、
テーマは
沢山あるのですが
それに
気づけないだけです。
その点、
怒りや他の煩悩が
発生したときには
チャンスであるのです。
自分を知る
チャンスなのです。
通常の私たちは
問題意識がありませんので、
自分を客観的に捉える
ことができません。
その為に自分自身を
知ることが
中々出来ないのです。
何故?自分が
分からないのでしょう?
それは近すぎるからです。
自分自身を正確に見た人は
一人もおりません。
鏡で見ることはできますが
それが
本当に自分なのかは
誰も知らないのです。
そして、
どうしても
自分を厳しく見れないと
いうこともあります。
自分を甘く考えます。
それはどうしても
自分に対する欲目が
働くからです。
この欲目の自惚れの心を
お釈迦さまは
七つに分けて
教えられています。
それを「七慢」といいます。
七慢
慢(まん)
過慢(かまん)
慢過慢(まんかまん)
我慢(がまん)
増上慢(ぞうじょうまん)
卑下慢(ひげまん)
邪慢(じゃまん)
の七つです。
「慢」とは、
自分よりも劣った相手を、
バカにする心です。
相手を見下げる心です。
「過慢」とは、
同程度の相手に対して、
自分の方が優れていると
威張る心をいいます。
「慢過慢」とは、
自分よりも
優れている相手に、
「自分の方が上なのだ」
と思う心をいいます。
いろいろな理由をつけて
相手の上に
立とうとする心です。
「家は、
貧乏だったから・・・」
「俺は、
塾に行ってないから・」
等々
「条件が同じなら
俺の方が上だ」
という心です。
「我慢」とは、
今では、一般的に
忍耐とかいいことに
使っていますが。
我慢とは
自分の間違いに
気づきながらも、
自分の意見をどこまでも
押し通そうとする心
をいいます。
「増上慢」とは、
覚りを
開いてもいないのに、
覚ったと
自惚れている心です。
私も含めて
こういう
ブログを書く人や
宗教者に
多く見られる心です。
「我を信ぜよ!
されば救われん!」
「私が説いた教えほど
優れたものはない!」等々
心しなければなりません。
「卑下慢」とは、
自分を卑下するように
見せかけて
「どうです、
私は、こんなに謙虚なのです!」
と思っている心のことを
言います。
「未熟者でございますが、
どうかご指導の程、
よろしくお願い申し上げます」
頭を下げることによって、
ニヤリとする心です。
「邪慢」とは、
とんでもないことを
自慢する心です。
「お前の病気は
たいしたことはない
俺の病気は
そんなもんじゃあない!」とか
昔の私の例としては
「売られた喧嘩は買え!
男だったら、当たり前だろう!
俺なんか
売られなくても買う!」
と言う様に
どんなことでも
自慢するというのが
「邪慢」といいます。
私の知り合いに
鼻で牛乳を吸い込んで
目で出せると自慢していた
男が居りました・
結局は、
自分のことは皆、
いいようにしか
思えないのです。
どうしても
欲目がありますから
これら七つの自惚れ心から、
決して離れることが
できないのです。
ですから逆説的に
この離れることのできない
欲目から発生する煩悩を
テーマにして
自己を点検することは
己自身を
知ることになります。
いずれにしても
自分の中にある欲の本性に
晒されてみて
それを自覚しない限り
汝自身を知ることは
あり得ませんので
パラドックスとしての
怒りの心の点検を
していって欲しいのです。
是非、試してみてください。
生かしていただいて
有難うございます。
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角田 政治
携帯番号:080-3085-4801
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