2014年7月8日火曜日

みんな一つのいのちを生きている(1)


「宮ぷー こころの架橋
ぷろじぇくと」の宮ぷーこと
宮田俊也さんは
先日、退院しました。
そして、
意思伝達装置を工夫して
自分の思いを力強く
世界に
発信し続けています。

思い起こせば
宮ぷーが、脳幹出血で
突然倒れたのは
平成21年2月20日の
ことです。、

脳幹出血という病気は、
いったん出血してしまったら、
80%が亡くなり、
16%が意識が
もどらない病気です。

なんと100人のうち、
意識が回復するのは、
たった4人だけという
とても深刻な
病気なんだそうです。

その中でも、
宮ぷーの出血の度合いは、
とても大きな出血で
お医者さんは
当初は、3時間の命、
それが過ぎたときは
あと3日の命だと
宣告をした程でした。。

でもその時
かっこちゃん
(山元加津子さん)は
こう答えるのです。

「先生、だいじょうぶ。
だいじょうぶですから
先生安心して」

この言葉の
ベースにあるものは
特別支援学校
(旧養護学校)での
子どもたちとの、
こころからの
触れ合いでした。

子どもたちといて
その中でかっこちゃんが
思い続けてきたことは、

子供たちがたとえどんなに
重い障害を
持っていたとしても、
だれもが
気持ちを持っていて
それを伝えようとしている
ということでした。

その
子どもたちの気持ちを
知りたいと思いながら、
毎日を過ごしてきた
ことに原点があると思うのです。

今日から
何回かにわけて紹介させて
いただこうと思っていますのは、

そんな子供たちとの
触れ合いを中心にして
書かれた
「みんな一つのいのちを生きている」
というタイトルの

今日はその中の
“みっちゃんとの約束と
宮ぷーの話”です。
シェアしてください。

“みっちゃんとの約束と宮ぷーの話”

『冷たいあられ混じりの雨の中、
枯れ草の上に
一輪白い花が咲いていました。
まっすぐに生きるということを
なぜか考えました。

ときどき
卒業生の仕事場へ出かけます。
そこで働いている
卒業生のみっちゃんが
今日も休み時間に
はなしかけてくれました。

「かっこちゃん、
今日、約束しようね。指切りやね」

「約束?どんな約束?」

「コンビニのちらしは
たくさん持ってきたらいかん。
怒られる。
かっこ先生、したらだめやね」

(みっちゃんは
ちらしたくさん取ってきて
叱られちゃうのかな)
「はい、約束するよ」

「あんまりしつこく
話しかけたらいけません」

(話しかけたいことが
いっぱいあるんだろうな)
「はい、わかりました」

「アイスクリームは
一日にひとつだけ食べる。
たくさん食べると太る」

「気をつけるね」

「好き嫌いばっかり
しとったらだめ。
みんな命いただいてありがとう
って食べないかんね」

「本当やね。そうするわ」

「あんまり無理をせんように
ねせんといかん」

「いっぱい寝るのも大事やからね」

「疲れたら休んで、
ちゃんと食べて、
体に耳を傾けようね」

・・・私はみっちゃんとの約束の
お話しを聞いていて、
なんだか途中から
涙がとまらなくなりました。

最初は、
みっちゃんが
誰かとした約束なのかなと
そう思っていたけれど、

だんだんとみっちゃんは
私のことを心配して、
私に言ってくれているんだな
と思いました。

最後にみっちゃんは
またじっと私を見て
言ってくれました。

「みっちゃんと
かっこ先生の約束、
指切りしようね」

「みっちゃんはかっこ先生、
ずっと忘れんさかい、
かっこ先生もみっちゃんを
ずっと忘れんとこうね」

みっちゃん、私は約束するよ。
私はみっちゃんのことを
絶対に絶対に忘れないよ。

いつもいつも心の中に
みっちゃんがいてくれる、
みっちゃんが輝いていてくれる。
だから、私は元気になれるよ。
みっちゃん大好きだもの。
また会えるよ。ありがとう。 

私はずっと特別支援学校
(前は養護学校と言いました)
に勤めています。

そこで出会った子どもたちは、
私にとって、
かけがえのない大切な友達です。

生きるって
どんなに素敵かということ、
大好きという気持ちが
大切だということ、
思いを
伝えあえることのすばらしさ・・・
本当にたくさんのことを
教えてくれるのです。

私は毎日
学校に通っていますが、
もうひとつ
毎日出かけているところが
あります。

それは、
前に一緒に働いていた同僚が
入院している病院です。

友達は宮田俊也さん、
子どもたちからは
「宮ぷー」と呼ばれる人気者です。
二年前の2月20日に
宮ぷーは
脳幹出血で倒れました。

倒れたときは、
瞳孔が開きっぱなしで、
口から舌が出ていて、
息もできていない状態でした。
内臓のどこも動いていなくて、
宮ぷーは三時間の命と
言われました。

宮ぷーは私が、
あまりに方向音痴で、
力もなくて、
しっぱいもいっぱいなので、
県内の講演会へ
つれて行ってくれたり、
パソコンを教えてくれたりと、
私の活動を
支えてくれていた方の
お一人でした。

宮ぷーには
付き添うことのできる家族が
いません。
お嫁に行かれた
妹さんがおられるのですが、
赤ちゃんを
産んだところでした。
昼間は妹さんと赤ちゃんが
宮ぷーのところにいて、
夜は仕事が終わってから
私が行く毎日が始まりました。

当初は一生植物状態で、
四肢麻痺ですと言われました。
無理もありません。
それほど大きな出血でした。

でも、
何もわかっていない私は、
なぜか心から
わきあがってくるように
「だいじょうぶ」
と思いました。

それで先生に
「だいじょうぶだから安心して」
と言いました。

先生は
私の言葉にびっくりをされて、
「僕の言っていることが
わかる?」と
心配をしてくださった
ほどでした。

宮ぷーはでも、
ぜんぜん大丈夫じゃなくて、
唾液はむせることなく
肺へ流れ込み肺炎を起こし、
汗もかけなくて、
体温が40度で、
そして、
おしっこも出ない日が
続きました。

でも、
お医者さんも
看護師さんも、
決してあきらめずに
宮ぷーを
助けてくださいました。

多くの方が
祈ってくださったお力も
大きかったと思います。

宮ぷーが倒れたことで、
私たちはなんと
生かされていることだろう
と思いました。

息をすることも、
食べることができるのも、
何もかもが当たり前では
ないんだ、
生かしていただいて、
息もさせていただいて
いたんだなと思いました。

こんなふうに宮ぷーもまた、
私に多くの大切なことを
教えてくれます。』


いかがでしたでしょうか?

明日は、やはり
特別支援学校の卒業生の
ゆうこちゃんのことを
掲載します。
共有してください。

生かしていただいて有難うございます。

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