2014年7月14日月曜日

みんな一つのいのちを生きている(7)


長い間、
山元加津子さん
(かっこちゃん)のことを
お伝えしてきました。

ひとまずは
明日を持って
連載は終わることにします。

かっこちゃんの
プロジェクトは
多くの人たちや団体の
共感を呼び
多くの方がこのプロジェクトに
参加しています。

参加の仕方は自由です。
是非、
「宮プ こころの架橋
ぷろじぇくと」や
「いちじくりん」
「白雪姫プロジェクト」等の
メルマガを読むことから
始めて
それぞれの
思い思いの参加の仕方を
考えてみてください。

このプロジェクトを
紹介するのも
ひとつの立派な活動です。
知らないことで
不自由を感じ苦痛の中に
ある人たちが
ひとりもいなくなる社会を
創っていかなければ
なりません。

私たちや
私たちの周囲にも
いつ訪れるかもしれない
自分の問題として
私たち一人ひとりが
考えていかなければ
ならないのでは
ないでしょうか?

今日も、かっこちゃんの
世界を感じてください。


感じる心はいろいろだから
『沖縄では
もうずいぶん前に
梅雨に入ったのですね。

雨の季節になると、
私はある日の
大ちゃんとの会話を
思い出します。

「秋の空気は 
つぶの すきまが 
大きく見える」

「月は 
やっぱり 
さびしい目をしてる」

大ちゃんは
とても素敵な詩を
いっぱいつくります。

ある雨の日、
小学校の問題集を
ぱらぱらとめくっていると、

「雨は( )降る、
雪は( )降る、
風は( )吹く」の
( )に
<そよそよ、しんしん、ざあざあ>
から言葉を選んであてはめる
という問題がありました。

大ちゃんは
どういうふうに
答えるかなと思って、
大ちゃんに
「雨は降るときに
どんな音がすると思う?」
と聞きました。

大ちゃんは
「あっちの雨かこっちの雨か、
そっちの雨か?」
と言いました。

私は大ちゃんの言葉を聞いて、
すごくすごく
びっくりしました。

ああ、本当にそうですね、
雨が土に落ちたとき、
コンクリートのところに
落ちたとき、
葉っぱの上に落ちたとき、
みんな違う音をたてるし、
雨の降り始めと
激しくなったときにも
違う音をたてるのに、
私はそんな当たり前のことを
すっかり
忘れていたのでした。

そして、雨の音をただ、
テスト問題としてしか
考えていなかったのです。

大ちゃんは
お部屋の中にいても、
あっちの音、
こっちの音、
そっちに振る音と
聞き分けているのだ
と思います。

雨は降る数と同じだけの
降る音があるそれなのに、
私はどうして
雨の音はこうだと
決めつけていたのでしょうか?

大ちゃんは
こんな詩を作りました。

「あっちで
地面にぶつかり 
こっちで
雨が地面にぶつかり 
ぶつかる音が
いっぱいだから 
雨の音は
心に重いなあ」

本当に、
雨というものは
ざあざあと
ふるものですよ、

風はそよそよ
吹くものですよと
押しつけてしまうのは、
とてももったいない
ことですね。

前に小学校に少し
勤めていたことがありました。

そのときに、
5年生の男の子で、
詩を書いたり、
本を読むのが苦手な
お子さんがおられたのです。

みんなで
理科の時間、
植物の生長を確かめに、
外に出たときに、
男の子の手に、
モンシロチョウが
止まりました。

じっと動かないように
している男の子と、
手に止まった
蝶に気がついて、
私も教室での
理科のノート作りに
戻ろうと声をかけよう
と思ったのを
思いとどまって、
じーっと
男の子を観ていました。

男の子は、
そんな私に気がついて、
手をそっと上にあげたのです。
モンシロチョウは
ゆっくりと
飛び立って行きました。

そのあと、国語で
詩をつくる時間がありました。
5年生になると、
ずいぶん長文の詩をつくる
お子さんもおられます。
その中で、
男の子が作った詩は
とても短い詩でした。

「ちよちよ たた とびたつ」

それだけの詩でした。
けれど、そこには、
男の子の目線の優しさや、
自然を観てとるすばらしさや、
短い言葉の中に多くが
含まれているようで、
胸をうちました。

子どもたちの詩を額にいれて、
廊下に飾ったときに、

「どうして、
あの詩を飾るのか?」

「どうして直さないまま、
飾るのか?」

「他の子どもにとっても、
あの子にとっても、
それはいいことではない」

というような
意見がありました。

けれど、私には
そう思えなかったのです。
みんなの前で
男の子の詩に、
私がどんなに感動をしたか
ということを話したのです。
そして、
私はこの詩が
とってもとっても
好きと言いました。

いろんな考えがあります。
ちよちよは間違い。
ちょうちょと
記すべきだという考えが
あるかもしれません。

「たた」では
何を表しているか
わからないという意見も
あるかもしれません。

でも、私は
大ちゃんや
子どもたちと出会って、
私たちが
いいと思っていることに
すべてをあてはめようと
していることが、
どこか違っている
気がしてならないのです。

宮ぷーも
レッツチャットという
意思伝達装置を使うので、
とても短い言葉で思いを伝えます。
その中にはっとする優しい、
美しい言葉があふれて
いるように思います。

ベッドの周りでも
粗忽だからすぐに転んだり、
柵に指をはさんだりして
しまうと宮ぷーは

「だいじょうぶ?」
「ゆっくりでいいから」
「つかれてない?」
と聞いてくれます。
胸がいっぱいになるのです。』


いかがでしたでしょうか?

自分の問題と
感じられたでしょうか?

生かしていただいて
有難うございます。


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