今日は、
昨日予告しました通り
真実の
自分の姿をうつす鏡
法鏡について
お釈迦さまや
善導大師
親鸞聖人という
偉大なる先人のお言葉で
検証していきたいと
思います。
是非、共有してください。
実はこの法鏡については
○ 月○日号の
(“こころ”その未知なるもの)
で触れています。
再度振り返って
読んでいただけたら
さらに理解が
深まるのではないかと
思います。
読んでみてください。
その時に紹介しました
大無量寿経に書かれた
お釈迦さまの
お言葉が下記です。
法鏡に映る
私たちの相(姿)を
このように表現されて
いらっしゃいます。
心常念悪
(しんじょうねんあく)
口常言悪
(くじょうごんあく)
身常行悪
(しんじょうごうあく)
曽無一善
(ぞうむいちぜん)
この意味は
読んで字の如しです。
心常に悪を念じ
口常に悪を言い
身常に悪を行じ
曽て(かつて)一善無し
仏教では、
私たちの行いを
心と口と体の
三方面から見られます。
中でも
口や体を動かしている、
心を最も重視されます。
その心では
心の三毒や
三毒の煩悩と言われている
貪欲(とんよく)
瞋恚(しんに)、
愚痴 (ぐち)
こういった
欲、怒り、ねたみや
そねみの心で
途切れることなく
悪ばかり造っている
と説かれています。
私たちは自覚なく、
どれほどの悪を
造っているか知れません。
それに気づかないのは、
法鏡から
遠く離れているからです。
仏教を聞き
正しい真理に触れ
法の鏡に照らされるほど、
自分の姿が
知らされてくるのです。
自我からくる
私たちの欲の本性を
知り抜かなければ
本当の幸福になることは
できないのです。
テストで
問題を出さすに
解答を求めている
ようなものです。
降りる目的地のないまま
飛んでいる飛行機の
ようなものです。
いずれ燃料切れで
墜落してしまいます。
そのために
自分の心の相(姿)を
点検し
深く見つめることを
しなければならないのです。
このことは
私たちの人生における
必須科目なのです。
元々は
完全円満で無限な存在の
私たちがこの世に
不完全を覆い
時間を制限されて
肉体を持って
生かされている
重要な意味であるのです。
それでは
大無量寿経で説かれている
お釈迦さまの教えを
受けられて
1300年前の
中国の高僧である
善導大師は
どのように仰って
おられるのでしょう?
善導大師という方は、
30年という長い間
一日たりとも
布団を敷いて休まれた
ことがなかったと
伝えられておられる方です。
時間のすべては
仏教を学ぶことに使った
と言われています。
大変強い求道心を
持たれていた方であります。
その善導大師のお言葉です。
「一人(いちにん)
一日のうちに
八億四千の憶いあり、
念々になすところこれ
みな三塗の業なり。」
「一人」とは、
善導大師のことを
さしていますが同時に
すべての人
私たち一人一人の
ことをさしています。
その善導大師が、
「一日のうちに
八億四千の憶いあり」
「憶い」とは、
憶うのは心ですから、
一日八億四千回も、
心が変わると
言われています。
あの高僧と言われた
善導大師でさえ
常に。
心は変わり通しであった、
と法鏡に
映されたということです。
「いくらなんでも
そんなコロコロ変わる
わけないじゃないか?」
と疑問に思う
かも知れませんが
それは私たちが
まだ法鏡から遠いから
気づいていないのです。
善導大師は
法の鏡に
近づけば近づくほど、
変わり通しの心が
知らされた
と仰っているのです。
しかも、その憶いは
「念々になすところこれ
みな三塗の業なり」
「念々に」とは
途切れることなく、
「三塗の業」とは
悪という意味ですので、
途切れることなく、
八億四千も
悪を憶い続けであった!
と善導大師は
仰っておられます。
それではもう一方
今や世界の光と
称されている
約800年前の
親鸞聖人はどう
仰っていられるのでしょう?
「いずれの行も
及び難き身なれば
とても地獄は
一定すみかぞかし」
このお言葉は
親鸞聖人の言葉を
記された作者不詳の
歎異抄の中に書かれている
お言葉であります。
どういう意味でしょう?
「いずれの行」とは、
ここでの「行」は
善という意味です。
どんな善もということです。
「及びがたき身」とは、
一つの善もできない身
(親鸞)であった
と仰っています。
「とても地獄は
一定すみかぞかし」とは、
地獄にしか
行き場がなかった!
と仰っているのです。
一つの善もできない
ということは
悪ばかりですから、
因果の道理で
悪因悪果になりますので
地獄にしか行き場の
なかった親鸞であった
と仰っておられます。
このように、法鏡に
近づけば近づくほど
その法鏡に映し出された
自己の相(すがた)を
親鸞聖人は
語っているのです。
このように
1300年前の
善導大師も
800年前の
親鸞聖人も
法鏡に映し出された
自身のすがたを
心常に悪を念じ
口常に悪を言い
身常に悪を行じ
曽て一善無し
と仰られている
お釈迦さまの
お言葉通りであったと
言っています。
このような、
悪ばかり思い続けている
心の姿は
法鏡に近づくと
見えてくるのです。
本当の自分の姿を
知らされなければ
本当の幸福には
なれませんので、
私たちの
口や体をそうさせる、
心のすがたを
よくよく見つめて
正していくことを
日常の中に取り入れて
まいりましょう!
生かしていただいて
有難うございます。
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角田 政治
携帯番号:080-3085-4801
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