2014年8月9日土曜日

“苦”から転ずるためには8

昨日は
「四無量心」という
究極の
“苦”を転ずる方法
についてお話しました。
 
この「四無量心」の
慈悲喜捨の心こそ
真我そのものの
心であります。
 
慈悲喜捨の心こそ
仏の心そのもの
神の心そのもの
であるのです。
 
慈悲に大をつけて
大慈・大悲と言いますが
智度論二十七には
こう述べられています。
 
「大悲は一切衆生に
楽を与え、
大悲は一切衆生の
苦を抜く。
大慈は喜楽の因縁を
もって衆生に与え、
大悲は、離苦の因縁を
もって衆生に与う。」
 
これが仏心なのであります。
 
私たちがこの世に
生まれて来た目的も
ここにあるのです。
 
涅槃経にも
こう説かれています。
 
「大慈大悲は常に
菩薩に従うこと
影の形に
したがうが如し。
一切衆生ついに定めて
大慈大悲を得べし。
このゆえに説きて
一切衆生悉有仏性と
言えるなり。」
 
生きとし生けるもの
すべてに悉く仏性は
備わっています。
 
しかしそれは
大慈大悲の菩薩(仏)に
寄り添って順(したが)う
ことにより顕現して
いくのです。
 
そのことを念仏と
言います。
 
念仏とは
お経を
一心不乱になって
唱えることを持って
念仏と捉える場合が
多いですが
違います。
 
念仏とは
もっと素直に
読んで字の如し
仏を念じる
ということです。
 
仏の心を
我が心として
仏の大慈大悲の心に
順いつつ
唯ひたすらそこ一点に
一心集中させる
ことであるのです。
 
よく自力・他力と
論争がありますが、
他を拠り所にせず
自らを
拠り所にしなさい。
と言う意味で
使われていますが、
 
正しくは
他(外)を拠り所にせず
自らの内にある
仏性と同機させなさい!
 
と言うことであります。
 
通常使う自力とは
自我力であります。
 
「この仕事の成功は
私がやった!」
というように
この結果は自分が
頑張ったから
出来たんだという
その気持ちは
我利我利の心
であります。
 
自力で為したと
思っていますが
自分ひとりで為せる
ものなど皆無なのです。
 
会社でもどんな組織でも
また、
どんな個人だけで
されている仕事
でありましても、
 
どんな仕事も
すべては人の協力を
得ずには成立しません。
 
例えば絵画や音楽
または、彫刻師が
その人自身が一人で
創られているとしても
 
そこに至るまでには
師となる先生がいたり、
影響した先人があったり
両親の理解や
その作品を
販売してくれる人たちや
買ってくれる人たち
周囲の人のお力添えが
あってこその
作品(結果)であって
自力なるものは
存在していないのです。
 
「私はここまで、
誰の助けも
借りてこなかった!
自分ひとりの力で
やってきたんだ!」
と言う人はいますが、
 
それを言うとなると
自我力です。
 
私たちは
生まれてからこのかた
多くの人から
お世話になって
今まで
生きてきているのです。
 
それを忘れては
ならないと思います。
 
以前にも書きましたが
してあげたことばかり
覚えていて
して頂いたことは
すっかり忘れて
しまっています。
 
お釈迦さまも
言われた通り
三輪空の教えです。
誰々が
誰々に
何を
してあげたかを
空じなさいと
言いましたが
その通りです。
忘れなさい!
そうしないと
見返りの心が
重なってしまいます。
と言うことです。
 
話は少し逸れましたが
最大の他力で
最も偉大なる他力は
仏の他力であります。
 
他力本願と言われます。
「四無量心」の
慈悲喜捨の仏の本願である。
 
すべての人の苦しみを
取り除いて
絶対の幸福を
つかませたい!
そのために
如意宝珠(無限なる
尽きることの無い宝)を
与えよう!(念仏)
 
その念仏いわゆる
心を定めて一心集中し
大慈大悲を得る道こそ
“苦”を転じ
無明の闇がはれて
光明を得る
偉大なる他力に
依るということです。
 
さらに解説を
加えてまいります。
 
慈悲喜捨の
喜捨は
それぞれに大をつけて
大喜大捨と言います・
 
大喜は
他が苦しみを離れて
幸福になった姿を見て
自分の幸福のように
喜ぶ心のことです。
 
これの逆が
他の幸福を見ては
これを妬み
他の善を見ては
これを
謗る心のことです。
 
前者を随喜の心といい
後者の心を持った人
のことを
無功徳の
悪人と言うのです。
自分の心を
放っておくと
ほとんどの人は
この無功徳の悪人に
堕してしまうのです。
 
大捨とは何でしょう?
大捨とは先ほど述べた
三輪空のようなものです。
捨三種心と言い
三種心を捨てよ!と
言うことです。
 
三種心とは
慈無量心
悲無量心
喜無量心の心を
生じせしめ
為したならば
これを捨てて
その心に捉われるな
と言うことです。
無執着の教えです。
 
慈悲して慈悲を忘れ
大喜して喜を忘れた
心のことです。
 
「捨」がないから
真実の「喜」もない。
また「喜」がなければ
慈悲二心もないので
あります。
 
その御心を得ることが
私たちの目的である
と言いました。
 
この仏心
そのものの心を
つかむためには
ただ、念仏しか
ないのです。
 
仏へ一心集中してこそ
得られる無量心
これこそ偉大なる
他力の本質なのでは
ないかと思うのです。
 
是非、早いうちに
どこかで
気がつかなければ
なりません。
 
生かしていただいて
有難うございます。
 
 
 
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角田 政治
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