2014年8月10日日曜日

“苦”から転ずるためには9

昨日は
大慈大悲の心
大喜大捨の心
四無量心は
究極の抜苦与楽であり
これは仏教の目的
とお話してきました。
 
そしてこの心は
仏の心であります。
仏の本当の願い
本願であります。
 
衆生
(苦しみの中にある
私たち凡夫)を
この高みまで
連れて行って
苦しみを取り除いて
あげたいという
お気持ちが本願です。
 
これを
他力本願と言います。
一心に仏の心を
自らの心と同機させて
これのみに
集中するのです。(念仏)
 
そこに心の安寧という
絶対に崩れない幸福が
くるのです。
その幸福を得ることは
永遠の生命の中で
私たちの
心を永遠の
心の安寧へと繋げて
いくのです。
 
禅の言葉のことを
禅語と言いますが
その中に
「安閑無事」とう言葉が
あります。
 
その意味は
これも読んで字の如し
安らかで平穏な状態
何ものにも捉われず
何の心配も無く
静かに自由な心で
いられる状態です。
 
私のイメージでは
こういう自由な心を
持っていた方の
代表的な方と言えば
あの良寛さんを
思い浮かべます。
 
このような心に
到達できたら
何よりの幸福では
ないでしょうか?
 
私の理想の心で
あります。
それを目指して
毎日を過ごして
いるつもりに
なっています。
 
大体、人は元々の
自分と正反対のことを
求めるように
なるのですかね!
 
そうかもしれません!
人間の心は
放っておくと
自我のまま
やりたい放題なので
 
お釈迦さまの
仰るとおり
 
心常念悪
心常に悪を念い
曽無一善で
かつて
一つの善も無かった。
 
これで
終わってしまいます。
 
しかしながら
「安閑無事」の心、
これが出来そうで
簡単にはいかないのです。
 
現に私もそうです。
一時的には
そういう気持ちに
到達することは
経験しています。
 
それはどんなことにも
比較しようのない
至福感です。
 
この状態のときに
どんなことが
起きようとも
心は揺れないでしょう。
 
たとえ大地震があっても
車が飛び込んできても
不動の心でいられると
思います。
 
しかし、
中々続かないのです。
 
それは日常の中で
起こってくる
変化に対応している
からであります。
 
この世は
無常であります。
一定のものはない世界
すべてのものは
変化していく世界です。
諸行無常です。
 
その変化が否応無く
その舞台に
引き戻してしまうのです。
ひとり
落ち着いていないで
表では大変なことに
なっているのだから
という
日常の出来事です。
 
このように
行きつ戻りつ
心は右往左往して
しまいますが、
 
だからこそ
偉大なる他力本願を
求め続けなければ
ならないのです。
 
戻ってもまた求める
また戻ってもさらに
求めていく。
 
今日為した行いは
その念いの点検をして
仏の本願に立ち戻り
心を正していく
その一念でいることです。
 
私は「安閑無事」
でありたい。
あの至福な心を
永続させたいと
思うのです。
 
これも年を
とったからでしょうか?
私のようなものは
気づくのが遅い
 
兎に角
若いときは
この平穏無事が
大嫌いでした。
 
「そんななんの
変化もない生活なんて
何が面白いんだ。
人は変化があるから
面白いんだろう!
 
そんな
刺激のない生活より
人間はお金を儲けて
好きなことをして
毎日、楽しく暮らす方が
幸福に決まってる。
 
あの成功者のように
大邸宅に住み、
お手伝いさん付き、
運転手付きの生活を
するんだ!と
嘯いていました。
 
自我そのままの心です。
 
確かに一時的には
お金も儲けて
運転手付きの車に
乗って
好き放題やって
きましたが、
 
思っているのと
やってみるのとは
大変な大違い
 
どんな好き放題に
やっていても
それも飽きてきて
続かない
そして変化を求め
別のことをしたくなる。
 
いくら稼いでも
まだ欲しい欲しい!
と言う不足感は
埋まらない。
 
人と比較して
勝手に幸せ比べを
やっている。
 
そんな自我だらけの
生活で
満たされたことは
一度もなかったのです。
虚しさばかりが
残っていきました。
 
これほど愚かなことは
ありません。
 
幸福とは
絶対に比較することは
できないのです。
 
私たちは
手に入れたものを
競って
 
あの人よりも
私のほうがお金持ちだ!
いい家に住んでいる!
いい生活をしている!
と相対的に捉え
 
それを幸福だと
勘違いしていますが、
 
単純に手に入れた
「もの」そのものを
比べている
だけのことでした。
 
そしてそんなものは
いずれなくなってしまう
ものばかりです。
 
それこそ
諸行無常のこの世で
一定のものは
ひとつもありませんから
変化をし続けて
いるのですから
永遠にあるものでは
ありません。
 
この肉体さえも
どんなに生きても
あと数十年です。
その時に持っていける
ものなど
ただの、
ひとつもないのです。
 
それを追い続けて
来ただけの人生は
あの世に行ったときに
初めてそのことを
気づくのです。
手遅れです。
 
一定期間肉体を
持ってこの世に来た
目的を初めて
知らされるのです。
 
お釈迦さまは
その時の様子を
後悔と恐れが
繰り返し繰り返し
起こってくると
仰っています。
 
無間地獄です。
後悔と恐れの心が
間も無く次から次へと
襲ってくる様子を
そういうのです。
 
あの世に持っていける
ものは一つです。
 
絶対に変わらないもの
それが真我である
仏心なのです。
 
それが仏の本願なのです。
偉大なる他力本願です。
自力はないのです。
言葉としてはあります。
実際は自力ではなく
自我力であるのです。
 
他力とは
真我力であります。
真我本願なのです。
そこを目指して
精進努力を続けて
いきたいと思います。
 
生かしていただいて
有難うございます。
 
 
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角田 政治
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