大分、長く
“苦”から転ずることを
テーマにお話を
展開していますが、
結局のところ
折角、生まれ難い
人間に生まれて
この世に目的を持って
来ているのが
私たちである訳ですから、
でき得るかぎり
希望を持って
進んでいきたいものだと
思います。
お釈迦さまが
“人生は苦なり”と
悟られて、
“苦”というものの
実体を諦らかにされ
私たち(衆生)の
“苦”を抜かれ
絶対安心の大船へと
乗りなさいと
大慈大悲の仏心で
仰ってくれています。
お釈迦さまだけでなく
たくさんの
先人の方たちも
あらゆる角度から
私たちの心を
高めようと
時代を超えて
応援をしてくれております。
それを少しでも
伝えたいという気持ちで
ブログを始めました。
最初の方の
メルマガから初めて
10年の月日が
経ちました。
しかし、
その偉大なる
先人の方の御心を
充分にお伝えできて
いるかと問えば
とてもとても
程遠いと言わざるを
得ません。
どんな場合でも
そうですが
こういうブログも
あらゆる本にしても
その人自身の
今の悟りの段階に
おいてしか
語りようが
ないのですから
それ以上でも
それ以下でもない訳です。
特に注意したいのは
自分より
正しいものは無いと
断定したり
他を排斥するものは
自我が
言わせていると
思いますので
距離を置いた方が
いいと思います。
また、宗教ビジネスも
沢山ありますので
注意が肝要です。
ただ、このブログで
私が皆さんに理解して
頂きたかったのは
この一点であります。
それは、
本来私たちは
神仏の子であるのだ
と言うことです。
神仏の因子が
例外なく
私たち一人ひとりに
宿って
いるということです。
その自らの内部にある
真我を自覚して
いただきたい
と言うことです。
我のみ良しとする
自我と言う
偽者の心に
翻弄される生き方を
改めて
バランスの取れた人で
あって欲しいと
願っているのです。
外部にあるものは
どんなものにでも
絶対
なるものはないのです。
それに100%
依存してはいけません。
どんなものも
あなたにとっての
参考意見であって
方向を示しているに
過ぎないのです。
その方向に
行くか行かないかは
自我ではない
本来の自分が
知っているのです。
自らの
インスピレーションに
従ってください。
ただ、あまりにも
物質的なるものを
価値とするものが
偏っていて
精神的には曇りが
かかっている状態が
今の状態です。
前にも述べさせて
いただいていますが、
その曇りをとることは
この肉体を
持っている間の
限られた時間軸の中での
必須科目なのです。
その段階を得ないと
正しい自分の
モノサシにアクセス
できません。
また、
これが厄介なのが
自分の肉体が
いつまでこの世に
留まることができるかは
誰も知っていないと
いうことなのです。
今日かも知れませんし、
明日かも知れません。
あくまでも
自分の中にある
正しい基準に照らして
判断することです。
そのことをいつも
申し上げている
つもりです。
いろいろな
話を織り交ぜて
おりますが
それは伝えることの
未熟がなせる技で
私がこのブログで
お伝えしたいことは
あなたの中にある
内在する真我に
気づくための
メッセージであります。
それさえ気づいて
しまえば、
もうこのブログを
読まなくてもいいのです。
それまでの
一里塚として
このブログを活用して
いただけれは
精神世界の
メッセンジャーとしての
役割は少しでも
果たすことができたと
言えるのだと思います。
本日も
自分の中にある
ダイヤモンドに
アクセスするための
よすが(縁)になる
ようにお話を
進めていきたいと
思います。
お付き合いください。
私たちは
決して一人では
生きていくことは
できません。
多くの人の助けがあって、
その
多くの人に支えられて
生きています。
このことには
大きな意味があります。
自分が幸せになりたいと
願うなら
まず、周りの人の幸せを
考えることが
大切だということです。
自分が他の為に
尽くすことで
他を少しでも支える
ことができるのです。
主体は他の人の幸せです。
興味深い地獄と極楽の
お話があります。
シェアしてください。
『昔、地獄と極楽の
見学をした人がいます。
まず地獄へ
行ったときちょうど、
昼食の時間でした。
長いテーブルに
長いテーブルに
地獄の住人が向かい合って
並んでいます。
「地獄では
「地獄では
どんなものを
食べているのだろう?」
と思って食卓を見ると、
豪華な山海の珍味が
並んでいるでは
ありませんか。
それには驚きましたが、
しかし、
しかし、
地獄の住人たちは
皆、げっそりと
やせこけています。
[何でなんだろう!]
[何でなんだろう!]
と思って、
手元を見てみると
1メートル以上の
長い箸が握られて
いるのです。
その長い箸で
どうするのか見ていたら、
地獄の住人たちは、
その長い箸を
必死に動かして、
我先と言わんばかりに
ご馳走を
自分の口へめがけて
何とか食べようと
しますが、
あまりにも箸が
長すぎて
とても食べれません。
そのうちに、
イライラしだして、
怒鳴ったり喚いたり、
隣の人が箸でつまんだ
料理を奪おうとして、
あちらでもこちらでも
醜い争いが
始まったのです。
次に、男は、
次に、男は、
極楽へ向かいました。
ちょうど、
ちょうど、
夕食の時間でした。
極楽の住人達は
長いテーブルに
地獄と同じように
向かい合っていましたが、
とても行儀善く
和気藹々と
座っていました。
料理はやはり豪華な
料理はやはり豪華な
山海の珍味です。
違うのは、
違うのは、
極楽の住人は、
皆、それぞれに
ふくよかな面差しで
肌もつやつやで、
とても輝いて
いるのです、
しかし、
箸を見てみると
地獄と同じで、
一メートル以上も
ある箸が置かれています。
地獄と極楽は、
地獄と極楽は、
どこがどう違うと
いうのでしょうか?
いよいよ、
ゆったりとした
落ち着きを漂わせながら
夕食が始まりました。
観察していると
極楽の住人は、
極楽の住人は、
長い箸で
ご馳走を挟む
ところまでは
同じなんですが、
その箸に挟んだご馳走を、
向かい側に
座っている人の
口に運んでいるでは
ありませんか。
「どうぞ、お先に
お食べください!」
相手はお礼を言って
食べ始めます。
にっこりとして、
今度は
「これはとてもおいしい!
「これはとてもおいしい!
あなたは、
何がお好きですか?」
と、お返ししているの
と、お返ししているの
です。
他の極楽の住人も
同じように
「どうぞ!」「どうぞ!」
と相手を優先して
いるのです。
男は、感心しました。
男は、感心しました。
地獄と極楽は
あまりにも心がけが
違うことを
はっきりと
見せられたのでした。』
というお話です。
食事ひとつにしても、
地獄の住人たちは、
我先とばかりに
醜い争いをして、
お互いを
傷つけ合っています。
もう一方の
もう一方の
極楽の住人たちは、
相手のことをまず
第一に考え相手が
喜ぶ顔を見たいと
思っているのです。
相手の方も
同じ思いなので、
お互いに感謝しながら、
食事を楽しんでいます。
これは単なる
これは単なる
たとえ話ではありません。
この世で
我良しで好き勝手に
生きてきて、
あの世に行ったら
極楽に行ける訳など
ないのです。
どんな偉いお坊さんが
素晴らしい戒名を
つけてくれても
どんな宗教に入信しても
どんな著名な
占い師や教祖や
超能力者が
あなたを救ってあげると
保証しても
何の意味を持たないのです。
今の自分自身の思いと
行為のみが死後の
住居を決めるのです。
因果の道理の法則通り
進んでいくのです。
あの世は心だけの
世界であります。
自我の心と
真我の心は
交わることはできません。
自ずと行き先は
決まってくるのです。
そのことを是非
自覚していただきたい
と思います。
生かしていただいて
有難うございます。*****************************************************
角田 政治
携帯番号:080-3085-4801
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真理研究会:http://sinrikenkyu.jimdo.com/
Blog:「もう一つの今」http://sinrikenkyu.blogspot.jp/
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