2014年8月11日月曜日

“苦”から転ずるためには10

仏教の目的は
“苦”から
転ずることです。
抜苦与楽です。
 
仏教だけでは
ありません。
真理はそれひとつです。
 
そのためには
外に
依存するのではなく
自らの内に
依拠するのです。
自らの内に厳然として
座しておられる
本師本仏
創造神
大霊
大愛
サムシング・グレート
永遠
無限
本質
実相
真我なる
偉大なる他力に
アクセスするのです。
 
その道を歩んでいます。
 
自らの内に
例外なく
宿っているところの
内在する良心とも
言うべき存在は
本物の自分です。
本来の自分です。
そういう意味では
自力本願と言えなくも
ありません。
 
本物の自分=真我
ならば
自力本願であるという
ことでしょうが
 
仏教に
啐啄同時
(そったくどうじ)
という言葉があります。
宋代の『碧巌録』という
中国の仏典の中に
ある言葉です。
 
これは
鳥のヒナが卵の内から
外に出ようと
一生懸命殻を内から
つついています。(啐)
 
母親はその機を逃さず
外から
殻をつつくのです。(啄)
 
そのヒナと母親が
呼吸を合わせて
同時に共同作業する
ことによって
ヒナは誕生できるのです。
 
そういう意味です。
 
このように
自らの内在する真我を
目指して
進もうとして
一生懸命に
毎日、本当の自己に
向き合って
真我にアクセスしようと
精進努力をします。
 
これが
ヒナが産まれ出るための
真剣な努力です。
 
この発心や努力が
なければ
親鳥が外から殻を
つついても
ヒナは孵らず
死んでしまうでしょう。
 
ですからここまでの
この努力は
自力本願と言えます。
 
しかし、その間中
親鳥は
ヒナが無事に孵ることを
常に願っています。
 
そしていよいよヒナが
この世に出たいと
殻をつつきはじめた時を
見計らって
外から同時に殻を
つつくように
 
真我はあなたを
常にあなたの傍らから
一時も離れず
真我への高みへと
引っ張りあげようと
常に念じておられます。
 
その為の
インスピレーションを
同時に与えているのです。
 
その真我の本願に
応えることこそが
真我へとつながる
縁となるのです。
 
自らの内を拠り所として
外なるものには
一切、拠り所にしない
偉大なる他力本願で
あります。
 
その本願という
大船に乗ることこそ
苦しみから解放され
無明の闇から離れ
光明燦然たる世界へと
到達できるのです。
真我到達です。
崩れることの無い
絶対の幸福が
訪れるのです。
 
その時思うのです
今まで私の前に
立ちはだかってきた
“苦”だと思っていた
あらゆる出来事は
 
この絶対の幸福の道を
気づかせるために
あったのだと言うことを
知ることになるのです。
 
すべてはそのための
良き材料であった。
そう真に思えるのです。
 
ここしばらく
超大型台風が
日本中を
席捲しています。
昨日も栃木では
突風で納屋や
お店のシャッターや
屋根の瓦が飛ばされて
いました。
他にも、
大きな被害をあちこちに
もたらしています。
 
今日は東京の方は
雨も止み
風だけが少々
強い程度ですが
 
今日は北上して
北海道を中心として
大雨や暴風がさらに強まり
大荒れになると
報道されています。
 
そんな最中ふと
高森顕徹先生の
「光に向かって100の花束」
と言うほんの中の
一章を思い出しました。
シェアしてください、
 
私の真理ノートから
書き写したいと思います。
 
「ここだなあ」と思い出せ
苦難の風に向かって
 
『超大型台風が、
関西を直撃したときの
ことである。
 
大阪のある学校で、
先生はじめ
大勢の生徒たちが、
狂風にもまれ、
ぶきみにきしむ校舎の中で、
どうしたらよいものかと、
生きた心地もなく、
途方に暮れていた。
 
一人の教師がそのとき、
敢然と立って叫んだ。
「みんな、
風に向かって出ろ」
生徒たちは外へ飛び出した。
 
しかし、出るには出たが、
たちまち風に
吹き飛ばされてしまう。
自然に風下へ、
風下へとゆこうとする。
 
「それではダメだ。
這って、
田んぼへ出て、
稲につかまって進むんだ」
 
教師のえらい剣幕に驚いて、
子供たちは、
田んぼへ出て、
稲につかまって進んだ。
 
まもなく
大音響がとどろき、
風下へ校舎が倒壊したが、
一人の死傷者も
でなかった。
 
人生また然り。
泰然自若、
大勇士の覚悟で
苦難に向かって
ゆけばよいと、
いくらわかっていても、
敢行が難しい。
 
朝起きてから
夜寝るまで、
気にくわぬことが
山ほどある。
 
些細なことなら、
洗面の水が冷たすぎたり、
湯ならば熱すぎたり。
食卓に向かえば、
飯がこわかったり、
やわらかすぎたり。
第一天候が、スッキリ
注文どおりになることは、
年に三日もなかろう。
 
家庭や職場での
人間関係の煩わしさ。
そのうえ、
不幸や災難に襲われる。
いずれも
苦しませるか、
悲しませるか、
傷つける。
喜ばせるものは少ない。
 
そんなとき
「ここだなあ」と
思ってみたら、
どうだろう。
 
忍耐と言うのは、
「ここだなあ」と
思い出せば、
苦労も軽くなる。
 
親切と言うのは
「ここだなあ」と思えば、
嫌味なく接せられる。
 
勇気とは「ここだなあ」
と思えば、
許せぬことでも
許せるようになってくる。
 
「ここだなあ」の
稲にすがって、
苦難の嵐に向かって、
一歩でも前進したい
ものである。』
 
 
いかがでしょうか。
 
この高森先生の
仰る
「ここだなあ」の福こそ
真我は
常に私たちと共にあり、
気づいてもらおうと、
しておられるのでは
ないのでしょうか!
 
真我の声に
耳を傾けましょう!
真我を目指して
いきましょう!
 
そこには
苦難と言う嵐は
菩提という
絶対安心の境地
絶対歓喜の境地へと
変貌を遂げると
思うのです。
 
共に頑張って
まいりましょう。
 
生かしていただいて
有難うございます。
 
 
 
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角田 政治
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