2014年8月14日木曜日

“苦”から転ずるためには13

本日は
先日も
引用させていただいた
高森顕徹先生の
「光に向かって
100の花束」
より
2つのお話を
紹介させていただきます。
是非、共有してください。
 
このお話は
以前、
落語でも聞いたことが
あります。
 
それでは最初の
お話です。
 
“先生、毒薬を一服
盛ってください“
(名医の処方)
 
『約三百年前のこと、
後藤艮山
(ごとうこんざん)という
漢方の名医がいた。
 
十二時も過ぎた
ある真夜中、
一人の女性が
尋ねてきた。
“よろず屋”の嫁女である。
 
「先生、
一生のお願いです。
毒薬を
一服盛ってください。」
 
ただならぬ様子だ。
 
「なにに使うのか」
 
「お母さん(姑)に
死んでもらうのです。」
 
“よろず屋”の、
嫁と姑の犬猿の仲は
評判だった。
 
よく心得ていた艮山は、
断ったら嫁が自害する、
と見てとった。
 
「よし、わかった」
 
しばらくして艮山は、
三十包の薬を渡し、
神妙にこう言った。
 
[一服で殺しては、
あなたがやったと
すぐバレる。
あなたは磔、
私も打ち首。
そこで相談だが、
この三十包、
毎晩
一服ずつ飲ませるのだ。
三十日目にコロリと
死ぬように調合した。」
 
喜んで帰りかける嫁女に、
艮山先生、
なおもこう諭す。
 
「わずか三十日の辛抱だ。
お母さんの
好きなものを食べさえ、
やさしい言葉をかけ、
手足を
よくもんであげなさい。」
 
翌晩から嫁女は、
言われたとおりを
実践した。
一ヶ月目の夜、
いつものように
もみ終わると、
ツトお姑さんが
立ち上がり、驚く彼女に
両手をついて、
こう言った。
 
「今日はあなたに、
あやまらなければ
ならないことがある。
 
今まで、きつく
あたってきたのは、
代々続いた、この
“よろず屋”の家風を
はやく身につけて
もらうためであった。
 
それがこの一ヶ月、
あなたは
見違えるように
生まれ変わった。
よく気がつくように
なってくれた。
もう言うことは
ありません。
今日かぎり、一切を
あなたに任せて、
私は隠退します。」
 
己の心得違いを
強く後悔し、
艮山先生へ
駆け込んだ彼女は、
 
「先生、一生の
お願いでございます。
毒消しの薬を、
はやく、はやく、
作ってください。」
 
涙ながらに、
両手をついて
たのむ嫁女に、
艮山先生、大笑い。
 
「心配ないよ。あれは、
ただのそば粉だよ。
ハッハッハッ」』
引用了
 
今日は一気に
二つ目のお話に進みます。
どうぞ!
 
“お嫁にいったら、
毎日よい着物を着て、
おいしいものを食べて、
よくお化粧を
するのですよ。“
 
『富豪
ドンマカセンの夫人は、
賢夫人の名が高かった。
その一人娘も、
たいへん聡明だという
評判だった。
 
リキミと言う
大臣の夫人が、
ぜひ、息子の嫁にと
婚約がまとまった。
夫人そこで、
ドンマカセン邸を
訪ねてみた。
 
すると母親が娘に、
こんこんと、
こう
教えているではないか。
 
「いいかい、いつも
言っていたように、
お嫁にいったら、
毎日よい着物を着て、
おいしいものを食べて、
よくお化粧を
するのですよ。」
 
“これはとんだ
嫁をもらったものだ“
と思ったが、
いまさら、破談にする
わけにもいかず、
複雑な気持ちで帰宅した。
 
無事、結婚式は
終わったが、
今後のことが
案じられてならぬ。
 
ひそかに嫁の言動を
観察していても、
起床は早く、
家や庭の掃除をし、
洗濯もする。
舅姑や、主人の
面倒見もよく、
台所の整理整頓も、
おみごとの一語に尽きる。
どこにも、
浮いたようすは
微塵も見られない。
 
そこで彼女は、
かねての疑問を
きいてみずに
おれなくなった。
 
「あなたは家を出るとき、
毎日、
よい着物を着て、
おいしいものを食べて、
お化粧をするようにと、
お母さまから
教えられていなさったが、
そのようになさって
いないのでは・・・」
 
「お母さま。
実家の母の、
よい着物を着よと
申しますのは、
清潔なものを身につけよ、
ということでございます。
 
おいしいものを食べよ
と申しましたのは、
労働をすれば
どんな物でも
おいしくいただけるから、
まめに身体を動かせ、
ということでございます。
 
また、お化粧をせよ
と申しましたのは、
家や庭、部屋や台所の
清掃のことでございます。」
 
答える彼女の笑顔は、
輝いていた。
ドンマカセン夫人の
優れた教育に、
姑は、いまさらながら
感嘆したという。
“きれい好き”ということは、
いかなる場合にも女性の、
大きな美点に違いない。』
引用了
 
いかがでしたか?
 
この二つの
お話の共通点は
何でありましょう?
 
行為の元にある
心であります。
 
勿論、お話としても
大変面白いのですが、
私は、下記の観点で
取り上げました。
 
人は現象に現われた
行為そのものに
捉われていきます。
その行為の裏にある
真意を計れません。
 
最初の“よろず屋”の
嫁女は姑さんの
つらくあたる真意を
計ることができません。
そして、その行為に
耐えられず
殺したいほど
憎みました。
 
二つ目の
大臣夫人は
ドンマカセン夫人の
言葉の真意を
計ることが出来ません。
嫁の行為を見て
その違いに驚いて
嫁に真意を聞いて
感嘆します。
 
このように
私たちは
現象そのものに
捉われて判断を
加えます。
 
当然といえば
当然なのですが、
ただ、この二つの
お話のように
人は思いをもって
口にし行為します。
 
それには当然ながら
その人の真意が
ある筈です。
 
当然、悪意を持って
行為する場合も
あるでしょう!
 
しかし、一拍置いて
「こういうふうに
言っているのには?」
 
「このように
してくるのには、
何か真意があるのでは
ないだろうか!?」
 
と自分を省みて、
相手の気持ちに
立ってみるという
習慣を
つけることは
大切なことだと
思うからであります。
 
これがこのお話を
紹介しました
私の真意です。
 
人は特に最初の
“よろず屋”の嫁女の
ように
殺したいほど憎む
というのは
とても苦しいものです。
 
それ程ではなくても
二つ目の大臣夫人にしても
言葉をまともに受け
婚約・結婚式を経て
家に入ってからの
お嫁さんの行動を
逐一、疑いの心を持って
観察しています。
これも苦しいことです。
 
まず、大臣夫人が
賢夫人と名高い
ドンマカセン夫人と
聡明で評判の一人娘
だと知って
自分の方から
請うて嫁にきてもらった
位ですので、
その賢夫人が
言っているのだから、
何か真意があって
言っていることだと
感じることはできたと
思うのです。
 
最初の“よろず屋”の
嫁女は、
後藤艮山先生に
救われましたが
毒薬を手に入れて
飲ました訳ですから
強い薬だったら
姑さんは死んでいます。
ちょっとしたことで
“よろず屋”殺人事件
となってしまいます。
 
少しでも
相手の立場に立って
考えてみるという
習慣をつけることが
“苦”を増幅しない
ことにも繋がって
いくと思うのです。
 
お互いに
よくよく
相手の立場に立つ
余裕を持って
生きて生きたいものです。
 
生かしていただいて
有難うございま
 
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