“苦”から転ずるために
自己の煩悩の本性を知り
お釈迦さまの最初の悟り
“人生は苦なり”の
原因を掴み
原因の心である
自我の心と対峙する。
そして
八正道に沿って
自己の点検及び
人との関わりの中での
日常の出来事を題材に
正しさを追求していく。
さらに
実践的な
六波羅蜜を通して
自利利他を学び
到彼岸いわゆる
真我到達へのための
扉の鍵を
手中にする階梯に進む。
段階的に捉えると
こういうフローに
なります。
“苦”から転ずるために
いろいろ考察をして
まいりましたが、
結局のところ
すべての鍵は
自らの内部に存在する
ということが
わかります。
私たちは
今までの人生の中で
外へ外へと
心を散乱し
どこかに私の苦しみを
癒してくれる
救世主はいないか?
聖なる場所はないか?
そう思って
右往左往し
迷信や偶像の中に
又あらゆる神様ビジネスに
身を浸してきたのでは
ないでしょうか?
あなたが不幸なのは
印相が悪いからです。
印鑑を買いませんか?
という小さなものから
ご先祖さまの祟りだから
お参りしなさい。
お墓を買いなさい。
とか
祟りが障りになって
苦しんでいるのだ
だから
除霊をしてあげる。
とか
この宗教に入れば
救われるから
入信しなさいとか
今、救世主が
現われているから
誰々の
生まれ変わりだからと
あちらこちらにいる
お釈迦さまや
イエスさまが
わたしこそ本物だ
あの教祖は偽者だ
我を信ぜよ!
その言葉をを信じて
入信してみたら
あちらも偽者
こちらも偽者だった!
とか
この場所は
パワースポットとして
有名だからと聞けば
国内、海外を問わず
場所を巡り
幸福にして欲しいと
祈りに行き
多くの時間と
たくさんのお金を浪費し
ていく方も
最近はブームなのか
たくさんおります。
何の解決策も見出せずに
財産も家族さえも
すべてを失ってしまう
人も何人も知っています。
自殺さえしてしまう
くらいです。
人は苦しみから
逃れたいと思って
いろいろな
人や物や場所に
活路をみいだそうとして
さらに苦しみを
増やしていきます。
結局のところ
外にいくら求めても
求めても
得られるものでは
ないのです。
上記のように
さらに苦しみが連鎖
していくのです。
世の中に奇跡と
いうものはないのです。
奇跡というなら
私たちの存在こそが
大変な奇跡なのです。
新しいパワースポットを
企画している輩は
本当にいるのです。
今の時代
どんなものでも
外見的に魅力的に
見せることなど
たやすいことです。
そんなものに
目を奪われては
いけません。
それは、
人の怖れや苦悩に
つけこんで
企画立案された
精神ビジネスに
過ぎません。
インスタント幸福を
いくら求めても
幸せは待ってても
やってこないのです。
何かにお願いをして
結婚できたら
幸福と思うでしょうが
結婚はゴールでは
ありません。
いくらでも
そこから生じてくる
苦しみも
増していくのです。
その苦しみに打ち克って
これから
自分たちで共に幸福を
作っていくのです。
すべては依存心から
産まれてくるのです。
外にいくら追い求めても
そこには
本物はありません。
依存は絶対にだめです!
すべては因果の道理に
則って動いていることを
真に知ってください。
悪因悪果
善因善果
自因自果
ですべては
起こっています。
すべてのものは
原因があって
起こっています。
お釈迦さまは
こう仰っています。
汝ら、過去の因を
知らんと欲すれば、
現在の果を見よ。
未来の果を
知らんと欲すれば
現在の因を見よ。
(因果経)
現在が苦しみの中に
あるとするならば
それは過去の自分が
苦しみの種を
蒔いたが故である。
その苦しみを
宿した種が
発芽の過程で、
さらに
悪しき縁が関わり
現在の様子を造っている。
ということです。
であるので、
これから(未来)
幸福になろうと
欲するならば
今(現在)、
幸福の種を蒔くことで
未来は明るく輝く
ものになるであろう!
ということです。
すべては自分が
キーポイントなのです。
教祖がパワースポットが
あなたの変わりに
あなたの幸福を
造ることはできません。
ぜめて、
あなたが教祖や
パワースポットに
お願いして
“よし!
これから頑張るぞ!」
と自己に向かうのでしたら、
少しの慰めには
なるでしょうが
依存心はいけません。
自らの内部にしか
本当の幸福
本物の自己
本質
実相
神なる我
真我なるものは
なかったのです。
パワースポットは
自分の内部に
厳然として
存在していたのです。
あまり近すぎて
見つけられないだけです。
この物質界は
迷妄界とも言いますが
物資やこの肉体こそが
我という慣性が働き
自我のままで
やりたい放題を
しているうちに
自己を見つめることが
できなくなっています。
自我のままで
この迷妄界で
どんなことを
知ったとしても
為したとしても
そんなことは
あなたの実相にとっては
迷惑メール
みたいなものです。
早くゴミ箱に捨てて
しまった方がいいのです。
それは
幻想にしか過ぎません。
いつか
崩れ去っていくからです。
蓮如上人も
御文章の中で
こう仰っています。
まことに死せんときは
予てたのみおきつる
妻子も財宝も
わが身には一つも
相添うことあるべからず
されば死出の山路のすえ
三塗の大河をば
唯一人こそ行きなんずれ。
人は何かを信じて
生きています。
でも、妻や子を頼みに
していたとしても
病気の看病はして
くれたとしても
あなたと一緒に添うて
ついてきてはくれません。
また、あり余るほどの
金銀財宝があったとしても
持って帰れるものでは
ありません。
結局は一生をかけて
稼いで集めた
頼りにしていたお金を
家も骨董品も(財宝)
(日本にひとつしかない壷も
世界に三台しかない車も)
大事にしていた妻子たち
とも別れていかなければ
ならない!
そして暗い世界へと
唯、ひとりで
手探りで行かなければ
ならないのだ
と言っているのです。
信ずるものが何か?
外にある金銀財宝なのか?
それを一生かけて
追い求めて行くのか?
または
自らの内にある霊性か?
一生をかけて
真我を追い求めて行くのか?
どちらに重きを
置くのだろうか?
前者は自我の領域で
すべてを見て、
すべてを考えますので
この世の期限が
来たときに
何の心の準備を
していませんので
慌てふためくのです。
せめて豪華な葬式と
あの世で天国に行けると
称する戒名という
免罪符をつけてもらうための
準備だけをして
あの世までも
宗教ビジネスに依存し
お金の力で
成仏しようとしています。
自我のままの心で
死を迎えた人は
苦しいです。
それは
永遠の生命の中で
後生というものにも
因果の道理が働くのです。
生きているうちに
自分の中にある
仏に気づかなかった人が
死んで
仏に成るなんてことは
絶対にありません。
生きているうちの
心境そのままが
後生や来生の
心境を決めるのです。
あの世というものは
心の世界です。
心しかないのですから
心境こそ大切に
なってきます。
この世は肉体という
ベールを覆っています。
そのために
自らの心の内を
すべて曝け出さなくても
生きていけます。
しかしあの世は
心だけの世界ですから
心の波長領域が
違う人とは
相容れないのです。
それが地獄という
領域も創っているのです。
勿論、善なる念いの
人たちが集まる世界も
創っていくのです。
波長同通の世界です。
そのどちらに行くのかは?
この肉体を持っている
この今というこの瞬間が
大事であるのです。
この時に
自分の中に
ダイヤモンドの
原石を探すのか?
外に向けて
財宝や名誉や功名のみを
選ぶのか?
それは自分次第で
あるのです。
今日はそれを知って
いただきたいと
思います。
生かしていただいて
有難うございます。
*****************************************************
角田 政治
携帯番号:080-3085-4801
角田 政治
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真理研究会:http://sinrikenkyu.jimdo.com/
Blog:「もう一つの今」http://sinrikenkyu.blogspot.jp/
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“苦”から転ずるために
自己の煩悩の本性を知り
お釈迦さまの最初の悟り
“人生は苦なり”の
原因を掴み
原因の心である
自我の心と対峙する。
そして
八正道に沿って
自己の点検及び
人との関わりの中での
日常の出来事を題材に
正しさを追求していく。
さらに
実践的な
六波羅蜜を通して
自利利他を学び
到彼岸いわゆる
真我到達へのための
扉の鍵を
手中にする階梯に進む。
段階的に捉えると
こういうフローに
なります。
“苦”から転ずるために
いろいろ考察をして
まいりましたが、
結局のところ
すべての鍵は
自らの内部に存在する
ということが
わかります。
私たちは
今までの人生の中で
外へ外へと
心を散乱し
どこかに私の苦しみを
癒してくれる
救世主はいないか?
聖なる場所はないか?
そう思って
右往左往し
迷信や偶像の中に
又あらゆる神様ビジネスに
身を浸してきたのでは
ないでしょうか?
あなたが不幸なのは
印相が悪いからです。
印鑑を買いませんか?
という小さなものから
ご先祖さまの祟りだから
お参りしなさい。
お墓を買いなさい。
とか
祟りが障りになって
苦しんでいるのだ
だから
除霊をしてあげる。
とか
この宗教に入れば
救われるから
入信しなさいとか
今、救世主が
現われているから
誰々の
生まれ変わりだからと
あちらこちらにいる
お釈迦さまや
イエスさまが
わたしこそ本物だ
あの教祖は偽者だ
我を信ぜよ!
その言葉をを信じて
入信してみたら
あちらも偽者
こちらも偽者だった!
とか
この場所は
パワースポットとして
有名だからと聞けば
国内、海外を問わず
場所を巡り
幸福にして欲しいと
祈りに行き
多くの時間と
たくさんのお金を浪費し
ていく方も
最近はブームなのか
たくさんおります。
何の解決策も見出せずに
財産も家族さえも
すべてを失ってしまう
人も何人も知っています。
自殺さえしてしまう
くらいです。
人は苦しみから
逃れたいと思って
いろいろな
人や物や場所に
活路をみいだそうとして
さらに苦しみを
増やしていきます。
結局のところ
外にいくら求めても
求めても
得られるものでは
ないのです。
上記のように
さらに苦しみが連鎖
していくのです。
世の中に奇跡と
いうものはないのです。
奇跡というなら
私たちの存在こそが
大変な奇跡なのです。
新しいパワースポットを
企画している輩は
本当にいるのです。
今の時代
どんなものでも
外見的に魅力的に
見せることなど
たやすいことです。
そんなものに
目を奪われては
いけません。
それは、
人の怖れや苦悩に
つけこんで
企画立案された
精神ビジネスに
過ぎません。
インスタント幸福を
いくら求めても
幸せは待ってても
やってこないのです。
何かにお願いをして
結婚できたら
幸福と思うでしょうが
結婚はゴールでは
ありません。
いくらでも
そこから生じてくる
苦しみも
増していくのです。
その苦しみに打ち克って
これから
自分たちで共に幸福を
作っていくのです。
すべては依存心から
産まれてくるのです。
外にいくら追い求めても
そこには
本物はありません。
依存は絶対にだめです!
すべては因果の道理に
則って動いていることを
真に知ってください。
悪因悪果
善因善果
自因自果
ですべては
起こっています。
すべてのものは
原因があって
起こっています。
お釈迦さまは
こう仰っています。
汝ら、過去の因を
知らんと欲すれば、
現在の果を見よ。
未来の果を
知らんと欲すれば
現在の因を見よ。
(因果経)
現在が苦しみの中に
あるとするならば
それは過去の自分が
苦しみの種を
蒔いたが故である。
その苦しみを
宿した種が
発芽の過程で、
さらに
悪しき縁が関わり
現在の様子を造っている。
ということです。
であるので、
これから(未来)
幸福になろうと
欲するならば
今(現在)、
幸福の種を蒔くことで
未来は明るく輝く
ものになるであろう!
ということです。
すべては自分が
キーポイントなのです。
教祖がパワースポットが
あなたの変わりに
あなたの幸福を
造ることはできません。
ぜめて、
あなたが教祖や
パワースポットに
お願いして
“よし!
これから頑張るぞ!」
と自己に向かうのでしたら、
少しの慰めには
なるでしょうが
依存心はいけません。
自らの内部にしか
本当の幸福
本物の自己
本質
実相
神なる我
真我なるものは
なかったのです。
パワースポットは
自分の内部に
厳然として
存在していたのです。
あまり近すぎて
見つけられないだけです。
この物質界は
迷妄界とも言いますが
物資やこの肉体こそが
我という慣性が働き
自我のままで
やりたい放題を
しているうちに
自己を見つめることが
できなくなっています。
自我のままで
この迷妄界で
どんなことを
知ったとしても
為したとしても
そんなことは
あなたの実相にとっては
迷惑メール
みたいなものです。
早くゴミ箱に捨てて
しまった方がいいのです。
それは
幻想にしか過ぎません。
いつか
崩れ去っていくからです。
蓮如上人も
御文章の中で
こう仰っています。
まことに死せんときは
予てたのみおきつる
妻子も財宝も
わが身には一つも
相添うことあるべからず
されば死出の山路のすえ
三塗の大河をば
唯一人こそ行きなんずれ。
人は何かを信じて
生きています。
でも、妻や子を頼みに
していたとしても
病気の看病はして
くれたとしても
あなたと一緒に添うて
ついてきてはくれません。
また、あり余るほどの
金銀財宝があったとしても
持って帰れるものでは
ありません。
結局は一生をかけて
稼いで集めた
頼りにしていたお金を
家も骨董品も(財宝)
(日本にひとつしかない壷も
世界に三台しかない車も)
大事にしていた妻子たち
とも別れていかなければ
ならない!
そして暗い世界へと
唯、ひとりで
手探りで行かなければ
ならないのだ
と言っているのです。
信ずるものが何か?
外にある金銀財宝なのか?
それを一生かけて
追い求めて行くのか?
または
自らの内にある霊性か?
一生をかけて
真我を追い求めて行くのか?
どちらに重きを
置くのだろうか?
前者は自我の領域で
すべてを見て、
すべてを考えますので
この世の期限が
来たときに
何の心の準備を
していませんので
慌てふためくのです。
せめて豪華な葬式と
あの世で天国に行けると
称する戒名という
免罪符をつけてもらうための
準備だけをして
あの世までも
宗教ビジネスに依存し
お金の力で
成仏しようとしています。
自我のままの心で
死を迎えた人は
苦しいです。
それは
永遠の生命の中で
後生というものにも
因果の道理が働くのです。
生きているうちに
自分の中にある
仏に気づかなかった人が
死んで
仏に成るなんてことは
絶対にありません。
生きているうちの
心境そのままが
後生や来生の
心境を決めるのです。
あの世というものは
心の世界です。
心しかないのですから
心境こそ大切に
なってきます。
この世は肉体という
ベールを覆っています。
そのために
自らの心の内を
すべて曝け出さなくても
生きていけます。
しかしあの世は
心だけの世界ですから
心の波長領域が
違う人とは
相容れないのです。
それが地獄という
領域も創っているのです。
勿論、善なる念いの
人たちが集まる世界も
創っていくのです。
波長同通の世界です。
そのどちらに行くのかは?
この肉体を持っている
この今というこの瞬間が
大事であるのです。
この時に
自分の中に
ダイヤモンドの
原石を探すのか?
外に向けて
財宝や名誉や功名のみを
選ぶのか?
それは自分次第で
あるのです。
今日はそれを知って
いただきたいと
思います。
生かしていただいて
有難うございます。
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角田 政治
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真理研究会:http://sinrikenkyu.jimdo.com/
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