2014年8月4日月曜日

“苦”から転ずるためには4

“苦”を転じ、
光り輝く光明の世界へ
大安心、大歓喜の
絶対の幸福に繋げて
いくために
 
私たちは人間の本性は
煩悩具足であると
教えられました。
煩悩の塊ということです。
煩悩は自我と置き換えても
いいでしょう。
自我は我利我利亡者で
あります。
法鏡に照らしだされた
自らの欲の本性を
自覚することから始め
その心と対峙して
自らを深くみつめていく
習慣をつけていく。
プロセスを書いてきました。
 
そして四諦による
苦の真理を知り
苦の原因(集)の真理を知り
苦脳の炎を吹き消す(滅)
方法として
八正道(道)という
真理があることを
学んできました。
 
その八正道を
日常の行為の中で
正しさを基準に
一つひとつ点検をし
心の曇りを具体的に
除去していく
反省行として
用いていく方法も
お話しました。
 
そして
菩薩行の実践項目
としての
クライマックスは
六波羅蜜であり
昨日は
布施の実践行である
布施波羅蜜のことを
解説して終わりました。
 
布施の精神は
非常に大切なところ
ですので
何度も振り返って読んで
欲しいところでもあります。
我利我利の心を
自利利他の心へと
転換させることのできる
実践行です。
これひとつ完成できれば
到彼岸に到れると
言われています。
 
いろいろ難しいことを
考えずに
この布施波羅蜜だけを
徹底して行じることが
いいかもしれません。
 
今日は二番目の
持戒波羅蜜から
続けたいと思います。
 
持戒とは
サンスクリット語で
シーラと言います。
戒律を守ることです。
 
現代的には
言行一致をさせる
と言ってもいいと思います。
 
言っていることと
やっていることを
一致させることを
言います。
 
仏教では戒律のことを
律法ともいいます。
守らなければならない
道徳的な規範や規則が
ありました。
 
それぞれの修行者の
段階において
戒律も厳しくなって
いくのですが
一般的に
在家の信者の場合は
五戒を内面的な
規範としていました。
五戒とは
読んで字の如し
五つの戒めです。
 
五戒
 
不殺生戒
(ふせっしょうかい)
生き物を殺しては
ならない。
 
不偸盗戒
(ふちゅうとうかい)
他人のものを
盗んではいけない。
 
不邪淫戒
(ふじゃいんかい)
淫らな性行為を
行ってはならない。
 
不妄語戒
(ふもうごかい)
をついてはいけない。
 
不飲酒戒
(ふおんじゅかい)
を飲んではいけない。
 
どれも当たり前の
ように感じますが
そう簡単ではありません。
 
一つ目の
不殺生の戒にしても
私たちは毎日のように
他の生き物を
食しています。
世界では人間同士も
殺し合いをしています。
毎日のニュースも
殺人事件の報道が
流れないことは皆無です。
 
そのようの
この五戒はどれも
簡単なようで
中々守れるものでは
ありません。
 
さらに出家修行者になると
八戒・十戒
また、それ以上の戒が
会ったといわれています。
 
現代的には
言行一致の方が
分かりやすい実践だと
思います。
裏表を相応させる
ということも
入ると思います。
 
よく
「あの人は
裏表のある人だ!」
と言います。
 
人が見ていない
ところと
 
人が見ている
ところでは
行動が一致していない
人のことを
言いますが
 
上司が
見ているところでは
一生懸命働き
見ていないところでは
さぼる。
 
こんな気持ち
あるのではないですか?
 
因果の道理においては
人が見てようが
みていまいが
やった行いは
自因自果になりますので
悪は悪であるのです。
 
東京都で
配布している
“眼”が載っている
ポスターがありますが
 
自分の心の眼には
誰も誤魔化すことは
できないように
なっているのです。
 
ここでも何回も
言っていますが
「ばれなければいい!」
とは
絶対にならないのです。
厳然として
因果の道理は
働くのです。
このことを忘れないで
ください。
言行一致するように
実践をしていきましょう。
 
次は忍辱(にんにく)
波羅蜜です。
サンスクリット語で
クシャーンティと言って
耐え忍びのことです。
 
耐え忍びの完成です。
この反対語は
瞋恚(怒り)です。
このブログでも
怒りについての考察は
続けてきましたので
是非、振り返って
いただいて
これも読み返して
いただきたいと思います。
 
私には40年前から
書いている真理ノートが
あります。
その時々で読んだ本の
感動したところの言葉や
文章をメモしています。
もう何十冊もあります。
 
その真理ノートを
めくっていましたら
中村天風先生の
お言葉が載っていました。
中村天風先生は
私の大好きな先生の
お一人です。
 
その中村天風先生が
感情について
書かれている
こんな記述が
ありましたので
 
今日の内容にも
ぴったりと合いますので
これは是非
紹介したいので、
抜粋します。
 
「ほんとうの心の力」という
本の中の抜粋です。

どうぞ、シェアしてください。

人間と感情

「人間だから
怒るのは当たり前だ」
って言う人がいるけれども、
 
どういうわけで
人間なら
怒るのが当たり前? 
世のおおむねの
多くの人々は、
 
「怒ったり、泣いたり、
怖れたりするのは、
人間だからできるんだ。
 
犬や猫や豚や馬でも
やるかも
しれないけれども、
人間ほど繊細で、
直感的な感情というものを
もたないじゃないか」
と言います。

そして
そういう人にかぎって、
「人間は
感情の動物なり」
というような
間違ったことを言っていて、
間違ったことを
言っていないと思ってる。
 
「感情の動物だから、
怒ったり、泣いたり、
怖れるのは
当り前じゃないか」
なんてね。
 
屁理屈の出発点を間違えて、
結論もやっぱり間違えて、
正当なところへ到着する
はずがないんですよ。

じゃあ人間とはなんだろう。
正しい真理のうえから
厳粛に言えば、
「人間とは感情の動物」
ではなく、
「感情を統御できる生物なり」。
 
これが本当の
人間の姿なんであります。

しかるに、
この本当の人間の姿だという
真理のうえから、
厳しく
あなた方の人生生活を
考えてごらんなさい。
 
感情を統御するどころか、
しょっちゅう感情に
追い回されていやしない?』
抜粋了
 
メモはここで終わっています。
 
私も含めまして
真に心しなければならない
お言葉であります。
 
「人間は考える葦である。」
という言葉があります。
パスカルの「パンセ」
に書かれているものです。
 
正確には
この文章の前に下記の
文章があって
「人間は、
自然の中で最も弱い、
一本の葦にすぎない。
しかし
それは考える葦である。」
と言います。
 
人間は考えることで
感情を感情のまま
出さなくても
制御し統制することが
できるのです。
 
それを怒りのまま
心を感情むき出しに
しているのは
偽者の自分が
していることです。
 
一拍置いて考える
それが自らをみつめる
行為であります。
 
忍耐成功であります。
耐え忍ぶというひとつの
徳目の実践こそが
この忍辱波羅蜜であります。
 
また、今日も
長くなりましたので
この後の
精進波羅蜜からは
次回に
させていただきたい
と思います。
 
生かしていただいて
有難うございます。
 
※    明日は一日、所要がありますので、
この続きは6日に書かせて
いただきますので、宜しく
お願いいたします。
 
 
 
 
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角田 政治
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