昨日まで
キューブラ・ロス
女史が
書かれました。
「死の瞬間」
という著書を
学んできました。
死の受容
プロセス」の
五段階は
人間が
不治の病と
知らされてから
どういうふうに
心が反応して
行くのか
随分参考には
なったのでは
ないでしょうか。
否認と孤立
怒り
取引
抑うつと辿り
そして容認
していくという
プロセスが
多くの
“死”に臨んだ
人たちの
データから
明らかに
なっています。
そういう意味では
このモデルは
とても貴重な
データで
あります。
そして、
このモデルが
正しいことを
証明するように、
他ならぬ
キューブラ・ロス
女史が
脳梗塞を患って
いよいよ
自分の死期が
近くなったときの
貴重な
インタビューが
あるのです。
その時の様子は
ユーチューブで
見ることが
できたのですが、
現在は
見れなくなって
います。
しかし、
その痕跡は
窺えますので、
アクセスしてみて
もらっても
いいと思います。
※ 末尾にアドレスを
記します。
その
インタビューの
内容が
以下です。
共有してください。
『インタビューア;
「苦しむ患者を
助けてきたのに、
どうして
自分を
救えないの
ですか?」
ロス女史;
「いい質問ね。
私はおかしく
なっているんでは
なくて、
むしろ現実を
直視しているだけ。
むしろ頭は
さえてるわ。
だって今の自分に
満足なんて、
そんなふりは
できないわ。」
インタビューア;
「あなたは
自分を
愛するべきと
本に
書いてますよね。」
ロス女史;
「いや、
それには
触れないで、
愛の話なんか
したくないわ。
気分が悪くなる。
自分自身を
愛せって?
よくいったものだ。
私の
趣味じゃない。
誰が
そういったの?
殺してやる!」』
如何でしょうか?
このインタビューを
聞く限り、
キューブラ・ロス
女史自身が、
“死”を前にして
このモデルの
「死の受容
プロセス」を
確かに
経ているのが
わかります。
第一段階の
「否認・孤立」
第二段階の
「怒り」は
特に顕著に
現われています。
その他の
プロセスである
取引
抑うつは
この
インタビューでは
わかりませんが、
この激高の
怒りを発した姿を
見る限り
同じ
プロセスを
辿ったのでは
ないかと、
想像できるのでは
ないでしょうか。
ロス女史が
“死”は容認
したかは
定かでは
ありません。
しかしながら、
この
「死の瞬間」に
おける
“死”
の容認までの
プロセスの中で
現われてくる
姿は
私たちの
“死”をも
語って
いるものです。
それぞれに
物語は
違いますが
心の経過は
それ程
変わらないのでは
ないでしょうか。
突然訪れる
“死”で
ないとしても、
“死”に臨んで
少しくらい時間を
与えられたと
言っても
やはり、
自分の“死”と
なりますと、
このように
うろたえてしまう
のでしょう。
私の提案ですが、
この“死”の
受容までの
プロセスを
今、体験して
みたら
如何でしょうか!?
あなたの
“死”の
シュミレーションを
してみたら
如何でしょうか。
あなたももう
感じていると
思いますが、
人間が
“死”を
迎えたとき
現われてくる
心は
煩悩そのものの
心であります。
その中の
特に
心の三毒と
言われる
貪欲(とんよく)
瞋恚(しんに)
愚痴の心そのもの
であります。
自我そのものの
心であります。
今、
あなたが
“死”に
望んでいるとして
現われてくる
その
偽者の我である
欲の本性と
存分に対峙して
みたら
如何でしょうか。
一日生きたと
言うことは
一日“死”に
近づいたこと
ですから、
同じことでは
ないでしょうか!?
欲にまみれ
怖れや後悔に
苛まされ
暗い心を感じ
苦痛に
あえいでみて
自らの
醜い心と
向き合ってみたら
如何でしょう。
少なからず
自分の
欲の本性を
自覚するものは
幸いです。
あの、
ドイツを代表する
文豪であり、
人々に希望を
与え続けた
ゲーテさんでさえ、
死ぬ数分前に
「ああ暗い。
光がほしい!
光がほしい!」
と言って
死んでいます。
フランスの
哲学者
ヴォルテールさんは、
臨終の苦痛に
あえぎながら
最期に、
一方を凝視して、
「それ、
そこに悪魔がいる!
私を
連れにやってくる。
あれ、
奈落が見えてきた。
おそろしい!
おそろしい!
誰か
助けてくれ!」
と叫んで
息絶えています。
どんな人でも
死に直面すると、
今まで
つけていた
色々な明かりが、
みんな
消えてしまい、
まっ暗な心が
胸一面を
おおったまま
死んでゆかねば
なりません。
元気な時は、
気づくことのない、
この
まっ暗な心が、
無明の闇であり、
苦しみの
根元なのです。
「まことに
死せんときは、
かねて
たのみおきつる
妻子も財宝も、
わが身にはひとつも
相添うこと
あるべからず」
これは
蓮如上人の
「御文章」の
お言葉です。
“死”に臨んで
この世のものは、
この世に置いて
いかなければ
なりません。
それに
執らわれる
ことは苦しみです。
財産でも
妻子でも
そして、
“死”さえも
この肉体は
この世のものです。
後生持って
行けるのは
心だけです。
その心が
この世の領域に
まみれていたら
後生は
あなたにとって
決して
住みやすい
場所では
なくなるでしょう。
真我こそが
後生
心安らかに
喜び溢れる
世界への
アクセスキー
なのです。
それは
あなたの
偽者の心が
どんなものなのか
自覚をして
欲の本性を
明らかに
しないと
顕現しないのです。
この世に
執らわれ
ている心の
発信元が
何なのか
わからないまま
であったなら
うっかりして
その心のまま
後生に
持ち越して
しまうでしょう。
その
自覚をした時
ハッキリと
光が射してくる
のがわかります。
暗かった心に
光が射し
明るい心に
なるのです。
その
シュミレーション
としての
“死”の
予行演習は
自分を
見つめるという
意味で
有効なのでは
ないでしょうか!
生かしていただいて
有難うございます。
※(キューブラ・ロス博士インタビュー)
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角田 政治
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Blog:「もう一つの今」http://sinrikenkyu.blogspot.jp/
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