2014年10月14日火曜日

“無常観”とはパートⅢ

今日も
“無常観”について
考えていきます。
というより、
“死生観”と
言っても
いいと思います。
 
「武士道とは
死ぬことと
見つけたり」
 
この言葉は
佐賀藩士であった
「葉隠」の口述者
山本常朝(やまもと
じょうちょう)さん
の言であります。
 
「毎朝毎夕、
改めては死々、
常住死身に成て
居る時は、
武道に自由を得、
一生落度なく
家職を仕課すべき也。」
 
「毎日朝夕と、
いつも死ぬ覚悟を
していれば、
武士道の
自在の境地に
達することができ、
一生失敗すること
なく家職を
全うすることが
出来るのである。」
 
また
大道寺友山さんは
武士道入門書とも
いえる
「武道初心集」
の中で
こう書いています。
 
「武士たらんものは、
正月元日の朝、
雑煮の餅を
祝うとて
箸を取り切るより、
 
その年の大晦日の
夕べに至るまで、
日々夜々
 
いつも死のことを
常に意識して
いることを、
一番大切な心構えと
するべきである。」
 
と山本常朝さん
同様
武士にとっての
一番大切なことは
“死”の覚悟である
と言っています。
 
続いて
「死を忘れて
油断する心が
あるから、
人の気に
障ることを言って
口論になったり、
聞き捨てても
いいことを、
聞きとがめて
紛争の種にする。
 
また、
無益な
遊山や見物の
場所に行き、
人ごみの中を
遠慮もなく
歩きまわり、
素性も知れない
馬鹿者に遭遇して
喧嘩になり、
命を落として
主君の名を出し、
親兄弟に
難儀をかけることは、
 
みな常に
死を心に
思い浮かべていない
油断から起こる
災いである。」
 
このように
“死”を先にして
自己をみつめる
ということは
生を大事にする
ことに繋がって
いきます。
 
“死”は
人生にとって
最大の一大事で
あります。
 
その
“死”に際して
常に心の始末を
していれば
 
私たちに起こる
あらゆる出来事は
小事に表情を
変化するのです。
 
“死”は誰もが
例外なく
体験するもの
 
避けては
通ることのできない
厳粛な事実
その現実を
ただ嘆き悲しむ
のではなく
“死”を今の
ものと
受け入れる時、
 
この瞬間は
意義のあるものに
輝きだし
“死”を
無駄にしない
生き方に
なるのでは
ないでしょうか。
 
“死”を無視して
御覧なさい。
 
その“死”は、
あなたから、
すべてを
奪っていきます。

どんな幸せも
引き離して
しまいます。

そして、
誰にもやってくる
けれども、
いつやってくる
かも分からない
“死”が
突然やってきます。
 
その事実に
打ちひしがれる
のです。
 
“死”を日常に
受け入れ
解決しても
その事実は
変わらないのです。
 
しかし、
心は平然で
いられます。
 
それが“死”
というものだから
です。

「“死ぬ”ときは、
何も
分からないから
考えるだけ無駄さ!」
とか、

「“死”んだら
“死”んだ時さ!」
とか
言うけれども、
本当にそうですか?
 
そんな人ほど
“死”に際して
うろたえています。
 
真に生を考える
ためには、
“死”を解決して
おくことです。
 
お釈迦さまは
このことを
“生死一如”と
仰有っています。

生と“死”は
決して分けて
とらえるものでは
ありません。
 
生があるから
“死”があり
“死”の中に
生があるのです。
 
“死”の解決こそ
善く生きる
エネルギーに
なるのです。

「人間は、
死への存在」
とは
20世紀最大の
哲学者と
言われた
マーチン・
ハイデガーさん
の言葉です。
 
ハイデガーさんは
 
「多くの人は
自分の存在の
意味を問うことなく
日常性の中に
埋没した人生を
送っている。」
と言っています。
 
いつの時代も
人間は
そんなものかも
知れません。
 
そういうふうに、
なるべく
皆と同じように
生き
皆と同じように
振る舞う
 
平均的に生き
流行には
遅れないように
乗っていくような
人間のことを
ハイデガーさんは
世人(das Man)
称しています。
 
「この世人が
あるとき、
自分自身の存在を
意識し、
 
なぜ自分が
存在するのかを
問うときが
やってくる。
 
それは他ならぬ
自分自身の死に
直面した
ときである。
 
他人の死ではなく、
自分自身の死に
直面する
ことによって、
 
人は自分自身の
人生の有限性に
気づき、
そこで初めて
自分が
生きていること、
 
自分自身が
存在して
いることの
重みを自覚し、
 
自分自身のあり方を
真剣に考える
ようになる。

そして、
自分の今の人生を
他の
誰のものでもない
自身の
一度きりの
人生として
捉えることが
できるのである
 
この死の自覚を
通して、
人間は、
自分の死を忘れた
世人(das Man)
としての
日常性から離れ、
本来的な生き方
するようになる。」
 
と仰有っています。
 
“死”は
今、生きているから
見つめることが
できます。
“死”んでからでは
遅いのです。
 
“死 ”を
見つめることは
生を充実させる
ことです。
そして、
“死”をも
快く
受け入れられる
唯一の道なのです。
 
生かしていただいて
有難うございます。rmal'>�":nl�@�8�� style='font-size:12.0pt;font-family:"Times New Roman";mso-ansi-language:FR-CA'> 
生かしていただいて
有難うございます。
 
*****************************************************
角田 政治
携帯番号:080-3085-4801

真理研究会:http://sinrikenkyu.jimdo.com/ 
Blog:「もう一つの今」http://sinrikenkyu.blogspot.jp/
*****************************************************

0 件のコメント:

コメントを投稿