本日は
私のはるか
昔からメモを
とっていた
“真理ノート”の
中から
セネカさんの
[道徳論集]の
“人生の
短さについて”を
ピックアップして、
紹介いたします。
この
“人生の
短さについて”は
紀元前50年前後の
ローマにおいて、
親戚の
パウリヌスさんに
宛てた手紙の
内容の様です。
※パウリヌスさんは
当時ローマの
食糧長官であった。
それでは
共有してください。
『諸君は永久に
生きられるかのように
生きている。
諸君の弱さが
諸君の念頭に
浮ぶことは決してない。
すでに
どれほどの時間が
過ぎ去っているかに
諸君は注意しない。
充ち溢れる
湯水でも使うように
諸君は
時間を浪費している。
ところがその間に、
諸君が
誰かか、何かに
与えている一日は、
諸君の最後に
なるかもしれないのだ。
諸君は
今にも死ぬかのように
すべてを恐怖するが、
いつまでも
死なないかのように
すべてを熱望する。
多数の人々が
次のように言うのを
聞くことがあろう。
「私は五十才から
暇な生活に退こう。
六十才になれば
公務から
解放されるだろう。」
では、
おたずねしたいが、
君は
長生きするという
保証でも
得ているのか。
君の計画どおりに
事が運ぶのを
一体誰が
許してくれるのか。
人生の残り物を
自分自身に
残しておき、
何事にも
振り向けられない
時間だけを
良き魂のために
当てることを、
恥ずかしいとは
思わないか。
生きることを止める
土壇場になって、
生きることを
始めるのでは、
時すでに遅し、
ではないか。
有益な計画を
五十才・六十才までも
延ばしておいて、
僅かな者しか
行けなかった
年齢から始めて
人生に取りかかろう
とするのは、
何と
人間の可死性を忘れた
愚劣なことではないか。』
このセネカさんの
「道徳論集」を
読んだのは
多分24歳位の
時だったと
思います。
それから既に
40年以上が
流れて行きました。
ここに
書かれている
年齢も
とうに越して
しまいました。
人生は
あっと言う間に
過ぎていって
しまいます。
今、この地点に
立って
自らの人生を
眺めてみても
とても
褒められた
人生とは
言えません。
寧ろ
多くは
翻弄された
人生だったと
感じます。
そして
一日一日を
湯水のように
浪費してきたことを
後悔します。
セネカさんも
“人生の
短さについて”
さらにこう
仰有っています。
『われわれは
短い時間を
もっているのではなく、
実は
その多くを浪費
しているのである。
人生は十分に長く、
その全体が有効に
費やされるならば、
最も偉大なことをも
完成できるほど
豊富に
与えられている。
けれども
放蕩や怠惰のなかに
消えてなくなるとか、
どんな善いことの
ためにも
使われないならば、
結局最後になって
否応無しに
気付かされることは、
今まで
消え去っているとは
思わなかった人生が
最早すでに
過ぎ去っている
ことである。
全くそのとおりである。
われわれは
短い人生を
受けているのではなく。
われわれが
それを短くしている
のである。』
如何でしょうか?
確かに
セネカさんの
仰有っられる通りで
この
与えられた
かけがえのない
短い時間でさえも、
私たちは
忙しく振る舞い
足早で走って
いって
しまうのを
見過ごして
いくのです。
お釈迦さまも
大無量寿経で
こう仰有って
おられます。
「世人薄俗にして、
共に不急のことを争う」
「世の中の人は、
目先のことばかりに
心をうばわれて、
人生の
大事を知らない」
過去は
いくら
振り返っても
戻ってはきません。
しかし
今日を
最期の日として
生きるとき
その一日は
重要な意味を
持つことに
なります。
その時
初めて
過去も未来も
自らの手中に
あるのでは
ないでしょうか。
生かしていただいて
有難うございます。
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角田 政治
携帯番号:080-3085-4801
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