昨日は諸行無常について
平家物語の冒頭の詩
並びに「涅槃経」「いろは歌」と
進めさせていただきました。
平家物語の詩を書いた瞬間、
ふと三年前の秋の日の
ことを思い出しました。
その日は秋晴れの
とても清々しい朝でした。
急に紅葉が見たくなって
日光方面へドライブ
した時のことを
書き進めながら
今日も諸行無常について
考察を進めていきます。
東北自動車道を一路
心軽やかに走り
宇都宮ICで居り 日光宇都宮道路に入り 今市ICで 降りるあたりから 紅葉のパノラマが 開けてきました。 黄色や赤色やまだ緑色も
バランス良く重なりながら
その色彩を感性豊かに
届けてくれました。
今でも、目の裏に鮮やかに
残っています。
何も求めない、そのままの
自然が織り成す佇まい 最高のご馳走です。 あまり美しいので さらに車を走らせ 紅葉に魅せられるまま 奥に奥に入って いきました。 走っていますと “平家の里”の 看板が目に 飛び込んできました。 もう湯西川に 入っていました。 これも気楽な一人旅
折角、ここまできて
看板を見たのも
何かの縁だろうと思って
“平家の里”を見学させて
いただいたのです。
京に栄華を誇った平家は 源平の戦いに敗れ 源氏の厳しい追っ手から逃れて 落人として、流れ流れて
安住した地がこの下野の国、
秘境、湯西川だったようです。
この“平家の里”は その落人たちの生活様式や 史実を後世に長く
保存・継承する拠点として
復元したのだそうです。 その中の “床(ゆか)しどころ” という展示館に 平 清盛像とその嫡子 平 敦盛像が展示されています。 その敦盛の一の谷の合戦の エピソードが書かれていました。 『一の谷の合戦で、源氏方の熊谷直実が 敦盛を押えつつ、首を取ろうとすると、 16・7の美少年であるのに驚いて、 「首を取ることなどできない。 助けてやりたい」と泣く泣く敦盛の首を 取りました。 その後、直実は弓矢取る身の虚しさを
自覚して仏門に入り、紅顔の貴公子を悼んだ』
このときの直実の心境は
いかばかりか思い至ると
思わず目頭が熱くなる。 この時、直実も 人間の身心の無常観を 感じたのではないでしょうか。 今日は
梅光女学院大学の
村田 昇先生が書いた
「王朝文芸の宗教的史観四」
“源氏物語と平家物語の比較”
とても共感の持てる
箇所ですので抜粋します。
共有してください。(p24)
無常の美学 「宇宙生命の創造的進化の秩序を 顕現するものは美である。 外なる自然飛花落葉も、 人間の身心も無常である。 故に美である。 宇宙生命の秩序を 教える仏教は美学である。 その経典は文芸である。 砥園精舎の鐘は、 諸行無常、是生滅法、 生滅々已、寂滅為楽と響き、 沙羅双樹の花の色は、 盛者必衰の理を現すが故に美である。 これを最初に謡う平曲は、 無常観念詩である。 私は詩とは 直観した宇宙生命秩序を
ことばを縁として、
十分に響流しているものと思考している。 生も病も老も死も、種も熟も脱も、 生も住も異も滅も、
すべて宇宙の秩序である。
無常である。美である。 かく道得された処が、浬禦寂滅である。」 抜粋了 村田先生のこの無常の美学の 部分を読むにつけ この仏教の重要な教えである。 諸行無常が
いかに大切な教えで
あることが理解できる。 さらにお釈迦さまが 2600年前に 悟りを開くに到った 過去世の因縁としての 物語である ジャータカ物語→本生譚 (ほんしょうたん)の中に ある雪山童子 (せっせんどうじ)の お話を思い出します。 『お釈迦さまの前世の修行者が ヒマラヤの雪山で 一生懸命に修行をしていました。 そのあまりにものひたむきさに 感心した仏法の守護神である 帝釈天は、羅刹(らせつ)という 鬼神の姿に身を変えて 修行者の前に現れてこう唱えるのです。 「諸行無常、是生滅法」 「諸行無常なり、是れ生滅の法なり」 この真理の二句を聞いた修行者は この教えに大いに感動し喜びました。 しかし、修行者が
まわりを見回して見ると
そこに立っているのは 恐ろしい形相の鬼だあった。 修行者はその鬼のような 姿の羅刹に向かって 「今の言葉はあなたが唱えたのでしょうか?」 と聞きました。 そうすると 「そうだ!」と答えたので、 さらに 「今の教えはまったくの真理です。
ではどのように生きたら良いのでしょうか?
知っていられるならその続きを是非とも お教え願いたい!」 そう修行者が聞きますと、 その鬼は答えました。 「勿論、知っている。しかし、何も食べて いないので、腹が減って続きを唱えられん!」 修行者は 「私が探して来ますので、何が食べたいのですか?」 と聞きました。 鬼は 「人間の肉を食べたい!」と言いました。 そこで修行者は、 真理を求めるために命を捨てる覚悟をして 言いました。 「解りました。私の身体でよければ、 あなたに差し上げるので 続きの真理を聞かせてください!」 と言います。 鬼は真理の二句を唱えました。 「生滅滅已、寂滅為楽」 「生滅を滅し終わって、寂滅をもって楽となす」 修行者は これを聞いて驚喜し、 「後世の人の為に、この真理は 残さなければならない!」と、 この四句を岩に刻み谷底に 自らの身を投げ打ったのです。 その瞬間、 鬼神、羅刹の姿から元の帝釈天に戻って、 やさしく修行者のからだを受けとめ 礼拝したのです。』 お釈迦さまの前世の雪山童子が 命を賭してまで知りたいと思った その教えこそ この諸行無常の教えという意味で 諸行無常偈といい、 雪山童子の教えという意味で 雪山偈とも言われています。
「涅槃経」の一文です。
“諸行無常”(しょぎょうむじょう) すべての存在は 移り変わるものである。 “是生滅法”(ぜしょうめっぽう) 是がこの生滅する この世の法えである “生滅滅已”(しょうめつめつい) 生滅へのとらわれから 己を滅し尽くして “寂滅為楽”(じゃくめついらく) 寂滅の境地に到り 楽と為すのである。 という法えなのです。 これを和訳したものが 「いろは歌」といわれています。 空海さんの作といわれています。
もう一度書かせて
いただきます。
いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす 色は匂へど 散りぬるを (諸行無常) 我が世誰ぞ 常ならむ (是生滅法) 有為の奥山 今日越えて (生滅滅已) 浅き夢見じ 酔ひもせず (寂滅為楽) 意味は 「色は匂えど散りぬるを」 花は匂い立つほどに 咲き乱れていても やがては散ってしまう ものである。そのように すべての存在は 一定のものなど何もない 変化してしまうものである。 という「諸行無常」を 示しています。 「我が世誰ぞ常ならむ」 この世に存在するもので 生滅しないものは何もない これが真理なのです。 「有為の奥山今日越えて」 有為とは作られたもの という意味で、 原因と条件があって 万物は存在するのです。 縁が変われば、 それに応じて 常に姿も変わります。 「無常」です。 有為の奥山を、今、 越えて観るならば、 苦しみ悩みは 「夢のようなもの」 なのであるとして、 「浅き夢見じ酔いもせず」
と繋がるのです。
寂滅をもって楽と為す。 「この世の中は 無常である。だから、 何とかしようと あがいてはいけません。 まず、自我を捨てる ことです。 執着に囚われずに 「寂滅」の状態 煩悩の火が消え やすらぎの状態に なった時に 無や空の境地に 到るのです。」 紅葉を見ようと 思い立った所から 湯西川にまで到り そして、 “平家の里”の 「平家物語」の冒頭に 繋がり “諸行無常”の 「雪山偈」となり 「いろは歌」にまで 広がってしまいました。 ただ、思いつくまま 気の向くまま 書いてみました。 これも “諸行無常”なのでしょう! おつきあい ありがとうございます。 ***************************************************** 角田 政治 携帯番号:080-3085-4801 真理研究会:http://sinrikenkyu.jimdo.com/ Blog:「もう一つの今」http://sinrikenkyu.blogspot.jp/ ***************************************************** |