「祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。」
祇園精舎の鐘の音には、
この世のすべての現象は
常に変化していくものだ
という響きがある。
沙羅双樹(曼珠沙華)の
花の色は、
どんなに勢いが盛んな者も
必ず衰えるのであると
いう道理をあらわしている。
権力を持ったものも
長くはその権力を
維持することはできない。
それは春の夜の
夢のようである。
勢い盛んで強い者も、
結局は滅び去る。
それは風に吹き飛ばされる
塵と同じようである。
有名な「平家物語」の
冒頭部分です。
皆さまも中学校時代
暗記させられたのでは
ないでしょうか。
お釈迦さまが
説いた
基本的な教えの
諸行無常を
歌ったものであります。
日本にはこの無常観を
歌った歌がたくさんあります。
世の中に
たえて桜のなかりせば
春の心はのどけからまし(
「古今和歌集」在原業平)
「もし桜がまったくなかったら、
春の心はのどかだっただろうに」
桜の花は
とてもあでやかなのと同時に、
咲いたと思ったら
すぐに散って行ってしまう。
人の命や人生を
桜の花になぞらえた歌です。
無常観を誘います。
「無常」とは、常がない、
続かないということです。
楽しいことも、
美しいものでさえも、
愛しいものであればあるほど
いつまでも
ずっとそのままで
あって欲しいのに続かない。
散る桜 残る桜も 散る桜
上記の歌は
良寛さんの歌です。
風で散っていく桜、
散るまいと残っている桜
しかしやがて
必ず散っていくのだ。
良寛さん自身になぞらえて
私はこれで死んで行く
あなたはまだ
生きているけれども、
いずれ、あなたも
必ず死んで行くのだよ。
と歌ったものです。
あなたは「いろは歌」を
ご存知ですか?
日本人なら、当然の如く
一斉に
「誰でも知っている!」と
答えるに違いがありません。
最初にかなを覚えるときに
使います。
でも、この「いろは歌」は
とても大切なことを
伝えている素晴らしい
短歌なのです。
同じ文字を二度使わずに
意味が通る文章になっている
ものすごい歌です。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせすん
このひらがなを
漢字を交えて書くと
色は匂えど 散りぬるを
我が世誰ぞ常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔いもせず
意味が何となく
解ってきます。
いろは歌は
下記の
仏教の重要な[経典である
「涅槃経」を
和訳したものだと
伝えられています。
諸行無常(しょぎょうむじょう)
是生滅法(ぜしょうめっぽう)
生滅滅已(しょうめつめつい)
寂滅為楽(じゃくめついらく)
諸行は無常なり
是れ生滅の法なり
生滅滅し已(おわ)りぬ
寂滅をもって楽と為す
「いろは歌」も「涅槃経」も
前半の二行は、
私たちの迷いの世界を
後半の二行は、
さとりの世界を
あらわしています。
「色は匂へど散りぬるを
我が世誰ぞ常ならむ」
咲き誇った桜も
散るときがくるように
一切は崩れ去って行く
この世の春を謳歌しても、
誰が続いただろうか
(諸行は無常なり
是れ生滅の法なり)
「有為の奥山今日越えて
浅き夢見じ酔いもせず」
その苦しみ悩みの
有為の奥山を、
今日、現在、
この生きている瞬間に、
越えることができる。
それは、
夢でもなければ
酔ったような世界でもない
絶対の世界があるのだ。、
(生滅滅し已りぬ
寂滅をもって楽と為す)
如何でしたでしょうか?
「いろは歌」には
苦悩の根元を破り
絶対の幸福に繋げる
道が説かれていたのです。
私たちの
この世のものは
諸行無常であります。
夢なのです。
酔っているのと同じです。
すべては、一切続くものは
ひとつもないのです。
それだけを追い求めて
一生を終えるとしたら
人生に何の意味が
あるのでしょうか?
今日がすべてなのです。
今の瞬間
何を考え何を為すのか
あなたの内に
すべての答えが
あったのです。
あなたの内には
生滅滅し已りぬ
寂滅をもって楽と為す
真我を宿しています。
移り行く世界ばかりの
点の視点から
永遠・無限なる
あなたの内の
宇宙大の世界へと
大きな視点を持ちましょう!
そこに
絶対の幸福があるのです。
生かしていただいて
有難うございます。