2015年3月27日金曜日

“生きる意味を考える”2

昨日に
引き続き
生きる意味を
考察して
まいりましょう。
 
昨日は
私たちの
生きる目的は
幸福であり
 
その幸福の
心の状態は
 
「人間に
生まれて
本当に良かった!」
という
生命の歓喜が
あることと
定義しました。
 
この歓びとは
たとえ
“死”を
迎えたとしても
絶対、崩れない
歓びのことです。
 
それでは
あなたにとっての
幸福とは
何でしょうか?
 
こう質問
いたしますと
それも
人それぞれ
でしょう?
という
答が返ってきます。
 
私たちが
営む
経済や政治
医学や科学
法律や芸術
スポーツや趣味
等々は
 
私たちがより
生きやすくする
ために
あります。
 
生きるための
手段として
存在するものです。
 
経済であるならば
あらゆる
資源(人的な資源も
含めて)
それを効果的に
活用して
適切に分配して
いくことによって
幸福になる為の
一役を担っています。
 
医学は
少しでも
長生きして
健康に快適に
生きることの
ために
貢献しています。
 
政治は
いろいろな
利害を調整して
国民がより良く
生きるために
あります。
 
法律も
そうでしょう。
 
科学は
私たちに
少しでも便利で
快適な生活が
できるように寄与
しています。
 
スポーツや
趣味においても
あらゆる活動を
さらに
進めていくための
潤滑油的役割を
担っていると
いえます。
 
これらが
うまく機能すれば
私たちの幸福に
多大な恩恵を
もたらします。
 
しかし
使い方を
誤れば
不幸になって
いくものでも
あります。
 
これらは
手段ですので
目的によっては
良くも悪くも
なります。
 
結局のところ
経済も政治も、
医学も科学も、
すべての
人間の営みは、
目的が
はっきりして
いなければ
空中分解して
しまいます。
 
目的あっての
手段なのです。
 
私たちの
毎日の営みの
中で
朝起きて
ご飯を食べて
家を出ます。
 
バスに乗るか
歩いていくか
 
最寄りの駅まで
行きます。
 
そして
会社か学校か
目的地の切符を
買います。
(今は、定期か
スイカですね!)
 
また、そこから
歩いて
会社か学校へ
着きます。
 
「さあ仕事(勉強)
頑張るぞ!
となります。」
 
もしこれが
家を出て
行く場所が
特定できて
いなかったら
どうでしょうか?
 
目的地が
決まって
初めて歩くのか
バスか自転車か
車か電車かが
決まるのです。
 
そして、
何時に出れば
間に合うかが
特定されるのです。
 
これが
目的と手段との
関係です。
 
私たちの人生は
どうでしょうか?
あなたの
目的地は
はっきり
定まっている
でしょうか?
 
親鸞聖人の
書かれた
「教行信証」の中に
人間の特徴を
鋭く著した言葉が
あります。
 
「真・仮を
知らざる
によりて
如来広大の
恩徳を迷失す。」
 
真とは人生の目的
のことです。
 
仮とは生きる手段
のことです。
 
前述した
経済や政治等々
生き甲斐や趣味、
目標のことです。
 
知らざるとは
生きる
目的と手段の
区別が
ついていない
ということです。
 
如来広大の
恩徳とは、
ここで
いうところの
生命の歓喜です。
 
私たちは
生きる目的と
手段の区別が
ついていない、
だから
生命の歓喜が
起きないのだ。
といわれている
お言葉です。
 
私たちは
目的を知らず
手段ばかりに
夢中になって
います。
 
だから
苦しんでいる
と言っています。
 
「人間に生まれて
本当に良かった!」
という
生命の歓喜が
起きないと
言われて
おられるのです。
 
お釈迦さまは
「ドゥッカ」
という
精神状態を
最初の真理として
打ち出しました。
 
「苦」のことです。
この「苦」の
意味するところは
不安
虚しさ
不満
惨めさ
寂しさ等々
として現れる
無明の闇の
ことです。
 
無明の闇とは
無明は
明かりが無い
すなわち暗い
ということです。
 
闇も暗いという
意味です。
暗い表現を
重ねているのが
無明の闇です。
 
パソコンを
苦手な人は
パソコンに暗い
という言い方を
します。
 
人生に暗いという
心の病のことです。
 
ヒンズー教でも
マーヤーと言って
妄想のベールと
呼んでいます。
 
親鸞聖人の前述の
真・仮を
知らざる心
でもあります。
 
人間特有の
機能不全的
特徴を現すと
言っています。
 
このブログで
いつも
言っている心
自我の心です。
 
自我は
人と
比べたがります。
 
手段は
それぞれですが、
すべての人は
共通して、
幸福を求めて
生きています。
 
ですが
幸福になれた
でしょうか。
 
自我からの
相対の幸福は
キリがないので、
必ず不満感が
出てきます。
 
そして
相対の幸福は
長くは
続きません。
よって必ず
不満感が
あなたを襲います。
 
そして最期は
死によって
すべては
崩れ去って
しまいます。
 
そんな
幸福ばかりを
求めています。
 
それが
ドゥッカの
正体です。
 
無明の闇を
破らなければ
ならないのです。
 
満足感
安心感
死んでも絶対に
崩れることのない
幸福
 
「人間に
生まれて本当に
良かった!」
という
 
生命の歓喜は
どうしたら
起こるの
でしょうか?
 
それには
心の
パラダイム
シフトが
必要です。
 
消えゆくものに
焦点をあて
求めている心は
 
幻の自己
偽物の自己で
あることに
気づくことです。
 
幻は
幻と認識すると
消えていきます。
 
手段は
あくまでも
目的があっての
手段です。
 
それが手段だと
気づけば
現れても
それに執着する
ことが
なくなるのです。
 
それは
もう一人の自己が
観察して
その自我を
見つめている
からです。
 
常に観察して
自我は衰え
バランスが
とれた
心の動きを
感じるように
なっていくのです。
 
それが
真我につながる道
仏教における
仏性であり
 
キリスト教に
おける
内在キリストへの
移行への
ステップであります。
 
そこで
初めて
「嗚呼、人間に
生まれてきて
本当に良かった!」
と、
 
生命の歓喜が
湧きあがり
永遠性へと
つながっていく
心になって
いくのです。
 
生かしていただいて
有難うございます。
 
 
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角田 政治
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