「いざ鎌倉」
有名な言葉ですので
知っている方も
多いと思います。
今日は
その
「いざ鎌倉」の
言葉の背景にある
ある物語を
ご紹介
いたします。
共有してください。
「能」の題材の
一つでもある
謡曲「鉢木」で
語り継がれている
お話です。
当時の
鎌倉幕府には
城も要塞も兵営も
なかったようです。
従って
常備している
軍もなく、
各御家人たちは、
各地に
散らばっていました。
何か問題があった
時には
鎌倉幕府が
号令をかけますと
家来を引き連れて
鎌倉に
馳せ参じたのです。
それで「いざ鎌倉」
という言葉が
生まれたのです。
『ある旅の僧が、
上野国佐野荘
(群馬県高崎市)
の山中で
迷っていました。
その日は
大変な猛吹雪であり、
大変な猛吹雪であり、
あまりの寒さに
凍えながらも
歩を進めていました。
暫く行くと
一軒のあばら家が
あるでは
ありませんか、
戸を開けると、
戸を開けると、
そこには
貧しい夫婦が
住んでいました。
「私は諸国を
「私は諸国を
旅している者ですが、
この大吹雪に
見舞われ、
道を見失って
道を見失って
しまいました。
突然で
申し訳ないが、
一夜、お泊め
頂くわけには
まいりませんか」
「それはさぞ
「それはさぞ
お困りでしょう。
狭い家ですが、
ささ、どうぞ中に
お入り下さい。
外はさぞかし
外はさぞかし
寒かったでしょう。
さあ、
こちらの火のほうへ
お越しください」
身も心も
身も心も
凍り付いていた僧は、
手を合わせて
礼を言いました。
奥さんが
奥さんが
一杯の粟の雑炊を
持ってきましたが
具一つ入っていない、
具一つ入っていない、
質素な粟飯でした。
「お腹が
空かれたでしょう。
御覧のような、
貧乏暮らしで
ございます。
こんなものしか
ありませんが、
よろしければ、
お召し上がりください」
「とんでもない
「とんでもない
何よりのご馳走です。
かたじけない」
すると、奥さんが
すると、奥さんが
なにやら主人に
困ったように
小声で…
「実は…」
「実は…」
「なに、
薪を切らして
しまったのか」
囲炉裏にくべる薪が
囲炉裏にくべる薪が
底をついて
しまったのだという。
主人は
主人は
おもむろに
立ち上がり、
手斧を持って、
土間に整然と
土間に整然と
並べられていた
三鉢の
盆栽の前に立ち
その一つを
手に取りました。
「いけません!
「いけません!
見たところ、
その梅、桜、松の
鉢の木は、
ご主人が
ご主人が
長年大切に
手がけてこられた
逸品と見ました。
それを
お切りになるなど、
正気の沙汰では
ありません」
「いえ。いかに
「いえ。いかに
暮らし向きは
貧しいと言えど、
心だけは
豊かでいようと、
この鉢の木を
この鉢の木を
美しく育てて
まいりました。
しかし、
お困りの方に
精一杯の
おもてなしを
するのもまた、
心の豊かさの一つと
心の豊かさの一つと
言えましょう。
きっと、
この梅も桜も松も、
それは
本望でありましょう」
僧は心から感動し、
僧は心から感動し、
主人に尋ねた。
「ご主人、
「ご主人、
その並ならぬ
お心遣いといい、
そして
そして
先ほどからの
姿勢や
お言葉といい、
実は名のある武士
実は名のある武士
なのでは
ございませんか」
と素性を聞くと
と素性を聞くと
なかなか
打ち明けなかったが、
たって聞くと
次のように答えた。
「お坊様に
隠し事は
できませんな。
私は
私は
佐野源左衛門常世と
申す武士に
ございます。
かつて
鎌倉幕府より
拝領した佐野荘を
治めていましたが、
一族郎党に
領地を横領され、
命を
狙われるようになり、
山奥のこの家に
山奥のこの家に
隠れ住むように
なったのです」
「そうでしたか。
「そうでしたか。
それは
お気の毒なことです」
「いえ、
「いえ、
同情は無用ですぞ」
「この身
「この身
落ちぶれたるとも、
私は
武士にございます。
鎌倉幕府より
鎌倉幕府より
頂いた大恩は
一刻も
忘れては
おりませぬ。
甲冑も刀も
常に磨き、
外には馬も一頭
繋いでおります。
もし幕府より
急ぎの召集が
あったとしても、
いざ鎌倉へと
いざ鎌倉へと
馳せ参じ、
命を懸ける所存に
ございます」
旅の僧は、
旅の僧は、
佐野源左衛門の
清廉な心に
深く感動しました。
・・・・・・
その後間もなく
・・・・・・
その後間もなく
「鎌倉に一大事」
という
触れがあって、
関八州の武士が
一斉に
鎌倉へ
駈けつけました。
源左衛門も、
みすぼらしい
出立ちで
痩せ馬に乗って
駈けつけたのです。
すると
すると
「執権の前に出よ」
と言葉が
かかります。
さては
腹黒い親戚どもが
讒言して、
讒言して、
自分が
罰せられるのか
と思って
前に出でて、
前に出でて、
地に膝を付き、
深々と頭を下げた
佐野源左衛門は、
顔を上げた時、
思わず
大声を出したのです。
「あなた様は…!」
「覚えておるか、
「あなた様は…!」
「覚えておるか、
佐野常世」
猛吹雪の日に
猛吹雪の日に
あばら家を訪れた
旅の僧は、
執権北条時頼
執権北条時頼
だったのです。
驚きを隠せず、
驚きを隠せず、
佐野源左衛門は
再び地に頭を付けた。
時頼は
時頼は
温かく声をかけた。
「佐野。
「佐野。
おぬしが語った
忠誠心、
嘘偽りでは
無かったのう。
見知らぬ者でも
精一杯もてなす
曇りなき清廉の心、
どのような
境遇にありても、
受けし恩に
応えんとする
決して
決して
忘れぬ忠義の心、
武士の鑑として
武士の鑑として
実に
あっぱれである。
その忠誠を讃え、
その忠誠を讃え、
佐野の地は
佐野源左衛門常世に
返そう。
また、
凍える我が身を
温めるべく
馳走になった
梅の鉢の
木の返礼として、
加賀国の梅田、
加賀国の梅田、
桜の鉢の
木の返礼として、
越中国の桜井、
松の鉢の
木の返礼として、
上野国の松井田の
領地を与える。
これからも
これからも
鎌倉のため、
尽くしてくれ」
「佐野源左衛門常世、
「佐野源左衛門常世、
かしこまって
ございます」』
というお話です。
このお話は
このお話は
誰でも知っている
テレビの
ご長寿番組だった
のちの
水戸の御老公
水戸黄門のお話の
原型になった
ものであります。
当時の
執権北条時頼は
得度をしており
最明寺入道という
法名を持って
おりました。
北条時頼は
執権の身分を
隠して
実際に
諸国を托鉢して
巡遊しつつ
民情をさぐり歩いて
政治の公正を
期していたという
史実に基づいた
お話であります。
水戸黄門のほうは
講談で語られた
物語であって
史実の根拠は
史実の根拠は
ないのだそうです。
いずれにしても
この
佐野源左衛門の
精一杯の
おもてなしの心と
常に報恩を忘れない
忠義の心に
高潔な尊いものを
感じぜずには
いられません。
生かしていただいて
有難うございます。
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角田 政治
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