2014年11月19日水曜日

“存在”そのものの価値19

今週は
お断りもなく
ブログを休みまして
申し訳ありません。
10月に眼の手術を
しまして、
暫くPCを使用
できなかったことも
ありまして、
 
溜まってしまった
仕事や所用に
追われまして
11月に影響して
います。
 
多くの人から
心配の連絡があり
この場を借りて
お詫びいたします。
 
私の場合
下に携帯電話等
連絡先を
書いてありますので
最近は
知らない方からも
たくさん
連絡をいただいて
います。
 
都合上
即でれないことも
ありますが、
留守録を
入れておいて
いただければ
その日のうちには
必ず連絡します。
何でも
ご相談ください。
 
ブログは
年内は不定期に
なるかも
知れません。
暫くは
ご不便をかけます。
 
それだけ
読んでくださる方が
いらっしゃるのだと
大変嬉しく思います。
感謝いたします。

さて、
“存在”そのものの
価値も19回を
迎えます。
そろそろ別の
テーマにしようと
思うのですが
 
大変大事なテーマ
ですので
暫くはこのテーマで
いきたいと
思います。
 
仏教における
古い経典で
ダンマパダという
経典があります。
法句経と呼ばれて
います。
 
ダンマが法・真理
ですので
パダが言葉ですので。
真理の言葉と
いう意味です。
 
短詩型の教説を
集成したもので
初期の仏教を
伝えています。
 
西欧においても
「東方のバイブル」
と言われて
親しまれている
経典のひとつです。
 
その中の
第五章63に
 
「もしも愚者が
自らを
愚かであると
考えれば、
すなわち賢者である。
 
愚者でありながら、
しかも
自ら賢者だと
思うものこそ
「愚者」だと
言われている。」
 
この言葉は
とても重要です。
多くの人は
自らを
愚者であると
思っては
いません。
 
そういう意味では
お釈迦さまが
仰有るとおり
愚者であります。
 
人は
自分の
モノサシで
自分を測ります。
 
自分のモノサシは
欲目があり
自惚れがあります。
正しくは
計測できない
ようです。
 
この
愚者のところを
悪人と入れ替えて
みましょう。
 
「もしも悪人が
自らを
悪人であると
考えれば
すなわち
善人である
 
悪人でありながら
しかも自らを
善人だと
思うものこそ
「悪人」だと
言われる。」
 
お釈迦さまは
私たち
人間のことを
煩悩具足と
仰有っています。
 
私たちは
煩悩そのもの
煩悩のかたまり
煩悩でできている
ということです。
 
そういう意味では
完全に
愚者であり
悪人であります。
 
しかしながら
悉有仏性であるとも
仰有っています。
 
前者は
私たちの
自我の本性で
あります。
 
そして後者は
真我の本性で
あります。
 
これが
いつも私が
言っている
ところの
 
不完全な
完全存在が
あなたなのです。
と言う意味です。
 
今、
肉体を持って
期間限定の
この不完全性に
収まった
 
無限なる
永遠なる
完全存在が
あなたなのです。
 
愚かさというのは
真理に対する
無知のことです。
 
真理を
知らないから
愚者であり
悪人であるのです。
 
真理を
諦らかに見る
ことができれば
はじめて
賢者に
なれるのです。
 
どのように
諦らかに
見たら良いので
しょうか?
 
縁起の法に
則った見方です。
因果の道理の
ことです。
 
物事のすべてが
因と縁によって
成り立っている
ということが
どうしても
理解できない人が
愚かな人なのです。
 
法句経の
第五章69には
こういう
言葉もあります。
 
愚かな者は、
悪いことを
行っても、
その報いの
現れないあいだは、
それを蜜のように
思いなす。
 
しかし、
その罪の報いの
現れたときには、
苦悩を受ける。」
 
これはまさしく
因果の道理を
諦らかに
見ることが
できないゆえに
生起している
現象です。
 
身・口・意
の三業は
いつも話して
いますので
もうお分かりだと
思います。
 
私たちの三つの
行為のことです。
 
その中で
意すなわち心で
念うことが
私たちの運命を
決めているのです。
 
心で念ったことが
言葉として現われ
実際の身体を
使っての行為に
つながります。
 
自分の念いが
自分の運命を
決めているのです。
 
すべては
念いによって
生起して
いるのです。
 
ということは
物事は
起こらせる
こともできますし、
起こらせないよう
にもできるのです。
 
愚者とか
悪人とか
自覚できていない
人は
 
愚者や
悪人というものが
どの基準なのか
わからないので
 
平気で悪を
犯して
しまうのです。
 
その現象は
遅れて
やってくることが
多いです。
 
暫くは
蜜を味わっています。
 
ですから
その結果
現われたものに
苦悩します。
そして、
解決できないまま
自分に原因が
ないと思って
他人や環境に
責任を追いかぶせる
のです。
 
因果の道理を
諦らかに
見ていない
例の一つです。
 
同じ法句経に
こんな教えも
あります。
 
[錆は
鉄から出て
鉄自身を
滅ぼすように
 
悪は
人間から出て
人間を滅ぼす。」
 
即ち
「身から出た錆」の
語源です。
 
これが
因果の道理の
自因自果
自業自得の
教えです。
 
自分の念いから
でた行為が
自分が得る“果”
としての報いです。
 
自分の
善をなせば
善縁が結ばれ
善という果を
得るのです。
 
すべては
因果の道理を
諦らかに見る
ことこそ嚆矢で
あります。
 
そして
あなたそのものの
“価値”に
目覚めることです。
 
生かしていただいて
有難うございます。
 
 
 
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角田 政治
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