皆さまは
東井(とおい)義雄
さんという方を
ご存知でしょうか?
知る人は知る
(当たり前ですが)
とても
立派な方です。
前回まで
ご登場願った
鈴木章子さんを
世に出された方
でもあり、
東井さんも
章子さん同様に
真宗本願寺派の
お寺さんの
長男として
お生まれになられた
縁もあり
病気になられて
からの章子さんと
知遇を
得られたようです。
私は先ほど
東井義雄さんを
「立派な方です!」
と紹介
しましたが、
鈴木章子さんの
ある詩が
頭に
浮かんだのです。
それは、
“子供たちどうか
えらくならないで・・“
と題して
死を前にして
愛する子供たちに
宛てた
もう一通の
遺書とも言うべき
メッセージの中に
書かれていました。
引用します。
『啓介 大介
慎介 真弥
えらくなってくれるな
えらくなれば
鼻が高くなる
頭があがる
啓介 大介
慎介 真弥
立派に
なっておくれ
人間
立派になれば
頭が下がる
えらい人と
立派な人
混同しては
いけない
深く
深く
味わって
生きておくれ
人間の生
深く
味わえる人が
立派な人だ
立派な人って
何気ない
人達の中に
たくさんいる
バッジをたくさん
つけた人の中
仲々
見当たらない
ものだよ
バッジが
立派になることを
邪魔するからだよ
たとえバッジが
たくさん
ついたとしても
お前はお前だよ
邪魔になるバッジは
できるだけ
つけぬ方が
ボンクラには良い
私は私でよかった
という満足で
お前の心を
満杯にしておくれ』
引用了
章子さんが
子供さんたちに
最期に
伝えたかったこと
偉い人ではない
“立派な人”に
なっておくれと
望んでいます。
それは
人間の生を
深く
味わえる人だ。
と定義しています。
私は
この、
東井義雄さんこそ
正(まさ)しく
そういう
“立派な人!”だと、
思える
数多くない人の
一人であると
思っています。
本日は
その
東井義雄さんの
79 年の生涯から
味わいのある生を
深く
学ばせて
いただきながら
生きる意味について
考えていきたいと
思います。
共有してください。
東井義雄さんは
前述しましたが
( 1912 ~ 1991 )
中国山脈の山の中
兵庫県出石郡合橋村
(但東町)佐々木の
貧乏寺(本人談)
東光寺の長男として
生まれました。
お父さんが
病身であったことと
親戚の借金の
請け判(保証人)の
責任をとって、
生活は大変
苦しかったようです。
大正7年
6歳(小学 1 年生)
のとき、
最愛の
お母さんと
死別されました。
東井さんは
その時のことを
「わが心の自叙伝」
( 東井義雄著作集7
明治図書)
の中で
このように
仰有って
おられる箇所が
ございます。
引用させて
いただきます。
『 父が不在の時など、
母が仏前に座して
おつとめをする時
そのかたわらで、
母をまねて
「きみょう
むりょうじゅ
にょーらい」
と唱和しながら
見上げる時の
母の
なんとも言えない
うれしそうな
微笑は、
今もあざやかに
私の顔前にある。
私は
それが嬉しくて
母の顔を見い見い
体をくっつけて
お勤めをしたもの
である。
後年ずいぶん
仏に
そむくような
思想を
追い求めた
私であるが、
結局
そむき切ることが
できなかったのは、
この母の微笑が
脳裏にやきついて
離れなかった
からである。 』
そのように
述懐されて
おられます。
その後
東井義雄さんは
大正 12 年 11 歳、
小学5年生の時
旧制中学の
入試資格試験に
合格しましたが、
ご存知のとおり
極め付きの
貧乏寺でした。
お父さんも
行かして
あげたかったのは、
やまやまであった
のですが、
経済的に
断念せざるを得ず、
諦めました。
しかし、
昭和 2 年 15 歳の時
どうしても
進学の夢、
断ち切れず、
「一番安く
学べる学校」
という理由一点で、
師範学校(姫路)に
入学したのです。
昭和 7 年
20 歳
優秀な成績で
師範学校を卒業し、
豊岡市豊岡尋常
高等小学校に着任。
以来その学校に
10 年間在職する
ことになります。
この時代は
不景気のどん底に
ありました。
丁度、
満州事変が勃発
する頃の時代で
あります。
東井義雄さんは
念願の教員に
なりましたが、
貧しい時代
のことです。
子供さんの中に
お弁当を
持ってくることが
できない子が
随分いたのだそう
です。
昼になると
弁当の代わりに
水を呑んでいる
子供たちを
見ながら、
東井さん自身の
貧乏育ちと
からみあって
とても
いたたまれない
気持ちになった
そうであります。
政治を批判し、
体制を批判する
ような方向に、
深入りして
いきました。
プロレタリア
文学や
プロレタリア
文芸評論を読み
唯物論全集を
読みふけったのだ
そうであります。
この頃の様子を
東井さん自身が
告白していられる
箇所が
東井さんのご著書
「拝まないものも
おがまれている」
(光雲社)から
引用させて
いただきます。
『唯物論全集の中の
「道徳論」の中で、
「支配階級にとって
都合のよいことを
「善」といい
都合の悪いことを
「悪」という」
ということばに
であったときの、
パッと目が覚めた
ような
あの思いは、
いまも
忘れることが
できません。
こうなると、
当然、
宗教的には、
「無神論」への道を
突っ走ることに
なります。
「支配階級が、
被支配階級から
絞り取るのに、
理屈を
言わせないように、
「ありがとう
ございます」
「もったいのう
ございます」
と、考える力を
眠らせる役割を
果たすために
宗教がある」
という考え方に
立たずに
おれなくなります。
こうして、
貧乏寺であると
いいながらも、
せっかく寺に
生まれさせて
いただきながら、
とんでもない
方向に
突っ走って
しまったのです。』
引用了
とあるように
この頃の
東井さんは
「仏さまも
糞もあるものか!」
と思って
毎日を送って
いたそうです。
しかし、
東井さんは
病身の住職の
お父さんに
成り変わり
朝晩の寺の
お勤めの
役目を受け持って
いました。
もちろん
形だけの
お勤めでしたが、
あるとき
お勤めを
しているとき
ねずみが
仏さまにあげた
仏飯を食べに
来たんだそうです。
その時
「ねずみにまで
バカに
されるような
仏さまに
何ができるか?」
と、
バカらしくなった
んだそうです。
ところが、ハッと
気がついてみると、
「そんな仏さまを
拝んで、
お供え物をさせて、
それを
横盗りしている
私は
そのねずみの
何層倍も
おそろしい
ねずみではないか」
と、とても
やりきれない
気持ちに
陥っていったと
いうのです。
当時の日記には
「坊主、糞坊主、
汝は飯を盗むか
糞坊主」
と、書いてあった
そうであります。
そんな東井さんを
救ってくれたのは
ひょんなことでした。
受け持ちの
子供さんの
ひとつの純粋な
疑問であったのです。
その
ひょんなこととは
一体、
どんなことで、
あったのでしょう?
今日も
長くなって
しまいました。
明日に続きます。
楽しみに
お待ちください。
生かしていただいて
有難うございます。
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角田 政治
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