2015年5月17日日曜日

“生きる意味を考える”9

GW も終わって
もう今日は
月 7日
 
あっという間に
今年も
半年近く
経ってしまいました。
 
ブログの方も
月 18 日以来
ですので
ヶ月も投稿して
いませんでした。
 
本当に
ご無沙汰しました。
 
今年に入ってから
女房の入退院も
回目となり
また、
所用も重なり
物理的に厳しい
状態が
続いています。
 
どうぞ、
お察し願って
通常に戻るまで
もう暫くの猶予を
お願いいたします。
 
その間
多くの方から
ご心配や
励ましの連絡を
いただき
有難うございます。
 
この場を借りて
御礼申し上げます。
 
皆様には
心より感謝して
おります。
 
さて、
今日は
「癌告知のあとで」
という本を
紹介したいと
思います。
 
鈴木章子(あやこ)
さんという方が
書かれた詩集です。
探求社という
出版社から
発売されています。
 
副題は
“なんでもないことが、
こんなにうれしい“
となっています。
 
この詩集も
生きる意味を
考える上で
とても
重要な示唆を
与えてくれています。
 
共有していただき
味わって
いただきたいと
思います。
 
鈴木章子さんは 
北海道の
知床半島の
入り口に
位置するところに
斜里という町があり
その町の  
真宗大谷派
西念寺というお寺の
住職の奥様であり
坊守でありました。
 
章子(あやこ)さんは
当時そのお寺さんが
運営していた
斜里大谷幼稚園の
園長もされて
おられました。
 
昭和59年4月、
5月17日生まれの
章子さんが
43才の誕生日を
迎える
一か月程前の
出来事でした。
(今日は
5月17日です。
これも縁ですね。)
 
いつものように、
「えんちょうせんせい」
といって、
子どもさんが
勢いよく章子さんの
胸にとびこんで
きたのです。
 
その時、左乳に
つきさすような
激痛が走りました。
 
それがガンとの
はじめての
出あいでありました。

章子さんは
札幌の
北大附属病院
第一外科の外来に
行きました。
 
その結果は
悪性の 乳癌と
いうことで、
急遽、
北大病院へ入院
されたのです。
 
手術は比較的
順調に
推移しましたが、
三年ほどの後
 
癌は、
左肺にも転移し
最期は右肺及び
子宮にまで
転移が及び 
昭和63年
行年47歳
往生されました。
 
以下は
その
「癌告知のあとで」に
書かれている
抜粋です。

『 婦長さんから
 
「鈴木さん、
あなたは高校の
息子さんが卒業
なさるまでの三年、
生きていたい
ということ
でしたね。
 
あなたは、
子供さんに
何をしてやりたい
と思って
三年と
おっしゃった
のですか。
 
参考までに
聞かせて下さい」
 
と尋ねられました。

それは
私のすべてを
傾けるほどの
大きな
問いかけでした。
 
考えても
考えても
分かりません
でした。
 
というのは、
学費は
私がいなくても
仕送りができる、
ご飯は
私がいなくても
食べられる、
 
子供たちは
私がいなくても
ちゃんと
生きていける
と分かったとき、
 
自分というものが
明白でないまま
生きてきたんだなと
気づかされました。』
抜粋了
 
 
章子さんは
住職である
ご主人の補佐や
幼稚園の
園長としての
仕事を優先して
多忙の日々を
過ごされて
きました。
 
その中において、
母として
妻として
自分でなければ
ならないという
どっしりとした
立場がないことに
気づき唖然とした
そうです。
 
抜粋
『そんな時に、
八十歳を過ぎた
実家の父から
手紙があり
 
「あなたは、
一体
何をドタバタ
しているのか。
生死は、
仏さまに
お任せ以外には
ないのだ。
 
人知の
及ばぬことは
すべて
お任せしなさい。
 
そのために
お寺に
生まれさせて
もらって、
お寺に
嫁いだのでは
ないか。
 
生死は
あなたが
考える
ことではない。
 
自分で
どうにも
ならぬことを
どうにかしようと
することは、
あなたの
倣慢である。
 
ただ事実を
大切にひきうけて
任せなさい」
 
と書いてありました。
 
その父の言葉に
ほっとして、
 
「過去を
今さら
やり直すことは
できない。
 
そういう
生き方をしてきた
自分を自覚し、
誤りは
誤りとみとめて
謝っていくのだ」
 
とわかりました。
 
そして初めて、
代ってもらう
ことのできない、
 
誰にも
責任を
転嫁できない
自分の人生で
あることに
気づかされました。』
抜粋了
 
下記は前述の
質問をされた
婦長さんに
章子さんが宛てた
手紙です。
 
抜粋
『私は、
自分のしなければ
ならないことが、
やっと、
分かりました。
 
ガンでも
逃げないで
引き受けていく
姿を、
子供たちに
見せていきたい。
 
そうすれば
子供が
大きくなったときに、
 
ガンでも
逃げなかった
お母さんだから、
僕たちも
逃げてはいけないと、
生きていって
くれるに
違いない。
 
ガンでも
笑っていた
お母さんという
イメージを、
三年間
残し続けようと
思います。』
 
そうして
章子さんは
自分が
死ぬまでの心を
真摯に
綴っていくのです。
 
ここまで
だいぶ長く
なりましたので
鈴木章子さんの詩を
 
三篇ほど紹介して
また、
明日以降に
書かせていただきます。
 
四十六歳
 
『死の問題は
今、始まったのではない
生まれたときから
もう
始まっていたのです。
 
点滴棒をカラカラ押して
青白い顔に
幼さを残して歩く
九歳の少年に・・・・
 
母親に抱かれ
乳を吸う力もない
赤ン坊の
さげられた管の数々に・・・・
 
気がつけば
私 今四十六歳
ありがたい
年齢だったのです』
 
生 死
 
『死というものを
自覚したら
生というものが
より強く浮上してきた
相反するものが
融合して
安らげる不思議さ・・・』
 
幸 せ
 
『しあわせって
欲ばりすぎると
にげてしまうのですね
追いかけて
自分でつかむものと
思っていましたのに・・・
 
しあわせって
いただくものでしたのね
 
少しずついただいて
少しずつ
わけあうことが
たいせつなこと
だったのですね』
 
如何でしょうか?
 
生かしていただいて
有難うございます。
 
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角田 政治
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