鈴木章子さんの
「癌告知のあとで」の
本をテーマに
今日も
お話を進めて
まいります。
結局のところ
“死”は万人に
平等に訪れます。
この事実からは
どなたも逃れる
ことは
できないのです。
私もあなたも
例外では
ありません。
その割に
日常の中で
自分のことや
身近なこととして
語られることが
少ないのでは
ないでしょうか?
章子さんの
本の中にも
こんな
一遍がありました。
「死の会話」という
短詩です。
『よしましょうと
あなたはいうけど
私にとりましては
お料理
子育てと同じく
日常ごとなのですよ』
抜粋了
この詩は
昭和63年
3月27日
のものですから
章子さんの
“死”の9か月前の
ことです。
一昔前の日本の
原風景は
日常の生活の中に
“死”の体験が
身近にありました。
一つ屋根の中で
まず、
お爺ちゃんや
お婆ちゃんの
息を引き取るのを
目の当たりに
しました。
家族として
一緒に暮らしていた
家畜や犬や猫たち
との別れ
そして、
栄養が悪かったか
医療の進歩が
遅かったせいか
兄弟の中で
少なくとも
一人は
病気になって
亡くなった
という例は
少なくありません
でした。
愛する者との
永遠の別離
言いようのない
悲しみ・苦しみ
という痛みを
体験してきました。
そして、
その“死”への
眼差しは
そのまま、
生のあり方に
繋がってきた
ように思います。
生きとし
生けるものは
必ず
“死”を迎える
という
厳粛な事実を
受け取ること。
それが
覚悟なのでは
ないでしょうか。
覚も覚りなら
悟も悟りです。
“死”を
自らの外側に
追いやることで
生きることに
意味を
見出すことが
できなくなって
いるのでは
ないでしょうか。
“死”を意識し、
認めることの
重要性を
私はこのブログで
問うています。
鈴木章子さんが
初めて
ガンの宣告を
受けたのが
昭和59年の5月
のことでした。
そして
昭和63年9月
ガンの転移が
全身を蝕んでいき
手術不可能という
告知を
受け取ります。
その年の
お亡くなりに
なりました。
その約3か月間の
章子さんの
書かれた詩を
紹介させて
いただきながら、
皆様に
生きる意味を
感じ取って
いただきたいと
思います。
是非、
心より
シェアして下さい。
例外者なし
「転々移を告げられて
ふと
末期の痛みに
恐怖がはしった
その時
如来様
誰もが死んでゆけた
お前も必ず
死んでゆけると
励まして下さった
誰もが死んでゆける
例外者なしが
安心・・・」
人間成就
「ジグゾーパズルの
最後のピース
人間成就のピース
でした
人間になって
死ねるのが
嬉しい」
無量寿
「私していた生命が
パチンと
気がついてみたら
永遠の命に
だきこまれていた
老いも 若きもなく
男も 女もなく
善人も 悪人もなく
生々と
柔らかく
あたたかい生命に」
思い残すことなし
「思い残すことが
こんなになくて
良いのでしょうか
元気だった頃
今は思い出すことが
できぬような
いろんな思いで
胸や頭がはちきれそう
でしたのに・・・・
思い残そうとしても
不思議なことに
何もできません
確かな方に
大慈悲心に
子供のことも
主人のことも
おまかせして
おりましたことに
気づかせて
いただきました
安心・・・・
満足・・・・」
夜
「いつからか
分からぬが
ねむられぬ
イライラした夜が
充ち足りた
夜に変った
部屋中に
充足がただよい
ベットに
横になったままで
思うこともなく
充たされている
ただ
ただ
不思議としか
言えぬ
この充足
すぎたる充分
温かい涙が
頬を流れる」
章子さんには
四人のお子さんが
いられます。
三男一女を
授かっています。
その
子供さんたちへの
遺言ともいうべき
言葉を遺して
います。
その詩を抜粋します。
亡くなる
二か月ほど前の
詩です。
満 足
「隣の人より一歩前
そんな刹那的人生を
子供達よ
過ごしてくれるな
どこまでいっても
満足などない
競うことなく
比べることなく
うらやむことなく
嘆くことなく
卑下することなく
あなたの花を
咲かせておくれ
おまえは
おまえで充分
あの庭のバラのように
あの庭の松のように
人間成就の花を
咲かせておくれ
そこに本当の
満足が生まれる」
次に紹介させて
いただく詩も
章子さんが
お亡くなりになる
二ヶ月ほど
前の詩です。
その日は、
病院から
自宅に戻られて
静養して
いられました。
ご主人は
章子さんに向かって
「夜、
眠っている内に
お前が
息をひきとると
いけないから、
同じ部屋で横に寝る」
といったそうです。
章子さんは、
「同じ部屋で
休んで
いただいても、
いざというとき
一緒に
死んでいただく
わけにもいきません。
代わっていただく
わけにもいきません。
死ぬことを延ばす
わけにもいきません。
それよりも
お父さん、
子供のためにも
体を大事にして
ほしいから、
別の部屋で
寝ましょう」
といって、
二階と下と
別々の部屋で寝た
のだそうです。
そのときのご挨拶、
「おやすみなさい」
という
詩が残されています。
『「お父さん
ありがとう
またあした
会えるといいね」
ありがとう
またあした
会えるといいね」
と手を振る。
テレビを観ている顔を
こちらに向けて
「おかあさん
ありがとう
またあした
会えるといいね」
手を振ってくれる。
今日は
一日の充分が、
胸一杯に
あふれてくる。』
胸一杯に
あふれてくる。』
如何でしょうか?
この詩を
読ませて
いただいて
感じたことは
鈴木さんご夫婦
だけの
ことではなく
誰もが
あしたの生命は
保証されていない
ということです。
“死”を前にして
いつ?とは
誰も決めることは
できません。
突発的に
やってきて
儚く散って
いく生命の
なんと
多いことでしょう。
昨日も
今日もニュースは
無造作に
その
突然の“死”を
これでもかと
伝えています。
章子さんと
ご主人は
この頃には
いつも、
今夜お迎えが来る
かも知れないと、
永遠の別れの
思いをこめて
「おやすみなさい」の
言葉を
かけあって
いたのでしょう。
そして
二階と下に別れる。
朝を迎え再会を
果たせたとき、
「お父さん、
会えてよかったね」
「お母さん、
会えてよかったね」
と喜びの中で
胸が震えたのでは
ないでしょうか。
章子さんは
語ります。
「ガンをいただいた
お陰で、
“死”を見据える
眼が深くなり、
一日
いただくことが
できた
生命の限りない
重さにも
気付かして
いただくことができ、
はじめて
この生命
どう
生きたらよいかも
見えてきた。」
と。
そして
こんな詩を
残しています。
『ガンは
私の見直し人生の
ヨーイドンの
ガンでした。
私、今、
出発します。』
私の見直し人生の
ヨーイドンの
ガンでした。
私、今、
出発します。』
人生はやり直しは
出来ません。
しかし、
見直すことは
できるのです。
死は決して
終着点では
ありません。
出発点です。
と力強い言葉を
私たちにも
遺して下さって
います。
そして、
「乳癌だけでは
気付かない
ボンヤリ者の
私のために、
肺癌、
転々移という癌
まで
くれまして、
〝章子よ、
目覚めよ、
章子の華を
咲かせてくれ〟
との、
如来さまの
大慈悲の賜り物で
ありました。」
と感謝しながら
47歳の人生を
大安心の境地で
浄土に
旅立たれました。
人間成就とは
こういう人生を
言うのでは
ないでしょうか!
生かしていただいて
有難うございます。
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角田 政治
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