2015年5月30日土曜日

“生きる意味を考える”14

本日も
前回に引き続き
東井義雄さんの
「拝まない者も
おがまされている」
というご著書を
引用させて
いただきながら
 
生きる意味を
問うて
いきたいと
思います。
お付き合い
ください。
 
前回は
東井さんの
教え子の
ひょんな疑問から
 
私たちにとって
大変重要な
ノドチンコ
(口蓋垂)の
はたらきを知って
 
私たちは
何ひとつ
自らの力で
為すものがない
ことを
知らされます。
 
吸う息
吐く息でさえ
意識しないでも
働き続けて
下さっている。
大いなるいのちに
抱きとられ
生かされています。
 
よく人は言います。
 
「自分の
命なんだから
自分の自由に
したって
勝手でしょう!」
 
と。
 
その自分という
主体は
一体
何なんでしょう?
 
多くの場合
自分本位、
利己心、
わがままという
 
自我によるものが
主体という
言葉の中に
含まれているのでは
ないでしょうか?
 
「凡聖逆謗斉廻入」
 
親鸞聖人が
記された
正信偈の中の
お言葉です。
 
今日も
この言葉に
秘められた
キーワードを
探ってみたいと
思います。
 
東井義雄さんは
昭和 12 
26 歳の時に
結婚をします。
 
この年は
日中戦争が勃発
した殺伐とした
時代でした。
 
翌年の昭和 13 
予てから
病身であった
お父さんが
お亡くなりに
なりました。
 
昭和 16 
東井さんは
一人の女の子を
授かって
いましたが、
その幼いひとり子が
大病を
患ってしまいました。
 
この時のことを
前述のご著書にの
中で
下記のように
書かれています。
 
「ともに
生かされていた私」
という章です。
 
『お医者様から、
 
「お気の毒ですが、
この病気は、
百人中九十九人は
助からぬと
言われている
病気です。
 
もう今夜一晩、
よう
うけあいません」
 
という
宣告を受けた
あの晩の思いは、
生まれてから
まだ一度も
味わったことの
ないものでした。
 
「親」と
名の付く人は、
みんな
こんな思いの中で
「親」になって
おられるのかと
思うと、
 
「親」と名の付く
すべての人を
拝みたい
思いでした。
 
幼い子供の脈を
にぎりしめて
いるのですが、
脈が
消えていきます。
 
これが最後かと
思っていると
ピクピクッと
動いてくれます。
 
やれ嬉しやと
思う間もなく
脈がわからなく
なります。
 
いよいよこれが
別れの時かと
思っていると、
かすかに脈が
感じられます。
 
そんな
繰り返しの中で、
夜半十二時
知らせる
柱時計の音を聞いた
あの感動は
忘れられません。
 
 ああ
とうとう 今日一日
親と子がともに
生きさせて
いただくことが
できた
 
今から始まる
新しい今日も
ともに
生きさせて
いただけるのだろうか
 
と思いますと、
愛しい者がともに
一日
生きさせて
いただくことが、
 
どんなに
ただごとでない
ことであるかを、
 
骨身にしみて
知らさせて
いただきました。
 
当時の看護日記を
見ますと、
 
○ 
生きる
ということは
容易な
ことではない。
 
ただ、
生かしてもらって
いるだけで、
それは
大したことなのだ。
 
 ○
死を言い渡された
我が子が
もはや
焦点を
結び得ぬまなこで
どんよりと
 
愚かな父を
見ている
 
わたしは
しんじつ
愚かな父であった。
 
 ○
小さい心臓が
けんめいに
戦っている
 
ほとんど
たえだえに
なりながら
なお
戦っている
 
戦っている
戦いに
勝っておくれ
心臓。
 
   ○
ほとんど
たえだえに
なりながら
脈はくが
夜半 0 まで
続いてくれた
 
昭和 16  9  5
夜半 0 
 
みち(廸代)
おまえはたしかに
私の子であった
 
今から始まる
新しい今日も
みち
わたしは
お前の
とうちゃんで
おりたい
 
身の程知らずの
ねがいであろうか。
 
 ああ
もう一時間で
夜が明ける
 
みち
おまえは
まもられている
 
みち
おまえは
生かされている
 
ああ
もう一時間で
夜が明ける。
 
ああ
今日も
親子で終わらせて
もらった。
 
みちよ
おまえは
「私」の子なんか
ではなかった。
 
父ちゃん
なんぞの力で
どうにか
なるようなもの
ではなかった
 
みちよ
それだのに
とうちゃんは
おまえを
「私」の
子だなんて
思い過ごしていた。
 
みちよ
とうちゃんは
今こそ
おまえのいのち
を拝む
 
そして
 
教室の
60 人の命を拝む
 
みちよ
とうちゃんは
愚かな
とうちゃんであった
しんじつ。
 
  ○
子どもを
教育するなどと
大きなことを
言うな
 
ひとつでも
人間輩に
自力でなし得る
ことがあるか
馬鹿
私。
 
 
おかげさまで、
子どもは、
百人に一人の
いのちをいただいて
大きくなってくれ、
 
続いて長男、
二男を恵んで
いただいたのですが、
 
日を暮らして、
学校の勤めを
終わって
家に
帰っていきますと、
 
不思議ないのちを
いただいた娘が
 
「おとうちゃん、
お帰り」
 
と、背中から
私の首たまに
飛びついて
ぶらさがります。
 
長男が
 
「おとうちゃん、
お帰り」
 
と、今度は前から
飛びついて
ぶらさがります。
 
末っ子は、
もうぶらさがる
ところが
ありません。
 
にわかに
四つん這いになって
 
「モオーッ!」
 
と牛の
鳴きまねなどを
しながら、
私の
またくぐりをします。
 
その度に
思うことは、
何が間違っても、
絶対間違いなく
やってくることは、
 
この三人の
かわいいものたちと
別れなければ
ならない日が
やってくる。
 
だのに、今日、
こうして親と子が
ともに
たわむれさせて
もらう、
 
これを
「しあわせ」
といただくことが
できないで、
 
一体、
これ以上の
どんな
しあわせがある
ものだろうかと。
 
私は、
私自身に
言い続けながら、
ここまで
来させて
いただくことが
できたのです。
 
私は
私だけではなく、
 
親子ともども、
大いなるいのちに
生かされ、
祈られ、
願われ、
ゆるされて、
生きていたのだった
のです。』
 
東井義雄さんの
「拝まない者も
おがまれている」
から引用させて
いただいて
本日も
学びを得たのでは
ないでしょうか。
 
「拝まない者も
おがまれている」
は、この後に
「拝まないときも
おがまれている」
と続くのです。
 
生かしていただいて
有難うございます。
 
 
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角田 政治
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2015年5月27日水曜日

“生きる意味を考える”13

昨日に引き続き
東井義雄さんの
お話を
続けてまいります。
 
東井さんが
唯物論に
どっぷりと
浸りきっていた時
 
再び
こころを
取り戻すべく
東井さんに
訪れた縁とは?
 
さて
ひょんなこととは
 
一体、
どんなことで、
あったのでしょう?
 
当時、
東井さんは、
高等小学の担当で
三学期が終わる
時のことです。
(当時は
尋常小学が 6 年で
義務教育期間で
高等小学は 2 年で
あった。)
 
その部分を
前述の
「拝まないものも
おがまれている」
から抜粋させて
いただきます。
 
『「これで、
この学年の勉強は
全部終わった
わけだが、
何か
質問はないか?」
 
といったとき、
北村彰男君と
いうのが、
 
「はいっ!」
と挙手しました。
ギクッと
しました。
 
彼は、
母ひとり
子ひとりの
貧しい家の
子どもでしたが、
 
小学三年の
ときから、
朝は毎日
三時半起床、
豊岡市を
新聞配達をして
廻ります。
 
終わって勉強、
朝食をとって
学校にやってくる。
 
学校が終わると
とんで帰って
こんどは
夕刊配達です。
 
それを
小学三年から
一日も休まず
続けてきたという
しっかり者です。
 
お母さんが
厳しい方で、
 
「お前の本職は
勉強だ。
新聞配達を
やっているから
といって、
 
学校で
居眠りなんか
するようなら、
 
新聞配達なんか
やめてしまえ」
 
というような
お母さんです。
 
ですから、
他の子どもが
居眠りすることが
あっても、
 
彼だけは、
シャンと腰骨を
立て、
にらみつける
ような目の玉で
授業を
受けるのです。
 
私なんかよりも、
人間的には
彼の方が立派です。
 
だから私の方で
ギクッとして
しまったのでしたが、
彼は言いました。
 
「先生、
ああと口を
あけると、
のどの奥に
ペロンとさがった
へんなものが
見えてきますが、
 
あれは、
どういう仕事を
しているのですか?」
 
というのです。
 
「ノドチンコ」と
子どもの頃から
いってきた
あれの存在は
私も知っては
いましたが、
 
それが
どういう仕事を
しているのかは
知りませんでした。
 
教わった記憶も
ありません。
 
「北村君、
ノドチンコが
どんな仕事を
しているのか
知らんわい。
 
きょう家に
帰ってから
調べてみるから、
 
すまんけど
明日まで答を
待って
くれんかい」
 
という以外
ありません。
 
そのことが
わかりそうな
学校の図書などを
借りて帰って、
その晩、
一生懸命
調べましたら
わかりました。
 
ノドチンコ、
ほんとうの名前は
「口蓋垂」
(こうがいすい)
ということ。
 
のどの奥で
道が分かれており、
ひとつの道は、
鼻から吸い込んだ
空気が
肺に行く気管の道。
 
もうひとつは、
口から入った
食物が
胃袋に行く
食道の道。
 
この分かれ道で、
食物が
道を間違えて
気管に入り込むと
窒息してしまう。
 
そういうことに
ならないように、
食物を
飲み込むときには
口蓋垂が
気管の入り口を
ふさいでくれる
 
というようなことが
わかって
きたのです。
 
ほんとに、
ほんとにびっくり
しました。
 
それを知らない
くらいですから
お礼を
いったことは
一度も
ありません。
 
それどころか、
すまんと思った
ことさえも
ないのです。
 
そんな私を、
生かしずめに
生かしてくれた
ものがあるのです。
 
気がついてみると、
それがとまれば
死ぬ以外ない
 
いのちに
かかわる
呼吸さえも、
私の意志で
していたのでは
なかったのです。
 
心臓が止まれば
死ななければ
ならぬという
心臓だって、
 
礼も言わず、
うれしそうな
顔もしない
私のために、
 
夜も昼も、
一瞬の
休息もとらずに
働き続けていて
くれたのです。
 
その大きな
ショックの中で、
ハッと
思い出したのは、
それまで、
何気なく
読んでいた。
 
「凡聖逆謗斉廻入」
(ぼんしょうぎゃくほう
さいえにゅう)
 
という正信偈の中の
お言葉でした。
 
生かされて
いながら、
生かされて
いるとも
知らないできた
 
ぼんやり者の
私のことを
「凡」と
おっしゃるのだ
ということ。
 
「唯物史観」だとか
「無神論」だとか、
学問の端っぽを
かじって
偉いものになった
ような気になり、
 
「仏さまもくそも
あるものか」
などと、
高上がりしていた
私のことを
「聖」と
おっしゃるのだ
ということ。
 
せっかく寺に
生まれさせて
いただきながら、
 
仏さまに
尻を向けて
生きてきた
私のことを
「逆」と
おっしゃって
いるのだ
ということ。
 
罪の中で
一番深い
大きい罪だと
いわれている
 
仏さまを
謗る罪を、
あえて
犯してきた
私のことを
「謗」と
おっしゃって
いるのだ
ということ。
 
しかも
「凡」も
「聖」も
「逆」も
「謗」も
 
ひとしく
抱き取って
くださる
おはたらきの中に、
私が
生かされてきたのだ
ということ。
 
これに気づかせて
もらってみると、
どうにもこうにも
頭が
あがらなくなって
しまいました。
 
どこかのお寺の
幼稚園の五歳の
男の子の
つぶやきを
記録して
くださっているのを
思い出します。
 
  ○
「ぼくの舌 動け
というたときは
もう動いた後や
ぼくより先に
ぼくの舌
動かすのは
何や?」
 
というのです。
五歳で
こんな驚きを
驚く子があるのに、
 
私は、
二十五歳になって、
教え子のお蔭で、
このことに
気づかせて
いただいたのです。
 
私のような奴が、
おがまれ、
願われ、
祈られ、
ゆるされ、
生かされて
いたのです。
 
どうにもこうにも
頭が上がらぬ
思いでした。』
引用了
 
如何でしたか?
 
「斉廻入」
 
私もあなたも
 
老いも若きも
 
男も女も
 
善も悪も
 
気づいているか
気づいて
いないかに
関係なく
 
生きとし
生けるもの
すべてを
 
斉(ひと)しく
抱き取って
くださる
はたらきの中に、
 
生かされ
続けている
ことに
思いを廻らせ
 
感謝と報恩を
忘れては
ならないと
思うのです。
 
生かしていただいて
有難うございます。
 
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