お釈迦さまは
内観をしなさいと
お弟子さんに
よく言っていました。
内観とは
内を観ること
字の如しです。
それでは
内を観るとは
どういうことでしょう。
自らの内の
仏性・神性を観る
と言うことです。
瞑想と
同じことです。
あなたの
本質の価値観である
無限
一なるもの
久遠を観る
と言うことです。
仏神の
性質であるところの
愛
光
真理
完全性を観る
と言うことです。
なぜ、
お釈迦さまは
弟子たちに
内観を
勧めたのでしょうか
私たちは
日常
肉体を持った
人間として、
どうしても、
物質に
重きを置いた
生活をしがちです。
お釈迦さまの時代の
2600年前に遡っても
眼・耳・鼻・舌・身・意の
感覚器官が
お弟子さんひとりひとりの
迷妄の元だったようです。
世を捨て
出家をした
お弟子さんでさえ
この肉体の持つ
五感に
惑わされることも
少なくなかったのでしょう。
内観とは
本来の意識に
戻る行為です。
その意識は
全知全能
無限エネルギー
プラスのエントロピーです。
日常に在るとき
私たちは
肉体の持つ器官に
縛られている状態です。
自縄自縛です。
そうすると
エネルギーが
低くなっていきます。
内観とは
その自縄から
自分を
解放する行為です。
自らが
自らを束縛し
自らが
自らを制約した
低い意識から
解放し
エネルギーを
高めることです。
あなたは、
その一瞬一瞬を
創造しているのです。
あなたは、
自分が思っている
通りのもので、
それ以上のものでも、
それ以下のものでも
ありません。
仏神は無限者です。
その本質は
あなたにも
厳然として
備わっています。
自我を見るか
真我(神我)を観るか
偽我を見るか
無限我を観るか
肉体我を見るか
久遠我を観るか
なのです。
あなたは、
修業して
無限となる
のではありません。
お釈迦さまも
長い迷妄から
自らを
解き放ちました。
お釈迦さまは
シャーキャ族の
カピラヴァストゥ国の
城主の王子として
物質的には
何不自由ない
裕福な生活を
送っていました。
しかし、
その生活に
疑問を感じ
29歳の時に
出家をし
その後
6年間に亘り
厳しい修行を
続けました。
ある時
水辺で
身体を清めている時
あまりの
やせ衰えた
お釈迦様の姿に
見るに見兼ねて
一人の乙女が
乳粥を差し上げました。
この乙女が
スジャータという人で
コーヒーのお供
スジャータという
ミルクの名称にも
なった方です。
その乳粥を食べて
顔に赤みがさし
みるみる
元気になっていきました。
その時の悟りが、
自分が王子として
何不自由なく
毎日を送っていたことも
厳しい修行に
明け暮れて
このように
痩せさらばえたとしても、
そのどちらにも
真理はなかった。
中道の道(正しい道)にこそ
真理があった。
それが
四諦八正道という
有名な教えになりました。
それは、
その身そのままで、
今、即、仏である。
今、即、無限である。
あなたには、
元々
仏の持つ性質
即ち、
仏性が皆に備わっている。
「一切衆生 悉有仏性」である。
その、仏のように
正しく見
正しく語り
正しく思い
正しく行い
正しく生活し
正しく努力し
正しく念じ
正しく内観する
ことが
真理への道であると
悟ったのです。
真実の
内観とは、
あなたの
本質であるところの
無限を
凝視する、
無限への
一心集中です。
あなたの
こころの内の
神仏に
スポットを当て
あなたを
光り輝かせる
ことなのです。
2014年2月28日金曜日
2014年2月27日木曜日
不完全な存在
あなたは、
不完全な
完全存在です。
この三次元における
現象世界では
相対的な完全性しか
ありません。
お互いに愛し、
愛されるためには
不完全なまま
優しく
慈しみ
おだやかに、
心より
愛し合うことです。
不完全さも
あなたです。
そのあなたを
やさしく、
許してください。
不完全で
あるがゆえに
成長も
望めるのです。
不完全を
愛してください。
受け入れてください。
受け入れるがゆえに
自由になれるのです。
不完全さを
拒否しないでください。
否定性は
自由を妨げます。
あなたは
魂の進化のために
この地球に
自ら、
望んできました。
完璧で
あることに
こだわらずに
多くのことを
体験してください。
ただ、
不完全さに
安住しなければ
いいのです。
不完全さの中に
真理に向かう
縁(よすが)が
上手に
隠されています。
あなたが
それを見つければ
いいのです。
あなたは
本質においては
完全存在です。
安心して
不完全な
あまたを
光を妨げている
あなたを
あなたの
闇の部分を
満たされていないと
感じる部分を
隔てられているという
魂の痛みを
混乱する
あなたを
慈愛をもって
受け入れ
そして、
手放してください。
その、
不完全さの
プロセスこそが
光を見出す
鍵なのです。
その
不完全さの
プロセスこそが
無限なる道
永遠不滅なる道へ
繋がっていくのです。
不完全な
完全存在です。
この三次元における
現象世界では
相対的な完全性しか
ありません。
お互いに愛し、
愛されるためには
不完全なまま
優しく
慈しみ
おだやかに、
心より
愛し合うことです。
不完全さも
あなたです。
そのあなたを
やさしく、
許してください。
不完全で
あるがゆえに
成長も
望めるのです。
不完全を
愛してください。
受け入れてください。
受け入れるがゆえに
自由になれるのです。
不完全さを
拒否しないでください。
否定性は
自由を妨げます。
あなたは
魂の進化のために
この地球に
自ら、
望んできました。
完璧で
あることに
こだわらずに
多くのことを
体験してください。
ただ、
不完全さに
安住しなければ
いいのです。
不完全さの中に
真理に向かう
縁(よすが)が
上手に
隠されています。
あなたが
それを見つければ
いいのです。
あなたは
本質においては
完全存在です。
安心して
不完全な
あまたを
光を妨げている
あなたを
あなたの
闇の部分を
満たされていないと
感じる部分を
隔てられているという
魂の痛みを
混乱する
あなたを
慈愛をもって
受け入れ
そして、
手放してください。
その、
不完全さの
プロセスこそが
光を見出す
鍵なのです。
その
不完全さの
プロセスこそが
無限なる道
永遠不滅なる道へ
繋がっていくのです。
2014年2月26日水曜日
マザー・テレサの言葉
今日は
マザー・テレサさんの
この言葉を共有してください。
私の一番好きな言葉です。
『人は
不合理、
非論理、
利己的です。
気にすることなく、
人を愛しなさい。
あなたが
善を行うと、
利己的な目的で
それをしたと
言われるでしょう。
気にすることなく、
善を行いなさい。
目的を
達しようとするとき、
邪魔立てする人に
出会うでしょう。
気にすることなく、
やり遂げなさい。
善い行いをしても、
おそらく次の日には
忘れられるでしょう
気にすることなく
善を行い続けなさい。
あなたの
正直さと誠実さとが、
あなたを
傷つけるでしょう
気にすることなく
正直で誠実で
あり続けないさい。
助けた相手から
恩知らずの仕打ちを
受けるでしょう。
気にすることなく
助け続けなさい。
あなたの中の最良のものを
世に与え続けなさい。
けり返されるかもしれません。
気にすることなく、
最良のものを与え続けなさい。
気にすることなく、
最良のものを与え続けなさい…。
結局のところ、
あなたと人との
間のことであったことはなく、
あなたと神との
間のことだったのです』
いかがでしたか?
あなたはどうでしょうか?
マザー・テレサさんの
この言葉を共有してください。
私の一番好きな言葉です。
『人は
不合理、
非論理、
利己的です。
気にすることなく、
人を愛しなさい。
あなたが
善を行うと、
利己的な目的で
それをしたと
言われるでしょう。
気にすることなく、
善を行いなさい。
目的を
達しようとするとき、
邪魔立てする人に
出会うでしょう。
気にすることなく、
やり遂げなさい。
善い行いをしても、
おそらく次の日には
忘れられるでしょう
気にすることなく
善を行い続けなさい。
あなたの
正直さと誠実さとが、
あなたを
傷つけるでしょう
気にすることなく
正直で誠実で
あり続けないさい。
助けた相手から
恩知らずの仕打ちを
受けるでしょう。
気にすることなく
助け続けなさい。
あなたの中の最良のものを
世に与え続けなさい。
けり返されるかもしれません。
気にすることなく、
最良のものを与え続けなさい。
気にすることなく、
最良のものを与え続けなさい…。
結局のところ、
あなたと人との
間のことであったことはなく、
あなたと神との
間のことだったのです』
いかがでしたか?
あなたはどうでしょうか?
2014年2月25日火曜日
自分の内の無限
あなたは、
個人として
両親から生まれ
姓名を持ち
肉体を持っています。
その両親も
それぞれに
それぞれの
両親から生まれ
肉体を持ってきました。
これは、
延々と続いてきました。
また、
今後も続いていきます。
今、
あなたが存在しているのも
この永遠の営みの中で
先祖の縁をいただいて
きたからであり、
見えない先祖に対して
今、
生かされている
ことの感謝を
日々、
手向けていくことは
何より、大切なことです。
何回か
触れましたが、
あなたは、
あなたが、
両親を選択して
この時代を
この環境をも
選択してきました。
両親は
あなたのこの肉体の
誕生に
関わってくれました。
そして、あなたの旅に
彩を添え
共に親子として
進化し続けている存在です。
それでは、
そこに
生命を
与えている存在
それは、
何なのでしょうか?
それこそが、
宇宙に遍満するところの
生命エネルギーであり
すべての
生きとし生けるものに、
生命を
宿しているところの
創造主である
神なのです。
あなたにも
鉱物や動植物にも
ひとつのエネルギーが
同じエネルギーが
存在しています。
あなたが、
人間として
この肉体ありきと
思っているものは、
ただの物質に過ぎません。
生命が
離れたと同時に、
呼吸をすることも、
動くことも
一切なくなります。
これが、
肉体における死
というものです。
まだ
寒い日が続いています。
しかし、暦の上では
春を迎えています。
そろそろ、コートを着る役目も
終わりに近づいています。
でも、春になれば
薄手で身軽な華やかな色彩の
ファッションを楽しむ
ことができます。
このように
コート(肉体)の役目が
終わっても、
生命としては、
永遠に
生き続けていきます。
生命は永遠であり
久遠であり
無限であり
不死です。
私たちは
創造主の
エネルギーを
宿したもの
創造主の子
神の子です。
この大いなる真理を
久しく
忘れていただけです。
肉体のみを
すべてと思い
肉体を
喜ばすことのために
物質を得ることのために
空間を時間を
浪費してきました。
その間でも
生命エネルギーである神は
一秒たりとも
共に在ってくれて
一度も離れたことは
ありませんでした。
その大いなる寛容の性質
その大いなる愛の性質
その大いなる慈しみの性質
その大いなる信頼の性質
その大いなる美の性質
その大いなる善の性質
本質であるところの
燦然とする光そのものの
神の性質を
あなたにも
わけ隔てもなく
惜しみなく
宿してくれています。
本質に生きるとは、
本来の自分
神の子であることの
自覚に立ち返り
久遠に生きる。
永遠不滅の
無限に生きることです。
それは、
あなたの内に
宿っているところの
神性を
顕現する
神の我を
顕現することです。
内(神・天・仏)なる声が
インスピレーションとなり
今の一瞬を
神の表現者として
現すことが
真理の実践であり
悟りでもあると思います。
二千六百年前の
お釈迦さまや
二千年前の
イエスさまを
通して語られた真理も
私たちの
インスピレーションから
語られる言葉も
ひとつの神(仏)である
無限から
語られる真理です。
同じ無限です。
無差別の神です。
無限なる神は
人の上に人を創らず
人の下にも人を創る
ことはありません。
あなたの内に
お釈迦さまや
イエスさまと同じ
神が宿っています。
“汝の救いは、汝自身なり"と
イエスさまが説きました。
あなたが
救い主なのです。
救世主は
遥か遠い雲の彼方に
いるのではないのです。
個人として
両親から生まれ
姓名を持ち
肉体を持っています。
その両親も
それぞれに
それぞれの
両親から生まれ
肉体を持ってきました。
これは、
延々と続いてきました。
また、
今後も続いていきます。
今、
あなたが存在しているのも
この永遠の営みの中で
先祖の縁をいただいて
きたからであり、
見えない先祖に対して
今、
生かされている
ことの感謝を
日々、
手向けていくことは
何より、大切なことです。
何回か
触れましたが、
あなたは、
あなたが、
両親を選択して
この時代を
この環境をも
選択してきました。
両親は
あなたのこの肉体の
誕生に
関わってくれました。
そして、あなたの旅に
彩を添え
共に親子として
進化し続けている存在です。
それでは、
そこに
生命を
与えている存在
それは、
何なのでしょうか?
それこそが、
宇宙に遍満するところの
生命エネルギーであり
すべての
生きとし生けるものに、
生命を
宿しているところの
創造主である
神なのです。
あなたにも
鉱物や動植物にも
ひとつのエネルギーが
同じエネルギーが
存在しています。
あなたが、
人間として
この肉体ありきと
思っているものは、
ただの物質に過ぎません。
生命が
離れたと同時に、
呼吸をすることも、
動くことも
一切なくなります。
これが、
肉体における死
というものです。
まだ
寒い日が続いています。
しかし、暦の上では
春を迎えています。
そろそろ、コートを着る役目も
終わりに近づいています。
でも、春になれば
薄手で身軽な華やかな色彩の
ファッションを楽しむ
ことができます。
このように
コート(肉体)の役目が
終わっても、
生命としては、
永遠に
生き続けていきます。
生命は永遠であり
久遠であり
無限であり
不死です。
私たちは
創造主の
エネルギーを
宿したもの
創造主の子
神の子です。
この大いなる真理を
久しく
忘れていただけです。
肉体のみを
すべてと思い
肉体を
喜ばすことのために
物質を得ることのために
空間を時間を
浪費してきました。
その間でも
生命エネルギーである神は
一秒たりとも
共に在ってくれて
一度も離れたことは
ありませんでした。
その大いなる寛容の性質
その大いなる愛の性質
その大いなる慈しみの性質
その大いなる信頼の性質
その大いなる美の性質
その大いなる善の性質
本質であるところの
燦然とする光そのものの
神の性質を
あなたにも
わけ隔てもなく
惜しみなく
宿してくれています。
本質に生きるとは、
本来の自分
神の子であることの
自覚に立ち返り
久遠に生きる。
永遠不滅の
無限に生きることです。
それは、
あなたの内に
宿っているところの
神性を
顕現する
神の我を
顕現することです。
内(神・天・仏)なる声が
インスピレーションとなり
今の一瞬を
神の表現者として
現すことが
真理の実践であり
悟りでもあると思います。
二千六百年前の
お釈迦さまや
二千年前の
イエスさまを
通して語られた真理も
私たちの
インスピレーションから
語られる言葉も
ひとつの神(仏)である
無限から
語られる真理です。
同じ無限です。
無差別の神です。
無限なる神は
人の上に人を創らず
人の下にも人を創る
ことはありません。
あなたの内に
お釈迦さまや
イエスさまと同じ
神が宿っています。
“汝の救いは、汝自身なり"と
イエスさまが説きました。
あなたが
救い主なのです。
救世主は
遥か遠い雲の彼方に
いるのではないのです。
2014年2月24日月曜日
観の転回
あなたが、
苦難にあり、
否定的な感情に
見舞われるとき、
恐れて
混乱している子供を
愛おしく
慈しみ
見つめる母親の
眼差しのように、
あなた自身を眺めてください。
あなたが、
嫉妬心や
復讐心や
怒りに震え、
人を許せない気持ちに
陥っているとき、
神や仏が
あなたに
無所得の愛の光を
いつも投げかけているように、
俯瞰の眼で眺めてください。
これらの不完全な念いは、
その心から離れて、
第三者として、
眺めて観ることによって、
新しい見方を
発見できる機会を
得ることができます。
お釈迦さまが、
二千六百年前に、
説いた真理の一つです。
観の転回です。
例えば、
コップ一つとっても、
物質レベルの
眼でみたとしても、
角度を変えて見た場合、
形が異なるように、
コップの本質を観た時には、
コップは形ではなく、
ガラスなのです。
観の転回とは
見方を変えるというのではなく
元々、備わっているところの
本質の眼で、本源の心で
冷静に
自らを第三者的に
眺めて観るということです。
次第、次第に
こころのざわめきが
薄れていくのを
感じることでしょう。
否定的なる
不完全な念いというものは、
存在せず、
光が妨害されていることに
過ぎません。
すべての闇は
あなたが本来のこころを
忘れているために起こる
幻想に過ぎません。
観の転回とは
あなたの
本来のこころ
一なる本源のこころを
想いだす方法なのです。
苦難にあり、
否定的な感情に
見舞われるとき、
恐れて
混乱している子供を
愛おしく
慈しみ
見つめる母親の
眼差しのように、
あなた自身を眺めてください。
あなたが、
嫉妬心や
復讐心や
怒りに震え、
人を許せない気持ちに
陥っているとき、
神や仏が
あなたに
無所得の愛の光を
いつも投げかけているように、
俯瞰の眼で眺めてください。
これらの不完全な念いは、
その心から離れて、
第三者として、
眺めて観ることによって、
新しい見方を
発見できる機会を
得ることができます。
お釈迦さまが、
二千六百年前に、
説いた真理の一つです。
観の転回です。
例えば、
コップ一つとっても、
物質レベルの
眼でみたとしても、
角度を変えて見た場合、
形が異なるように、
コップの本質を観た時には、
コップは形ではなく、
ガラスなのです。
観の転回とは
見方を変えるというのではなく
元々、備わっているところの
本質の眼で、本源の心で
冷静に
自らを第三者的に
眺めて観るということです。
次第、次第に
こころのざわめきが
薄れていくのを
感じることでしょう。
否定的なる
不完全な念いというものは、
存在せず、
光が妨害されていることに
過ぎません。
すべての闇は
あなたが本来のこころを
忘れているために起こる
幻想に過ぎません。
観の転回とは
あなたの
本来のこころ
一なる本源のこころを
想いだす方法なのです。
2014年2月23日日曜日
「汝の隣人を愛せよ」
イエスさまは
「汝の隣人を愛せよ」 と、おっしゃいました。 創造者であり 第一原因者である 一なる本源に基づいて あなたは存在しています。 すべての 生きとし生けるものの中に 一なる神が顕現しています。 であるならば、 あなたと他を隔てるものは 何もないことが わかります。 隣人もあなたも 一体です。 一体である隣人を 愛することは、結局のところ あなたを愛することになります。 すべての人間 ひとりひとりが この世に 存在している目的は、
本源なる神の
愛の 表現媒体として いかに愛を実現できるかに
あるのではないでしょうか。
愛を表現する為に 魂と肉体が 造られたのではないでしょうか。 「汝の隣人を愛せよ」 お父さん。 お母さん。 夫。 妻。 子どもたち。 友人や 地域や社会の方々。 自然や動物たちに。 あなたの一生の中で 触れ合うことの出来る ほんの一握りの
数少ない隣人に
精一杯の 愛を表現し
精一杯の
感謝を表現しましょうよ。
イエスさまは 「真理は汝を自由ならしめん」 とも、説いています。 あなたは 真理を知ることによってのみ 自らを開放して 自由になることができるのです。 あなたは 愛と感謝を 表現するために 神性を宿して 人間として存在しています。 これは、真理なのです。 今日一日 どんな小さなことでもいい 意識して愛を 感謝を 表現していきましょう。 |
2014年2月22日土曜日
一なる本源
天地一体といいます。
色即是空 空即是色といいます。 これは 同じ意味です。 天地一体は イエスさまが説き 色即是空・空即是色は お釈迦様が説きました。 私たちは、 無限の宇宙に 遍満するところの ミクロの原子と 電子からできています。 原因のない結果が 存在し得ない様に 私たちは、 原子と電子から離れて 存在することはできません。 原子と電子は 神と言い換えても いいかもしれません。 神は創造者であり、 第一原因者です。 原因である神と 結果である私たちは 決して離れて 存在することはできません。 ゆえに、 天と地も一体であり、 色(肉体・現象)即ち 是、空(原子・神)であり、 空即ち 是、色である ということになります。 イエスさまやお釈迦様は そのことを悟りました。 神は無限であり、 永遠であり、 不死であり、 原因であります。 即ち、 結果である私たちも 無限であり、 永遠であり、 不死であるのです。 原因の世界には、 四苦(生・老・病・死)は 存在しないのです。 お釈迦さまが 悟ったのは、 この現象界における 人間の観念、 概念にのみ、 四苦があるのであって、 原因の世界には 存在しないことを 理解されたのです。 この悟りにより 仏即我、 宇宙即我の境地に達し、 永遠の 仏陀となられたのです。 しかし、 私たちは どうしても 分離した見方、 二元的な 見方をする癖があります。 自己と他者 自分と他のもの いわゆる、 自分と対象物という 見方をするところに どうしても 執着が生まれ、 あらゆる 欲の原因を創っていきます。 それが 苦しみの正体でもあります。 宇宙の真実は 天と地は一体であり 自他も一体であり、 色即是空 空即是色であります。 すべては一体であり ひとつです、 自分の本源、 本質を追究していくと、 誰もが ミクロの原子電子という 神に到達するのです。 結果の世界は、 原因の世界に 到達しなければならないのです。 |
2014年2月21日金曜日
自分に優しさを
最近のテレビや
新聞・週刊誌等から
垣間見える世界は
、
男女間の殺人や
通り魔的事件
子供への虐待と
衝撃的な事件が
多く見受けられます。
しかし
テレビや週刊誌で
報じていることは
人間の営みの中の
ほんの一部分に過ぎないのです。
私たちが
高い山に登り
私たちの世界を
眺めるとしたら
そこには
ネガティブなことより
はるかに多くの
感動的なことがあり、
憎しみより、
多くの愛があり
暴力よりも
やさしさに満ち溢れています。
自らの
本当の心を忘れて、
暴走している人たちが
目だって見えるに
過ぎないのです。
どうしていいかわからず、
暴走ぢているのでしょう。
ある意味では
可哀想な人たちです。
自らの
本質に気がつけば
必ず
、
反省するときが
必ずきます。
私達の本質は
光の存在なのですから。
そこで
あなたに提案があるのです。
あなたは自分を癒すものや
喜ばすものを
あなたの心に施すことが
少ないように思います。
もっと
あなたを愛おしんで
静かに座って
瞑想をしたり
音楽を聴いたり
自然と共に散歩をしたり
そして、
光のプリズムが
水面に映えるのを感じたり
花の持つ、
すばらしい色彩や
芳しい香りを感じたり
動物たちと
無邪気に戯れたり、
愛する人と
手をにぎりあったり
なんであろうと
あなたの存在の
癒しや喜びの中心に
錨をおろし、
あなた自身を愛おしみ、
優しく
大切に扱ってみてください。
肉体感覚の持つ
頭脳で考えたりとか
知性がもたらす雑音を
無視できるようなことを
やってみましょう。
形にこだわらず
自らの内なる
静けさの中に
内なる真実の中に
自分にできる方法で
入ってみてください。
それは
あなたの
存在そのもののが、
既にもっている
エッセンスであり、
魂の叡智への
鍵でもあります。
新聞・週刊誌等から
垣間見える世界は
、
男女間の殺人や
通り魔的事件
子供への虐待と
衝撃的な事件が
多く見受けられます。
しかし
テレビや週刊誌で
報じていることは
人間の営みの中の
ほんの一部分に過ぎないのです。
私たちが
高い山に登り
私たちの世界を
眺めるとしたら
そこには
ネガティブなことより
はるかに多くの
感動的なことがあり、
憎しみより、
多くの愛があり
暴力よりも
やさしさに満ち溢れています。
自らの
本当の心を忘れて、
暴走している人たちが
目だって見えるに
過ぎないのです。
どうしていいかわからず、
暴走ぢているのでしょう。
ある意味では
可哀想な人たちです。
自らの
本質に気がつけば
必ず
、
反省するときが
必ずきます。
私達の本質は
光の存在なのですから。
そこで
あなたに提案があるのです。
あなたは自分を癒すものや
喜ばすものを
あなたの心に施すことが
少ないように思います。
もっと
あなたを愛おしんで
静かに座って
瞑想をしたり
音楽を聴いたり
自然と共に散歩をしたり
そして、
光のプリズムが
水面に映えるのを感じたり
花の持つ、
すばらしい色彩や
芳しい香りを感じたり
動物たちと
無邪気に戯れたり、
愛する人と
手をにぎりあったり
なんであろうと
あなたの存在の
癒しや喜びの中心に
錨をおろし、
あなた自身を愛おしみ、
優しく
大切に扱ってみてください。
肉体感覚の持つ
頭脳で考えたりとか
知性がもたらす雑音を
無視できるようなことを
やってみましょう。
形にこだわらず
自らの内なる
静けさの中に
内なる真実の中に
自分にできる方法で
入ってみてください。
それは
あなたの
存在そのもののが、
既にもっている
エッセンスであり、
魂の叡智への
鍵でもあります。
2014年2月20日木曜日
究極の道
あなたの
人生の途上で、
今まで、
多くの本に
出会い
感銘を受けてきました。
あなたの
方途を示す
羅針盤として、
また、
自信を失くしている時に
勇気を与え
怠け心に
やる気を与え
そして、
あらゆる知識を
与えてくれました。
また、
両親をはじめとして
兄弟、
夫婦、
子供、
友人、
仕事上の仲間達、
出会った
数多くの
人達との
稀有な
関係性の中で
共に
立場を換えて
貴重な
人生体験を積んできました。
愛し、
愛され
、
離れたり、
またくっついたり、
憎んでみたり、
憎まれたり、
葛藤しながらも
知恵を汲み上げてきました。
あらゆる
本たちとの出会いも
あらゆる
人々との出会いも、
偶然に
出会ったものは
一つとしてありません。
自分が選択して、
出会ったのです。
両親も
自分で
選んだと言ったら、
言い過ぎでしょうか?
でも、
それは真実です。
自らの
永遠の輪廻の中で
残した課題(宿業)を
学ぶために
敢えて、
困難なる道も
織り交ぜながら、
人生を送ります。
それは、
あなたの
本質であるところの、
愛を思い出す
旅なのです。
あなたの
意識の中に
元々ありながら
ぼやけているものに
スポットを当て
真実の光を
照らすためであるのです。
自らの
インスピレーションを
見逃さないでください。
それは
あなたにとって
もっとも大切にする
価値のあるものです。
あなたは
外にある
人や物が
いくら偉大であり
立派に見えても
全面的に依存したり
崇拝しないでください。
崇拝すべきは
自らの内部に
厳然として在るからです。
万人の内にいるところの
神の光を
輝かせることが
究極の道なのです。
人生の途上で、
今まで、
多くの本に
出会い
感銘を受けてきました。
あなたの
方途を示す
羅針盤として、
また、
自信を失くしている時に
勇気を与え
怠け心に
やる気を与え
そして、
あらゆる知識を
与えてくれました。
また、
両親をはじめとして
兄弟、
夫婦、
子供、
友人、
仕事上の仲間達、
出会った
数多くの
人達との
稀有な
関係性の中で
共に
立場を換えて
貴重な
人生体験を積んできました。
愛し、
愛され
、
離れたり、
またくっついたり、
憎んでみたり、
憎まれたり、
葛藤しながらも
知恵を汲み上げてきました。
あらゆる
本たちとの出会いも
あらゆる
人々との出会いも、
偶然に
出会ったものは
一つとしてありません。
自分が選択して、
出会ったのです。
両親も
自分で
選んだと言ったら、
言い過ぎでしょうか?
でも、
それは真実です。
自らの
永遠の輪廻の中で
残した課題(宿業)を
学ぶために
敢えて、
困難なる道も
織り交ぜながら、
人生を送ります。
それは、
あなたの
本質であるところの、
愛を思い出す
旅なのです。
あなたの
意識の中に
元々ありながら
ぼやけているものに
スポットを当て
真実の光を
照らすためであるのです。
自らの
インスピレーションを
見逃さないでください。
それは
あなたにとって
もっとも大切にする
価値のあるものです。
あなたは
外にある
人や物が
いくら偉大であり
立派に見えても
全面的に依存したり
崇拝しないでください。
崇拝すべきは
自らの内部に
厳然として在るからです。
万人の内にいるところの
神の光を
輝かせることが
究極の道なのです。
2014年2月19日水曜日
心を開いて生きる
次の一歩は、
いまの一歩によって
知ることが出来る。
一瞬一瞬が本質的に
、
全ての命を
作り出す世界を
その中に持っています。
でもこれは、
あなたが本当に
今という瞬間に生きてこそ、
初めてわかることです。
ほかの方法では
それを
知ることはできません。
創造主のリアリティを
知性で知ることや、
頭脳によって
思い巡らすことはできません。
それは、
ただ味わうことなのです。
あなたは
自分の歩く道を
捜し求めることが
目的だと
信じているかもしれません。
しかし、
それは
プロセスに過ぎず
真実は、
既に、
あなたの内奥に
あるところの
精神的聖域に
下りて行けばいいことです。
しばらく、
忘れていたことを
思い出すだけなのです。
一粒の砂に
永遠を見、
野の花に
天国を見ることです。
愛をもって
気づくのです。
愛をもって
花を感じるのです。
体感するのです。
花の芳しい香りを
楽しんでください。
その美しい花を
支えている
葉っぱや茎や根っこの力も
力強く感じるのです。
その美しさも
そのやさしさも
その支えている力も
それは
あなたそのものなのです。
そのことを
信じてください。
あなたが
それを感じ
あなたが、
それを見ていること
そのものが
あなたの本質であり
証明なのです。
今という、
確かな時間の
その一瞬一瞬を
すべてのものに対して
心を開いて生きることです。
愛をもって生きることです。
すべてはひとつなのです。
いまの一歩によって
知ることが出来る。
一瞬一瞬が本質的に
、
全ての命を
作り出す世界を
その中に持っています。
でもこれは、
あなたが本当に
今という瞬間に生きてこそ、
初めてわかることです。
ほかの方法では
それを
知ることはできません。
創造主のリアリティを
知性で知ることや、
頭脳によって
思い巡らすことはできません。
それは、
ただ味わうことなのです。
あなたは
自分の歩く道を
捜し求めることが
目的だと
信じているかもしれません。
しかし、
それは
プロセスに過ぎず
真実は、
既に、
あなたの内奥に
あるところの
精神的聖域に
下りて行けばいいことです。
しばらく、
忘れていたことを
思い出すだけなのです。
一粒の砂に
永遠を見、
野の花に
天国を見ることです。
愛をもって
気づくのです。
愛をもって
花を感じるのです。
体感するのです。
花の芳しい香りを
楽しんでください。
その美しい花を
支えている
葉っぱや茎や根っこの力も
力強く感じるのです。
その美しさも
そのやさしさも
その支えている力も
それは
あなたそのものなのです。
そのことを
信じてください。
あなたが
それを感じ
あなたが、
それを見ていること
そのものが
あなたの本質であり
証明なのです。
今という、
確かな時間の
その一瞬一瞬を
すべてのものに対して
心を開いて生きることです。
愛をもって生きることです。
すべてはひとつなのです。
2014年2月18日火曜日
“許す”ということ
あなたの心を
自我のまま放置しておくと
あなたを
傷つけたと思っている対象に
怒りを持ちます。
あなたが
、
本来の我(真我)に在るとき
あなたを
傷つけた対象でさえも
許すことができます。
それは、
あなたも
自我意識で
誰かを
傷つけたことが
あるからです。
あなたは、
自我に在るとき
あなたを
傷つけた相手に
仕返しを
しようとします。
あなたが
、
真我にあるとき
あなたを
傷つけた相手を
許します。
自我とは
エゴの心です。
エゴは人々を引き離し
疑を増幅します。
真我とは
私たちの内面に
既に存在している
愛、
許し、
思いやり、
希望、
献身
といった性質で、
統合、一体性に向かいます
エゴに対して
エゴで向かっても
、
決して、
まとまることはありません。
怒り、
妬み、
嫉み
怖れ
、
愚痴などは
エゴから生じます。
この
利己的なエゴに
力を与えて、
こころを
支配させてはいけません。
私たちの内面に
あるところの
真我を顕現し、
それぞれの
今という瞬間に、
許すという、
寛容なこころを
インフルエンスしていきましょう。
許すということは
あなた自身も
相手も
起きた現実をも
許し、
愛情を
注ぐということです。
許しは
あなたのこれからの人生にとって
大きな大きな
キー・ポイントに
なってきます。
この許すということを
心に留めて
あなたの心を
見つめる時間を
持ってみましょう。
あなたが
真我としての
聖なる価値を
持っていることについての
肯定的な承認を
することに繋がります。
それは、
魂のための栄養であり、
あなたの中の
真我に微笑み、
微笑み返されることを
感じる魔法であり
奇跡なのです
自我のまま放置しておくと
あなたを
傷つけたと思っている対象に
怒りを持ちます。
あなたが
、
本来の我(真我)に在るとき
あなたを
傷つけた対象でさえも
許すことができます。
それは、
あなたも
自我意識で
誰かを
傷つけたことが
あるからです。
あなたは、
自我に在るとき
あなたを
傷つけた相手に
仕返しを
しようとします。
あなたが
、
真我にあるとき
あなたを
傷つけた相手を
許します。
自我とは
エゴの心です。
エゴは人々を引き離し
疑を増幅します。
真我とは
私たちの内面に
既に存在している
愛、
許し、
思いやり、
希望、
献身
といった性質で、
統合、一体性に向かいます
エゴに対して
エゴで向かっても
、
決して、
まとまることはありません。
怒り、
妬み、
嫉み
怖れ
、
愚痴などは
エゴから生じます。
この
利己的なエゴに
力を与えて、
こころを
支配させてはいけません。
私たちの内面に
あるところの
真我を顕現し、
それぞれの
今という瞬間に、
許すという、
寛容なこころを
インフルエンスしていきましょう。
許すということは
あなた自身も
相手も
起きた現実をも
許し、
愛情を
注ぐということです。
許しは
あなたのこれからの人生にとって
大きな大きな
キー・ポイントに
なってきます。
この許すということを
心に留めて
あなたの心を
見つめる時間を
持ってみましょう。
あなたが
真我としての
聖なる価値を
持っていることについての
肯定的な承認を
することに繋がります。
それは、
魂のための栄養であり、
あなたの中の
真我に微笑み、
微笑み返されることを
感じる魔法であり
奇跡なのです
2014年2月17日月曜日
創造主と共に
あなたの
内面にすべての力
愛、叡智、
そして手段としての
集中力、
ビジュアライゼーション、
積極的姿勢の全てを
所有していて、
創造主である神とつながり、
導かれています。
この厳粛なる
事実を認識して
こころから信頼してください。
この創造主からの
愛と光は
あなた自身の
こころの歪みが創出した
数多くの障害物を取り除き、
“怖れ”は消滅し
平和で安全な
幸せに満ち足りた
気持ちになります。
実は、
この創造主とのつながりを
認識することから
瞑想は、
はじまっていきます。
あなたの住むこの美しい地球
その地球を構成する
バランスの取れた
自然のパノラマ
あなたの人生を
美しく彩るために、
あらゆる立場で
係わってくれる方々、
深く
思いを巡らせながら
感謝の気持ちで
瞑想に入っていきます。
この
永遠の生命の中の
瞬間を
感じ、
愛おしく、
大切に味わい、
自分自身を優しく包み
かけがえのない
すべての生命を愛します。
その聖なる心のまま
しばらく愛に留まり
神からの
人生の贈り物
地球での旅の中で
愛と優しさを
実践していきます。
それは、
すべてはひとつであり
生きとし生けるもの
すべての中に
神が
宿っていることを
確認する旅なのです
内面にすべての力
愛、叡智、
そして手段としての
集中力、
ビジュアライゼーション、
積極的姿勢の全てを
所有していて、
創造主である神とつながり、
導かれています。
この厳粛なる
事実を認識して
こころから信頼してください。
この創造主からの
愛と光は
あなた自身の
こころの歪みが創出した
数多くの障害物を取り除き、
“怖れ”は消滅し
平和で安全な
幸せに満ち足りた
気持ちになります。
実は、
この創造主とのつながりを
認識することから
瞑想は、
はじまっていきます。
あなたの住むこの美しい地球
その地球を構成する
バランスの取れた
自然のパノラマ
あなたの人生を
美しく彩るために、
あらゆる立場で
係わってくれる方々、
深く
思いを巡らせながら
感謝の気持ちで
瞑想に入っていきます。
この
永遠の生命の中の
瞬間を
感じ、
愛おしく、
大切に味わい、
自分自身を優しく包み
かけがえのない
すべての生命を愛します。
その聖なる心のまま
しばらく愛に留まり
神からの
人生の贈り物
地球での旅の中で
愛と優しさを
実践していきます。
それは、
すべてはひとつであり
生きとし生けるもの
すべての中に
神が
宿っていることを
確認する旅なのです
2014年2月16日日曜日
現象に囚われるな
もしあなたや
あなたの周囲の方が
何らかの苦痛
困難 恐怖 怒り 絶望の淵に
沈んでいるなら
是非。宇宙の真実を
思い出しまたは
思い出させてください。
闇の中に在るすべては あなたの心が 光を 歪めている時の 反映としているに 過ぎないのです。 実相であるところの 無限の中においては 永遠に翳ることのない 光輝く存在なのです。 与えても与えても 決して 失うことのない 愛の如くの存在なのです。 現象の中で 何度も何度も 痛めつけられ 踏みにじられても ギブアップしない 完璧な魂が実体なのです。 実は 今生において 初めて体験した 出来事だと 思っているでしょうか? あなたの魂は 数え切れない 輪廻の中で この現象の世界で 見聞きした あらゆる出来事は 体験しているのです。 自らの 心の内奥にあるところの 意識には それらの経験が あなたが 引き出そうとさえすれば いつでも ウォーミングアップして 待ってくれているのです。 私たちの本質は 光や愛 無限や善 安全や美 融和や希望 勇気や歓喜の 性質を持つ 大いなる存在であり すべての否定的な 経験というものは その光と愛を 新たに賛美するための 役割を持っているに 過ぎないのです。 |
2014年2月15日土曜日
選択する力
今こそあなたは
神仏が与え給うた
自由意志を
正しく行使することです。
あなたには堕落する
自由もあれば
神聖かつ高次な生命
本来のあなたを
選択する自由があります。
今、この瞬間から
その選択する力を
賢く行使することです。
憎むより、愛することを選びなさい。
泣くより、笑うことを選びなさい。 破壊するより、創造することを選びなさい。 あきらめるより、忍耐することを選びなさい。 人のうわさ話しをするより、褒めることを選びなさい
。
傷つけることより、癒すことを選びなさい。 盗むより、あたえることを選びなさい。 ぐずぐずするより、行動することを選びなさい。 堕落するより、成長することを選びなさい。 呪うより、祈ることを選びなさい。 死ぬより、生きることを選びなさい。 |
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